戦後史の解放II 自主独立とは何か 前編: 敗戦から日本国憲法制定まで (新潮選書)
- 新潮社 (2018年7月27日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106038297
感想・レビュー・書評
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◆日本の敗戦は、それまでの「大日本帝国」という巨大な領土を持つ国家が日本列島のみを領土とする小さな「日本国」へと一気に縮小する過程であり、東アジア地域に「力の真空」を作り出し紛争の火種となった。
◆日本の占領はアメリカが主導したが、その陰には日本と東欧を「交換」したモスクワ外相会議があった。
核開発の観点からルーマニアとブルガリアのウランを欲していたソ連は、これら地域の支配を黙認させる代わりに日本統治をアメリカに譲り渡したのである。
◆日本国憲法の起草において、松本や実際の起草者である宮沢俊義は国際情勢を把握しておらず、連合国内での天皇訴追や責任追及の動きや世界における日本の敗戦の意味を全く理解していなかったために保守的な改憲案しか出せず、自らの手で憲法を作る機会を自ら逸した、と批判されている。
宮沢俊義は今では「八月革命説」と護憲派で知られているが、戦前は戦争を讃えて反英米の論陣を張り、戦後も改憲不要論をとって松本改憲案のような保守的な改憲案を出している。八月革命説以降の「変説」は自らの失敗(憲法を自ら起草するチャンスを失ったこと)を覆い隠して大衆に迎合するものではないか、と批判している。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
三浦 瑠麗(国際政治学者・東京大講師)の2018年の3冊。
国際政治の視点を交え現代史を振り返る。 -
東2法経図・6F開架 210.6A/Se64s/2(1)/K
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(弐分冊! 書店で初見でタイトルで漢語が渋滞していたので、気づかず後編だけ買ってしまいました。二日後に前編を購入。)
【書誌情報】
シリーズ名 新潮選書
装幀 新潮社装幀室
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 284ページ
ISBN 978-4-10-603829-7
C-CODE 0331
ジャンル 日本史
定価 1,404円
http://www.shinchosha.co.jp/sp/book/603829/
【目次】
はじめに [003-015]
「上を向いて歩こう」
語られない歴史
東京オリンピックの夢
時代が動くとき
「戦後史の解放」とは何か
希望は可能か
目次 [017-023]
序章 国際主義と愛国心 027
複数の「戦後史」
揺れ動く歴史認識
「対米従属」批判の陥穽
自主独立した日本
孤立主義から国際主義へ
「右であれ左であれ、わが祖国」
「愛国心」とは何か
「反米主義」という「ナショナリズム」
国際主義的な「愛国者」
「英、米両国民気質の比較」
「新しい曲学阿世」
悲劇と再生
第1章 崩れてゆく秩序 057
1 終幕を迎えた戦争 057
スイスに届いた電報
巨大な帝国の崩壊
終戦の多様な位相
崩れ落ちる正義
2 大日本帝国の崩壊 067
帝国の崩壊とその後
日ソ開戦へ
ソ連軍の対日参戦準備
新京の動揺
満州国に居住する少年
皇帝溥儀の逃避行
満州国の消滅
高碕達之助の戦中と戦後
朝鮮半島における敗戦
米軍統治の開幕
忘れられた帝国臣民
3 アジアにおけるパワー・バランス 093
「力の真空」をめぐる政治力学
忘却される記憶
アジアのなかの日本
戦争と平和の間で
第2章 アメリカが創った秩序 105
1 「アメリカの海」へ 105
孤立主義からの訣別
逆説としての日米関係
パラオの碧い海
西太平洋の戦略的要衝
2 国家安全保障を求めて 116
島嶼の支配へ
アメリカの国家安全保障
前方展開基地としての日本
制空権と航空戦力
「海防上の大変革」
日米の島嶼戦
戦後構想のなかの太平洋
「力の真空」を埋めるアメリカ
3 マッカーサーの平和 132
マッカーサーの到着
重光葵の覚悟
日本の降伏
マッカーサーの統治
連合国の諸大国の立場
ロンドン外相理事会
ソ連の交渉戦術
日本と東欧との「交換」
モスクワでの合意
アメリカが創る秩序
第3章 新しい「国のかたち」 161
1 衛兵の交代 161
「新しい日本」を求めて
二人の政治家
近衛文麿と幣原喜重郎
「外交に通暁せる者」
「国際信用」の回復を目指して
「正義の外交」の必要
東久邇宮内閣成立
2 近衛文麿の戦後 175
近衛文麿の憂鬱
マッカーサーとの会談
近衛の憲法改正への動き
近衛文麿の退場
最後のメモ
歴史の審判
無責任と弱さ
3 幣原喜重郎の戦後 194
「政治の組立から改めなければならぬ」
幣原喜重郎の再登場
幣原内閣と昭和天皇
天皇制維持への逆風
保守的な憲法問題調査委員会
戦争放棄条項の誕生
