- Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106101236
作品紹介・あらすじ
大阪のある被差別部落では、そこでしか食べられない料理がある。あぶらかす、さいぼし…。一般地区の人々が見向きもしない余り物を食べやすいように工夫した独自の食文化である。その"むら"で生まれ育った著者は、やがて世界各地にある被差別の民が作り上げた食を味わうための旅に出た。フライドチキン、フェジョアーダ、ハリネズミ料理-。単に「おいしい」だけではすまされない"魂の料理"がそこにあった。
感想・レビュー・書評
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個人的に上原善広いブームが訪れたかもしれません。ジャーナリストとしては無責任な行動や、クズな言動に辟易しながらも、他の人の文章では見る事の出来ない生々しさが惹きつける要素ではないかと思います。
被差別部落出身であることを隠さず、それを強みとして入り込みにくい部分までぐいぐい入り込んでいく力技で、今回は被差別者達のソウルフードを追いかけて行きます。
各国で長年差別されてきた人々が、命をつなぐために食べて来た食べ物。それは大多数の人々が捨てたものを工夫して美味しく生まれ変わらせた、魂の籠った食事。まさに「ソウルフード」です。
やはり食肉に関わる事が多いからか、臓物料理がとても多いですね。日本の屠畜への蔑視も強いものが有りますが、その割に皆最近はホルモンよく食べますよね。忌避される食材ではなくなっているので、材料の高騰が大分前から言われています。皆大好きなお肉なのに、それを製造する過程を忌み嫌うというのはとても矛盾しているし、馬鹿馬鹿しいことだと思います。
さて、この本に出てくる料理たちはどれもこれも単独で語れない料理ばかりです。綿々と続いて来た、そして今だ続いている差別を抜きには正確な姿は見えてこないと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
被差別部落の問題については、知らない方が差別意識を持たないで済むのではないかという考えがあったし、この本を読み終わった今でもまだ思う。あそこの地域は同和地区らしいとか、この人は被差別部落の出身らしいとか、そういうことは頭に入れたくないからだ。
ただ、この本で取材された世界各国での差別の歴史、現状は知っておくべきことだと思う。
ロマ、サルキなど、読んでいて辛くなるところもあったが、読んで良かったと思う。
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あぶらかす・フェジョアーダ・ガンボ、そしてフライドチキン。今では一般的な市民権を得たものも多い各地の「ソウルフード」は、かつて差別と貧困に苦しめられた人々が知恵と工夫で編み出した食べ物だった。
関西の被差別部落地域、アメリカ南部、ブラジル、ネパール……と世界各国を旅しながら食べ歩いたソウルフードにはいくつかの共通点があり
・加工調理に手間がかかる
・味に癖がある/食べづらい
・そのため本来は加工の途中で廃棄されていた
・(おもに宗教観に基づき)「穢れ」と見なされている
材料だということ。それに手間暇をかけ、あるいは味付けや香辛料で工夫を施して出来上がった料理だということが挙げられる。
そして彼らはそれを「ソウルフード」として愛着や誇り、または複雑な感情を内包しつつ愛しているということ。
中には、もともと貧しいアメリカ南部黒人奴隷の食べ物であったフライドチキンのように、ファストフードとして世界中で愛されているもの、マストな名物料理としてガイドブックに掲載され、知られているものも少なくない。
筆者自身も被差別部落の出身であり、各地で問題意識を忘れずに被差別の歴史や現状のルポを行っているが、それ以上に「本場本物のソウルフードを味わいたい」という食欲を忘れていないため、重すぎない内容になっていてバランスが保たれている。
その中にあってやはりネパールやロマの話は重く、考えさせられることは多い。 -
世界各地のソウルフード巡り。筆者自身の体験が色濃く反映された構成。
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「被差別部落」は透明になればなる程よいと思っていた。特に日本の差別問題の場合は、黒人問題と違って、見た目でも名字でも分からないわけだから。(名字で分かるという方もいるかもしれないけれど、本書で書かれているパキスタンの名字ほどではない。)
でも、そこにはそこ特有の文化があって、それをなかったことにしてしまうのはちょっと違うのかもしれない、と考えを改めた。差別がなくなるというのは、「私は部落出身なの」という主張が「私は東京出身なの」というのと同じ受け止められ方になること、なんだなと。 -
