洲之内徹絵のある一生 (とんぼの本)

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (143ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106021633

作品紹介・あらすじ

小林秀雄が「当代一の評論」と称賛した型破りの"美術批評家"にして風変わりな"画廊経営者"、そして破天荒な"生活者"…そのような"自画像"を14年間にわたって「芸術新潮」に書き綴った私小説的連載「気まぐれ美術館」は、突然の死によって中絶を余儀なくされた。あれから20年、74年間の数奇な生涯を今、見直せば、絵を見ることは絵を経験することであり、すなわち自らの生を全うすることなのだという烈しい精神のかたちが立ち現れてくる。洲之内徹とはいったい何者だったのか。

感想・レビュー・書評

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  • ピルゼン、銀録ビルのTARU、深川の同潤会アパート、清洲橋、と自分も同じ風景を見ていたのだろうか、と今にして思う。

  •  「盗んでも自分のものにしたくなるような絵なら、まちがいなくいい絵である」
     洲之内徹の名言だ。

     世に知られていない素晴らしいものを発見し、世に知らしめることによって、少しは自らも知られるようになった。だが彼自身の凄絶な人生と計り知れない深い魅力に世間の人々が気づいたのは、彼の死後であった。私の洲之内徹評である。

     文豪漱石ゆかりの松山で生まれ、幾度も芥川賞候補になった。だが、作家にはなりきれなかった。美術学校を出たが自身は芸術家じゃない。戦前左翼思想に心酔し逮捕の後転向を余儀なくされた。体には後にも拷問の傷跡が残った。転向後軍属として軍のために働く。
     画廊の主人として、今では近代美術の必須ライナンプとなっているような当時としては無名の画家達を発見した、あるいは著名な画家の定番でない意外な名品を発掘した。私個人的には白洲正子に双肩する天才的目利きだと思う。
     村山槐多と彼の傑作「裸婦」、この真っ赤に気魄迫る裸婦像を、洲之内が発見しなければ全国の県立美術館の多くの収蔵作品は違ったラインナプになっていたであろう。そんな、作家と作品が幾つかある。

     私が八年前に仙台に赴任して、嬉しかったことのひとつが、宮城県立美術館に「洲之内コレクション」が収められていて、常設展示されていたこと。
     「盗んでも自分のものにしたい」は、コレクションのひとつ鳥海青児の「うずら」を写真家の土門拳さんが画廊に売りにきたとき、「私はまさにそういう気持ちになった」とこの本の中で紹介されている。
     土門拳は、レンガを使ってカメラを構える鍛錬をしたという写真界の鉄人だ。鉄人に憧れて同じ練習をした事のある愚か者は、実は若かりし頃の私だ。その土門と、洲之内と、洲之内のかの有名な名言とが一つに重なった。

     「うずら」は沈んだ色の画面のなかで、よく見ないとそうとは解らない不鮮明さで仰向けに横たわる鳥が描かれている。だが、死んでいるのは明らかだ。暗く、不吉な絵柄だ。
     簡単に好きというのとは違い、何度、前を通りかかっても、いつもその前で立ち止まらされてしまう一枚だ。それが、かの土門拳が所有していたこと、洲之内が「盗んでも」とまで焦がれた一枚だったことを知った。学校で習ったわけでも、美術年鑑で知ったわけでも、但し書きを読んでわけ知り顔で解ったふりをしたわけでもない。ただ作品自体が発するインパクトが土門を、洲之内を衝き動かした。そして私をいつも立ち止まらせる。

     洲之内徹の人と足跡と目利きぶりを網羅するのに、本書のようなビジュアル・ムックの形は最適だと感心した。彼自身の相貌の変遷も住まいの変遷も即イメージが掴め、彼の眼が選んだ「美」もありのままに触れることができた。芸術新潮の特集号を小さくした形なのだという。

     定価1600円は高くはないね。☆五つです。やっぱり。

  • 人間にとって絵画って何なんだろう

    洲之内徹の美術との出会い またそれ以降 人生を通しての美術との関わりを見てゆくと国家的思想や女性愛など戦中戦後を生きぬいた一人の人間の生き方によって芸術の根源的な意味が照射されゆくのを感じるだろう

    彼の文章は作品を客観的に写すのみならず 作品の奥にある作家とのパーソナルな関係性にまでおよびその人間の内面に肉迫した描写によって文体は活き活きと血の通った躍動したものとなり読者を一枚の絵画の深みへと誘う

    どうもペシミストなアンテナをもって作品と共振する向きがあったようだが 彼はとても人に好かれる人柄であったようで 彼の画廊には多くの人が訪れては洲之内さんとの会話を皆で楽しんだようだ

    自分の愛する絵を求めて人がやってくる そんな自然と人が集まる空間を創り出せた洲之内さん あなたの愛した作品や書いた文章をみているとあなたが多くの人に愛された理由がなんとなく分かりました

  • 目黒美術館での企画展は良かった。

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著者プロフィール

洲之内 徹(すのうち・とおる):1913 - 1987年。愛媛県出身。美術エッセイスト、小説家、画商。1930年東京美術学校建築科在学中、マルクス主義に共感し左翼運動に参加する。大学3年時に特高に検挙され美術学校を退学。20歳で再検挙にあい、獄中転向して釈放。1938年、北支方面軍宣撫班要員として中国に渡り、特務機関を経て、中国共産党軍の情報収集に携わった。1946年、33歳で帰国してからの約20年間、小説を執筆。3度芥川賞候補となるが、いずれも受賞はかなわず。1960年より、田村泰次郎の現代画廊を引き継ぎ画廊主となった。1974年から連載を開始した美術エッセイ「気まぐれ美術館」は人気を博し、小林秀雄に「いま一番の批評家」と評された。

「2024年 『洲之内徹ベスト・エッセイ1』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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