- Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106101458
作品紹介・あらすじ
貧しく純粋なイスラム教徒が、やむにやまれぬ思いに駆られてテロに走る-。自爆テロにはしばしば、こうした「美しい物語」が付いて回る。しかし、これは真実だろうか。現場を歩いてみると、自爆テロが「貧困」とも「イスラム教」とも関係がなく、「中途半端な若者たちの自分探し」の結果だった姿が見えてくる。「テロリスト」に対する甘い幻想を全て打ち砕く、画期的ノンフィクション。
感想・レビュー・書評
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自爆テロは、果たして本当に米国を始めとする西欧文明への「イスラム側の抵抗の象徴」として行われているのだろうか、テロリストの中に敬虔なイスラム家庭の出身でもない者がいるのは何故なのか、というテロリストが誕生するメカニズムを探るために書かれた本。
「変な連中と付き合って感化されたら困るから」という理由で、フランスに家を構えて育児を行った母親の元から、ザカリア・ムサウイというテロリストが生まれた。
その背景には、大学へ進学したかったにも関わらず、アラブ系という偏見で、教師から父親と同じ職人である配管工への道を勧められ(その後大学は卒業している)、交際していた白人の彼女との関係を相手の両親が認めなかったといったということがあった。「自分がアラブ系フランス人であること」に悩む日々、そんな時に過激なイスラムの教えに出会ったことで、自分のアイデンティティを発見し、間違った道へ進んでしまった。
教育機関である学校でさえ、白人の社会の中では白人の社会規範しか学べない。救いを求めて手にしたイスラム教が正当なものでなく、過激なカルト性の強いものであったとしたら、あまりに悲しい。
長年テロを免れている事を誇りにしていたカサブランカでテロが発生し、賑やかな通りからは人が消えた。
このテロを引き起こした者の連中は、スラム街の出身ではあったが、その中でも定職を持つものもおり、恵まれた環境にあったという(メンバーの一人であるモハメド・ムハニは、大学中退とはいえ、地元で一番の大学に通っていた)。
大学教授モハメド・ダリフ曰く、テロリストになるまでには、1.テロを計画する人物が若者を勧誘「真のイスラムはここにはない。一緒に探求しないか」、2.組織の重要性の強調及び服従「恐怖と切迫感を煽る」、3.死の重要性を吹き込む「都合よくコーランを引用し「良きイスラム教徒でありたければ殉教せよ」」、4.組織外の人間への憎悪「組織以外の教徒は不信心者」、5.組織外の人間は殺していい「真の教徒を守るため偽物の排斥」という五段階を経るという。その際には「ショックを受けた状態で言質を取られ、自分が発言したことに縛られる」という、カルトで用いられるマインドコントロールが使われているという。
裕福なはずの彼らがテロに走ったのは、フランスの評論家ギ・ソルマン氏の言葉を借りると、「そこそこの教育を受けたものの、社会で進むべき道を見失った人々で、彼ら自身の個人的な失敗を暴力で贖おうとしている」為だという。
勧誘の手法も巧妙で、刑務所の中でさえも、囚人同士が顔を合わせられる場所(図書館など)で勧誘を試みており(犯罪者は実は
寂しがり屋という所に付け込んでいる)、やはりここでも特定の人種を的に見立てた陰謀史観を用いて、結束を強めているそうだ。
勿論、イスラム教自体が悪いということではなく、刑務所の規律を守り、他者との協調性を学ぶのにも役立てている人もいる。
最終章では、「テロリストになるかどうかは多くの部分を個人の感受性に負っており、劣等感や上昇志向といった、若者の不安定な精神状態がテロリストを生み出す基盤となっている」と総括している。
以前筆者はマルチ商法に携わるメンバーへインタビューを試みたことがあり、その中で「末端の会員は純粋で暖かく一方で、幹部は冷めており、詐欺師に操られる善人」という印象を受け、被害支援を行う専門家から「マルチに引っ掛かる人は出来のいい高卒か、出来損ないの大卒だ」という言葉を受けたいう。
また、フランスの対セクト闘争省庁間委員会の専門官を勤める方からは、「テロリストは支持を集めるためだけにイスラム教を利用しているだけで、教義などどうでもいい」と発言している。
筆者自身、大卒後すぐに就職出来ずに精神状態が不安定だったようで、そのことが後書きに書かれている。
かつて、国内を震撼させた宗教事件があった日本には看過出来ないメカニズムが述べられていると私は思った。
自分用キーワード