いやー面白かった。
テーマは、扱い方によっては重たくもなるものを、軽くさらっと書いている。フライドチキンが被差別のものだったとは、寡聞にして初めて知りました。
全体的に面白いし、あんまり重たい話もないんだけど、中東のロマのところは気持ち悪くなりました。だって私、現代日本人だもん。衛生面が悪いのはダメだよ。食事中に読まない方がいいです。
しかし、これ読みながら、差別に関してはいろいろ考えたり思い出したりしました。
それこそ現代日本で「普通」の家庭に生まれた人って、当たり前のように、自分は絶対差別されないって自信を持って、無神経なことを言うことあるよね。とかね。
何ていうか、「被差別部落の人を差別するのは悪いことだ」という知識は持っているから、いい年になると言わないけど、「女子高生なんてみんなエンコーしてるよね」的発言は平気でするとかね。
ひとくくりにするなよ、と言っても「だって私が見えるところ(って要するにテレビだよね?)だとそうなんだもん」って、それ、すごい差別発言だよね。ってびっくりして、うまく指摘できなかったことが、今でも忸怩たる気分として残っているので、こういうのを読むと思い出すのです。
中に出てくる食事は、美味しそうなのあり、「申し訳ないけど私だったら食べたくないな」というのあり、いろいろです。
イラクのロマ(ジプシー)の話で、「フセインが政権を持っていた頃は保護してくれたけど、フセインがいなくなってから、定住していた土地を追い出されて、仕事もなくなって、大変なことになった」という話は、いろいろ考えさせられます。
やっぱアメリカが悪いんじゃん!
(湾岸戦争が起こった頃、実家の友達に電話して「アメリカええ加減にせえよ」と言ったら、「こっちの友達はみんな『フセインが悪い』って言うのに、あんたは逆やね」と言われたのです。だってあれ、アメリカの内政干渉じゃん!)
あ、でも、「世界各地の被差別民のところに行って、そこに特有の食事を食べさせてもらおう」という発想は、うまく言えないけど、現代的だと思う。
(もちろん相応のお礼はしてます)
日本の部落問題が『極東カースト問題』と言われていると、初めて知りました。確かにカーストだよね。
というか、「あの人は私たちとは違う」ってヘーキで発言する人いるよね。
自分で自分のカーストを設定して、勝手に私のこともそこに組み込んで、それ前提で話されると、正直つらいです。
ダンナがIT関係、と言ったら、「人種が違う」と言いやがったヤツもいたな。人種は一緒だよ! むかー!
(と友達に愚痴ったら、「今どき、本当に人種が違っても、『人種が違う』って言わないよね」と驚いてくれたので、まぁ、そんな人ばっかりじゃないと思おう) -
食の切口からみた、差別と貧困の文化。世界各地の被差別民の食卓には、共通する思想、長く差別され続けることからしか生まれえなかった思想が流れている、と教えてくれる。
テーマは厚いけど、旅行記のような体をとっていてさらりと面白い。
私の問題は、ネパール、インドの牛料理もアメリカのフライドチキンもブラジルのフェジョアーダも差別から生まれた食べ物だと知りながら食べたことがあったのに、
日本のさいぼしやあぶらかすについては聞いたことさえなかったという、外を向いた知識の偏りなんだろう。
「極東カースト問題」…ね。
前に著書を読んだことがある八木澤さんが出てきて驚いた。 -
さいぼしを食べてみたい
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食べ物と人と文化は切り離すことはできないと思う。被差別の食卓とはなかなか衝撃的な題名だったが、各国の食べ物や人々のルーツを学べた。
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被差別部落生まれの著者が、被差別部落でしか食べられていない食べ物があると知ったことで、同様に世界でも差別を受けてきた人々に特有のソウル・フードがあるのではないかと考え、取材した記録。アメリカ、ブラジル、ブルガリア、イラク、ネパールで取材が行われた。
アメリカの南部の黒人のソウルフードについての記述があるときいていたので、それを調べるために読んだ。差別を受け、貧困にあえぐ人々の食卓にあがるものは多くが、ほかの人々が食べないものを食べるために工夫されたものであった。
アメリカの部分は食べ物に注目して気楽に読めるが、イラク、ネパールなどは差別と貧困についてが厳しすぎて、つらい現実を知った。ブラジルで、奴隷になるよりもと逃げた人々の楽園というキロンボ。飢えも差別もない、居心地のよいアフリカのような場所を自分たちで作り出したわけだが、それだけそれ以外の場所での差別のひどさを感じた。