4 アメリカが創った憲法 213
GHQの動き
宮沢俊義の反米主義
松本委員会の「憲法改正要綱」
アメリカによるイニシアティブ
「戦争の放棄」誕生の背景
憲法九条と天皇制
GHQの対応
松本烝治の蹉跌
幣原の怒り
ホイットニーからの提案
白洲次郎の矜恃
松本烝治の抵抗
混迷する閣議
芦田均の国際主義
「この外に行くべき途はない」
「大局的判断」と「国際感覚」
極東委員会と対日理事会の開催
「憲法改正草案要綱」の発表
痛みをともなった前進
註 [261-283]
図版提供 [284] -
著者はまず、「イデオロギー」「時間」「空間」の3つの束縛から自らの思考を解放することが、本書で言う「戦後史の解放」だと述べている。また著者の主眼は、日本と国際政治の連関ということだろう。そのため幣原喜重郎、吉田茂、芦田均を国際主義者として高く評価している。
第1章は大日本帝国の崩壊。(大日本帝国自体への評価はどうあれ)その存在が日本とアジアを繋げ、その崩壊がこの地域に混乱をもたらしたことと日本の戦後史は切り離せないとの趣旨を述べている。
第2章は日本とその周辺地域がアメリカが創る秩序に再編成されたこと。東欧がソ連の支配下に置かれたこととの取引でもあったという。
そして第3章は筆者が評価する3人が登場する憲法制定過程だ。中ソや豪から天皇制廃止の声が高まるのに、宮沢俊義をはじめ憲法学者はこの状況を理解せず、明治憲法の改正に消極的だったという。一方で幣原総理は国際情勢を理解していたために、吉田外相と芦田厚相の理解も得て、「天皇制維持」のために(マッカーサー発案の)「戦争放棄」もセットでGHQと調整。この過程を「国際政治の歴史として理解することが必要なのであって、当時の国際情勢との関連の中に位置づけることが不可欠」と著者は述べている。
なおケーディス大佐は、自己保存のための自衛権まで放棄しないようマッカーサーの提案を穏健なものに修正した、と回想している。それならば後年の自衛隊創設への障害はこの時点で排除されていたことになる。 -
卒論作成へ向けて。
以下、本書より。
戦後日本社会が抱えた明るさは、あまりにも深い傷と、悲しみと、そして挫折を覆い隠すためのものでもあった。
戦争を経験した日本人は、多くを語らなかった。そして、彼らが「上を向いて歩こう」としたのは、必ずしも希望に溢れていたからではなかった。「涙がこぼれないように」するためだった。上を向かなければ涙がこぼれてしまうのだ。人には自分の涙を見せたくない。自分は強く、明るくいたい。だとすれば、上を向いて歩こうではないか。悲しみの海の中では、希望への強い意志を抱いていなければ、すぐに深い海の底に沈んでしまうであろう。(中略)
本書は、戦争が終わり、占領を経験し、豊かさを目指した戦後日本の歴史を、国際社会の動きの中に埋め込むことで、新しい歴史像を提示することを目的としている。われわれは、色鮮やかな物語に溢れている戦後の歴史を語る際に、あまりにも狭い視野の中にそれを無理矢理位置づけようとしてはいないか。たとえば、「冷戦史」という米ソ対立の緊張と抗争のなかに戦後の日本を位置づけようとすれば、人々が感じたあまりにも多くの小さな、しかし大切な物語を見逃すことになってしまう。あるいは、戦前のファシズムから戦後の日本が社会主義や共産主義を拡大しようとする歴史として眺めるのであれば、それは人々がより豊かになり、より安心を感じ、安定を得ていった生活の姿を見逃してしまう。一つのイデオロギーに押し込もうとすれば、豊かな戦後史の物語はとたんに色あせた、単調で退屈なものとなってしまう。
先ほど紹介したように、「上を向いて歩こう」という昭和を代表する名曲の作詞家であった永六輔は戦前に生まれ、歌手の坂本九は真珠湾攻撃の二日前に生まれた。その歌が、冷戦が終わった今でも歌われ続け、愛されているのだ。「上を向いて歩こう」という曲は、それが発表された「一九六一年」という年を越えて長寿を保ち、そして日本の国境を越えて世界で愛されている。冷戦や階級闘争というイデオロギーからでは、その歌の魅力を十分に感じることはできない。たった一つの歌でさえも、われわれが通常歴史を考える際の境界線をはるかに超えた、五つの大陸まで延びる広がりを持っている。
また同時に、われわれは通常あまりにも国境の内側のことに目を奪われるため、国内の問題がいかにして国際的な問題と連動しているのかという視点を見失ってしまう。たとえば、終戦の過程はもちろんのこと、憲法の起草作業、自衛隊創設等、戦後史の多くの重大な出来事が、国際政治に翻弄されている。さらには、戦後の高度成長を支えてきた多くの人々が、実は戦前の教育を受けて、戦争を経験していたという事実を見逃してしまう。
このようにして、われわれは知らないうちに、「イデオロギー的な束縛」「時間的な束縛」「空間的な束縛」の中から歴史を語ろうとしてしまう。それによって見えなくなるものがあまりにも多く、それによってゆがめられる事実があまりにも多い。だとすれば、そのような束縛からわれわれの視点を解放することで、より広い視野を手に入れて、より豊かな歴史が語れるのではないか。