- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106037313
作品紹介・あらすじ
戦争を強力に推進した主戦派の陰で戦局を横目に早期講和を模索した「参謀本部・戦争指導課」の奮闘。アジア太平洋戦争で終戦の地固めをしたのは、強硬かつ頑迷で悪名高い陸軍内で、極秘の工作活動を行った一派だった! 第二次大戦開始から戦争後期までドイツ軍の戦局に応じて立案された作戦の推移を追いながら、服部卓四郎率いる参謀本部作戦課と松谷誠の戦争指導課との対立を示し、「“陸軍一枚岩”観」を覆す、異色の終戦史。
感想・レビュー・書評
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[評価]
★★★★☆ 星4つ
[感想]
国の行く末を決めるであろう戦争を同盟しているとはいえ、他国の勝利が前提とされているのは問題だよな。ドイツに対する謎の信頼だと思うよ。後、ソ連に対する期待も
この本を読み、初めて知ったことだけど思っていたよりも早くから講和派が活動したという印象だった。一方で主戦派が軍部内における主導権をほぼ握っていることも理解できた。
講和派は思っていたよりも活動的に動いていた事を知れた。陸軍内部に協力者がいないから、海軍や政府、民間にまで協力者を作っていたことは意外だった。
ただ、主戦派と講和派のそれぞれに対する人事の扱いが全く異なるのが絶望的な気持ちになってくる。失敗しても戻ってくれる立場の人間と失敗すると戻ってこれない立場の人間では行動に差がでるのはしょうがないことだと思うよ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「陸軍悪玉論」「聖断論」とは少し違う角度から、参謀本部の早期講和派だった戦争指導課について書いた本。対立相手だった主戦派たる作戦課については良くも悪くもよく目にしてきたが、戦争指導課のことは初めて知った。
戦争指導課は、1943年春には三国同盟懐疑派として出発し、9月には早期講和派に転じたという。しかし主戦派を完全否定することなく案を進めていかねばならなかった。阿南惟幾と梅津美治郎は終戦前に徹底抗戦を主張したことから主戦派と思われがちだが、筆者は、主戦派若手将校に押されたからであり彼ら自身は中間派であったと評価している。エリートが集まる作戦課との真っ向対決は困難で政策転換には時間がかかる、というのは官僚的組織では十分あり得ることだ。
また、政策判断は欧州の戦況をどう認識するかという要因も大きいが、参謀本部に入る情報のうち、早期講和派は悲観的な情報に、主戦派は楽観的な情報にそれぞれ着目したことで情勢認識が異なっていたとの分析を筆者はしている。親独派が陸軍主流だったというのも要因かもしれない。
本書で両派の中心人物として描かれている戦争指導課の松谷誠も作戦課の服部卓四郎も、当時40代前半だったというのには改めて驚く。松谷は戦後、元情報部英米課長、ロシア課長と3人連名で服部の警察予備隊入隊に反対する意見書を吉田総理宛に出したそうだ。 -
[割れていた「一枚岩」]先の大戦にあたり、常に強硬な意見を吐き、海軍との比較で「悪玉論」の主役として描かれることが多い帝国陸軍。そんな陸軍の中にあって、敗戦にいたる早い段階から終戦工作が進められていたという、これまであまり光が当てられてこなかった点に着目した作品。主戦派の服部卓四郎、早期講話派の松谷誠の両名を軸としながら時系列的に意思決定を描いていきます。著者は、本書を通して日本的組織の在り方に警鐘を発している山本智之。
参謀本部の「奥の院」と言われた作戦課に対して、あまり注目されてこなかった戦争指導課の働きが本書で明らかになるのですが、陸軍内にとどまらない工作や根回しなど、従来の陸軍一枚岩のイメージからはかけ離れたその役割に驚かされました。戦争終結にあたり、それをどれほど「主導」したかについてはさらなる研究が必要だと思いますが、戦争の見方にも少なからず関わってくるその動きを紹介した本書の意義は大きいのではないかと思います。
また、早期講話派の存在故に「陸軍悪玉論」に対する「陸軍無罪論」を説くのではなく、さらに一歩踏み込んだ形での問題の提示を図っているバランス感覚にも好感が持てました。本書において揺れる存在として描かれる中間派、特に敗戦時の参謀総長であった梅津美治郎が取った姿勢について著者が有する問題意識というのは、今日的にも(特に日本に限らず)留意すべきものがあるのではと感じました。
〜戦況に対する判断が分かれる中で、主戦派と早期講話派が主導権争い=多数派工作を行うが、中間派(サイレント・マジョリティ)が戦争後期に主導権を把握し、主戦と早期講話の両方を天秤にかけ、最終的には早期講話派を支持するという政治選択を行うことで、戦争終結へと移行したところに、陸軍における戦争終結過程の特徴がある。〜
まだまだ先の大戦に関する書籍には学ばされることが本当に多い☆5つ -
参謀本部/戦争指導課を中心とした陸軍の早期講和派の動きを主戦派との対比で描き、陸軍は戦争継続一辺倒で一枚岩だったわけでは決してないことを論じている。戦況悪化につれ、日和見的だった中間派が次第に戦争終結論に傾き、終戦に至ったわけだが、コンセンサスを形成するまでの過程があまりにももどかしい。とはいえ、早期講和工作を表立って行うことが非常に困難だったからこその苦労だったのだろう。もっと早く決断していれば原爆投下はなかったというのはたやすいが、当時の状況でどのようにすればよかったのか自分自身に問われると、正直戸惑ってしまう。現代においてどのように活かすか。。