- Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106005022
作品紹介・あらすじ
古今東西のさまざまな文化圏の生命観を紹介しつつ、尊厳死や臓器移植、人工受精、遺伝子治療など、現代日本人が直面している問題を、幅広い視野から考える。
感想・レビュー・書評
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この本読まずして「ACP」語ってた自分が少し恥ずかしくなりました。
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/50383 -
今咲いている桜を見てそれを植えてくれた亡き祖父を思い、自分が植えた桜の苗木が数十年後に枝を広げてたくさんの花をつけている様子を思い描くことで、未だ見ることのない子孫の存在を確かなものとして認める
急速に変化する社会に生きる我々は、自分の存在が、限りなく遡ることのできる数多くの先祖の存在によってもたらされたものであることを、理屈では分かっていても実感できない。
自分と
遠い先祖とのつながりを認識する手掛かりを、周囲の環境や日常生活の道具や住居の中に見出すことは困難になっている。
自分の中に受け継がれて留まっているいのちの意味さえも、十分に認識できなくなっている。
子供の命をあきらめる時、それは、生命か金か、の選択ではなく、1人の命か、それとも残りの家族全員の命か、の選択をしていたのだ。
病人自身は口にすることはできないのに、食物を見舞い品として持ってくることは、食物が人間の生命力を増強する呪的な力を持つという信仰に基づいた行為とも言える。また、病人が出たために何かと不自由で困窮の状況に陥りかねなかった昔は、見舞い客の持ってくる食物で病人も家族も助けられた。
黒澤明「いきる」:人は家族と運命をともにする生き方よりも、個人としての生きがいを目指すべきだ。人は行きている間のみ他の人々に影響を与えうる。
看病は女の仕事、という固定観念は昔は無かったのではないか。
ドナーとなった死者の遺族は、臓器提供によっていのちの贈り物をしたのではなく、レシピエントの身体を借りて、死んだ家族の身体の一部が生かされている、つまり贈り物をされたのは逆に自分たちだ、という認識をしている。 -
(未完)
古書購入。
新潮選書 C0330
(書誌情報:NDL-OPACより)
タイトル いのちの文化人類学
タイトルよみ イノチ ノ ブンカ ジンルイガク
責任表示 波平恵美子著
出版地 東京
出版者 新潮社
出版年 1996.8
形態 219p ; 20cm
シリーズ名 新潮選書
注記 引用・参考文献:p216〜218
ISBN 4-10-600502-6
入手条件・定価 1000円
全国書誌番号 97019934
個人著者標目 波平, 恵美子 (1942-)‖ナミヒラ,エミコ
普通件名 生命‖セイメイ
→: 関連語: 人工生命‖ジンコウセイメイ
→: 関連語: 生命倫理‖セイメイリンリ
→: 関連語: 生死‖セイシ
→: 関連語: 生物‖セイブツ
→: 関連語: 生命科学‖セイメイカガク
→: 関連語: 自然発生‖シゼンハッセイ
普通件名 医療‖イリョウ
→: 下位語: 救急医療‖キュウキュウイリョウ
→: 下位語: 在宅医療‖ザイタクイリョウ
→: 下位語: プライマリーケア
→: 下位語: ターミナルケア
→: 下位語: 再生医療‖サイセイイリョウ
→: 下位語: 遠隔医療‖エンカクイリョウ
→: 下位語: オーダーメイド医療‖オーダーメイドイリョウ
→: 下位語: 医療連携‖イリョウレンケイ
→: 下位語: 小児医療‖ショウニイリョウ
→: 関連語: クォリティーオブライフ
→: 関連語: 医学‖イガク
→: 関連語: 医療倫理‖イリョウリンリ
→: 関連語: 医療事故‖イリョウジコ
→: 関連語: 医療器械‖イリョウキカイ
→: 関連語: 医療従事者‖イリョウジュウジシャ
→: 関連語: 医療制度‖イリョウセイド
→: 関連語: 医療法人‖イリョウホウジン
→: 関連語: 医療施設‖イリョウシセツ
→: 関連語: 医療人類学‖イリョウジンルイガク
→: 関連語: 治療法‖チリョウホウ
→: 関連語: カルテ開示‖カルテカイジ
→: 関連語: セカンドオピニオン(医療)‖セカンドオピニオン(イリョウ)
→: 関連語: 公衆衛生‖コウシュウエイセイ
普通件名 文化人類学‖ブンカジンルイガク
→: 上位語: 人類学‖ジンルイガク
→: 下位語: 医療人類学‖イリョウジンルイガク
→: 関連語: 文化‖ブンカ
→: 関連語: 構造主義‖コウゾウシュギ
NDLC G121
NDLC SC47
NDC(9) 389
本文の言語コード jpn: 日本語
発行形態コード 0101: 図書
資料形式コード A: 書誌
出版国コード JP: 日本国
西暦年 1996
校了日 19970325
最終更新 19970325000000
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去年ゼミで輪読した文献を再読。
現代医療の発達と普及、そして体験として死に出会うことが稀になったことにより、新しい生命観が誕生した。「生命」が個別の個体に閉じ込められるという生命観である。
対して祖先崇拝に見出せるような伝統的な生命観、つまり「生命」が個体の枠を超えて他の個体と無限に関連し「生命」は決して個体に閉じ込められるものではないという生命観も同時に存在しており、生命論が二極化していると言える。
同じ地域に、生まれたあともずっと住み続け、そこで死に、その子孫もまた、同じように生きて死んでいった時代とは大きく異なり、現代多くの日本人は転々と住む所を変え、その度に異なる人々と人間関係を結ばざるを得ないという状況にある。死んだ後、自分のことを語り継ぎ、記憶し続けてくれる人は必然的に少なくなり、人々は死によって自分のすべてが断絶されるのではないかという恐怖を抱えている。
そして高度な医療化により、病人が医療側からだけでなく家族からも疎外される状況が指摘されている。つまり、生命がその個人のみのものという傾向が強まっていると言えよう。
しかし、死者儀礼において、死者の遺体へのこだわりも持ち、死によってこれまで生きて周囲の人々とある関係を結んでいた人間の存在が即座になくなるわけではない、つまり「死は段階的に起こるもの」という観念を現在でもなお見出すことができる。
核家族化、医療化された現在においても、人と人との繋がり、誰かを大切に思う気持ちはなくならない。死はその人個別のものではなく、遺族や生前親しかった人に受容され、徐々に完成させられる段階的なものであるという事実は変わらずにあってほしい。