あの戦争は何だったのか: 大人のための歴史教科書 (新潮新書 125)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106101250

感想・レビュー・書評

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  • 「本書は、太平洋戦争の戦史克明に追った訳ではないし・・・」(「あとがき」より)

    戦争批判を、
    (1)戦争の目的の不明さ(2)戦争指導の権限
    この2点から行っている。

    なかなか読み応えのある著作だった。

  • 日本が真珠湾攻撃に至った経緯とあの大戦の経過を改めて概観するには良い本。

  • 結局のところ、今の日本が抱える問題は、「臭いものには蓋」精神であの戦争から目を逸らし続け、十分な総括と教訓化をしてこなかったツケ、なのだろうな。いじましい自己憐憫は当事者たちにとっちゃ気持ちいいだろうが、後世を生きる人間には迷惑なだけだ。

  • 第一次大戦後の株価暴落、銀行の取付騒ぎといった恐慌。満州事変、五一五事件、二二六事件といったテロが日本に異様な空気を生み出していった。皇紀2600年(日本書紀で神武天皇が即位した年を元年とする神話に基づく年数)のお祭りムードの昭和15年、日本は理性を失い、神がかり的国家に成り下がり、昭和16年の開戦へ。戦争を始めたはいいがどう収めるかを考えていなかった。戦略、思想、理念といった土台を深く考えず、戦術、対症療法にこだわりほころびにつぎを当てるだけ。この構図は現在の原発のそれと変わらないと思った。

  • 歴史にifはない、と言うことは全ての出来事は必然であり、先の大戦も起こるべくして起こったと言う主張はあながち間違ってはいないかも知れない。軍部が愚かだったと後になって言ってみても、当時は大局的な情勢判断センスよりも別の才能が評価される社会的コンセンサスがあり、愚かでない人が軍を率いていくことが出来なかったのだから意味のないことである。
    ミッドウェーやガダルカナルなど個別の戦闘史は大事な部分を省略しすぎて少し的を外している記述も少なくないのであまり参考にならなかった。

  • 著者の保坂正康氏は、昭和史の第一人者と呼ばれる。
    成熟社会を迎え、経済成長も期待できない今の日本。日本はこれからどこへ向かうべきか。それを知るには、二つのポイントがある。
    一つ目は、世界がどこへ向かうかを知ると良い。世界的な潮流には抗えないからだ。
    そして二つ目は、日本の過去を知ると良い。過去の延長にしか未来はないからだ。
    日本は、過去二回の分断を経験している。
    一度目は明治時代。アメリカの黒船をきっかけに明治維新があった。
    二度目は戦後。アメリカの原爆で戦争が終わり、新たな制度が敷かれた。
    この二回の分断はいずれもアメリカによってもたらされた。

  • ☆☆☆☆この本のタイトルが、この本のすべてを貫いて存在してます。
    【あとがき】にあるように『太平洋戦争を正邪で見るのではなく、この戦争のプロセスに潜んでいるこの国の体質を問い、私たちの社会観、人生観の不透明な部分に切り込むのが本書のねらい』と書いてありますが、このことを踏まえたうえで、本文を振り返ると、世に出回っている多くの太平洋戦争を著した本とは違う視点で、『3年8ヶ月』を「2・26事件」というターニングポイントから読み解こうとしているのが見えてきます。

    この本の読みどころは第二章の【開戦に至るまでのターニングポイント】でしょう。

    〜〜『二・二六事件』の大きな爪跡として、
    「断固、青年将校を討伐せよ」と発言した天皇の存在。その後、天皇は一切語らぬ存在となった。自らが意思を表示することの意味の大きさを思い知り、それを恐れたかのように。〜〜
    と「天皇が自らと国民の距離感(影響度)」を測りかねている心理が後の「御前会議」での絶対的な権力をもつ天皇の構えに変化をきたしてしまったという視点。

    〜〜開戦時の「開放感」を表現するのは、何か罪悪感をともない、憚られる雰囲気がある。開戦時の姿は、間違いなく素直な日本人の国民性が現れていると思うのだが。
    この時の空気は「ニ・二六事件」に端を発した“暴力の肯定”で神経が麻痺していく間隔と似ているようにも感じられる。鬱屈した空気の中でカタルシスをもとめる。表現は悪いが“麻薬”のような陶酔感がある。〜〜
    という視点が、この戦争に突入する大きな流れであり、それにブレーキをかけられなかった原因ではないかと説く。

    この他、第一章の【旧日本軍のメカニズム】の解説と分析も、『太平洋戦争』を見つめる視野の角度を広げ、柔軟なものにしてくれるのに役立ちます。
    2016/06/04

  •  危機に陥った時こそもっとも必要なものは、大局を見た政略、戦略であるはずだが、それがすっぽり抜け落ちてしまっていた。大局を見ることができた人材は、すでに「二・二六事件」から三国同盟締結のプロセスで、大体が要職から外されてしまい、視野の狭いトップの下、彼らに逆らわない者だけが生き残って組織が構成されていた。(p.123)

     あるいはこうも言えるのかもしれない。戦争の以前と以後で、日本人の本質は何も変わっていないのだと。
     敗戦後のどん底から、高度成長を成し遂げた。その“集中力”たるや、私には太平洋戦争に突入した時の勢いと似ているように思えてしまう。つまり逆にいうと、高度成長期までの日本にとって、“戦争”は続いていたのかもしれない。ひとたび目標を決めると猪突猛進していくその姿こそ、私たち日本人の正直な姿なのだ。(p.223)

    真の「東亜開放」の戦士たちは、日本では「逃亡」扱いとされ、生きて日本に帰ってきた者も、軍人恩給の面で差別されていた。
    彼らは日本から送られ、そして見捨てられた。彼らの存在は、今では忘れられ、ほとんど語られることすらない。どの程度こういう兵士たちがいたのか、正確な数さえわからない。いわば歴史の“棄民”である。日本へ複雑な感情もあるだろう。しかし、決して彼らの声は聞こえてこない。いや戦後の日本社会が聞こうとしなかったのだ。
    ここでも、戦争は終わっていなかったのである。
    よく、「大東亜共栄圏はアジアの独立、解放のためになったのだ」などと、したり顔で言う元高級軍人や政治家を見受ける。それに追随して「大東亜戦争の肯定論」を撒く人たちがいる。そんな彼らを見ていると、戦後、日本で安穏と暮らしながら、臆面もなくよく言うよと思ってしまう。歴史から抹殺された彼らのことを思うと、そういう発言に不謹慎な響きを感じる。
    こういう人たちに指導された結果があの戦争だったのだと改めて怒りがわいてきてしまうのだ。(pp.237-8)

  • 2015.10.22読了

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著者プロフィール

1939年生まれ。同志社大学卒業。ノンフィクション作家。とくに昭和期の軍事主導体制についての論考が多い。

「2022年 『時代の反逆者たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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