ザカリア・ムサウイ(9・11の20番目のテロリストと呼ばれている) 国民戦線(フランスの右翼政党。移民排斥を叫んでいる) アブ・ハムザ オマル・バクリ アブ・カタダ ロンドニスタン(ロンドンをベースにイスラム過激思想を撒き散らす人々) サラフィーヤ(現代のイスラム教を堕落したものとみなし、原点回帰・革新を訴える思想) 『20人目のテロリスト?』(ザカリア・ムサウイの兄による本) 武装イスラム集団(GIA) シディムメン地区 モハメド・アタ(9・11で飛行機を操縦した) タクフィール・ワ・ヒジュラ タブリーグ(インド起源のイスラム教集団) 『イスラム過激派世界辞典』 『獄中のイスラム』 イマム(イスラム教における指導者) アブデサダール・ダーマン 国土監視局(DST) エド・ディレクト(筆者曰く、援助の仮面をかぶった過激派支援組織) ギャング・ド・ルーベ リオネル・デュモン(来日も果たしたテロリスト) エル・ムジャヒド(モスレム人が設立した部隊) ネジム・ハリロビッチ ジェシカ・スターン『神の名のテロ』(彼らは友人同士誘いあって、冒険に出かけるかのようにテロに参加するケースがある) 『テロ行為の理解のためには』(「テロの後、政権担当者がしばしば、テロリストと見紛うような言説に訴え出るケースが見られる。いったい、悪に対する戦いを訴えたのはビンラディンであたあか、ブッシュであったか」)
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印象に残ったのは、オウムの事件が仏教人のテロでないように、イスラム教人のテロとは言えない。それほど彼らの教義も?ということ。
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テロリストの一般論ではなく、個のテロリスト自身に焦点を当てたルポ。9.11の生き残りである20番目のテロリストなど、素性や生い立ちが判明する何人か関して、故郷や家族への取材を通じて、その人となりを解き明かす。「貧困と抑圧がテロを産む」というセオリーは、意外にもテロリスト側が捏造したイメージに過ぎないという。事実としては、そこそこ教育を受け、西側文化にも理解あるムスリムが、自らのアイデンティティを見失い、その結果テロリストの道に転げ落ちるケースが多いらしい。
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[ 内容 ]
貧しく純粋なイスラム教徒が、やむにやまれぬ思いに駆られてテロに走る―。
自爆テロにはしばしば、こうした「美しい物語」が付いて回る。
しかし、これは真実だろうか。
現場を歩いてみると、自爆テロが「貧困」とも「イスラム教」とも関係がなく、「中途半端な若者たちの自分探し」の結果だった姿が見えてくる。
「テロリスト」に対する甘い幻想を全て打ち砕く、画期的ノンフィクション。
[ 目次 ]
第1章 移民二世ザック「自分探しの旅」
第2章 スラムの勝ち組
第3章 モスクの外、刑務所の中
第4章 テロリストの妻たち
第5章 哀しき改宗者
第6章 乗っ取られた村
第7章 劣等感がテロリストをつくる
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
ゼミで使用。
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なるほどな。ってかんじ
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各国各地で続発しているテロ。
テロリズムの宗教的・政治的背景は深遠ですが、
この本には、実際に自爆テロを行った人達、行うに至った経緯が克明に書かれています。
そこには、妄信的であったり、イスラムのイマムによって扇動されたりと、
民族のアイデンティティや国や信教を蹂躙され、聖戦に燃え立つ、というより、
お坊ちゃま達の社会不安と、差別への憎悪がパレスチナなどの悲しい現状と自己を猛烈に重ね合わされて、殉教を選んでしまう
という、聖戦とは程遠い自爆テロの根源が見えます。
情熱ばかりが先立ち、コーラン(聖典)への造詣の浅いテロ実行者達が多いのは、イマムは若者達を爆弾くらいに
しか思って無く、またその様に教育しているからでしょう。
なぜ・・・ 日本人の多くは、そう感じていると思います。
そして、多くの事を知ったとしても、その問いはきっと消えないと思います。
なぜなら、大多数の日本人にとって、理屈では解っていても、実際には一神教は理解しがたいからです。(キリスト教徒や、イスラム教徒は多数いるけども)
何が、誰が、どこが正義で、悪なのか・・・宗教問題に於いては、個人的には、どこにでも悪はあっても、正義はどこにも存在しないと思っていますが、
日本人の史観ででも見極めておいた方がいいのかもしれません。この本は、その一助になるかもしれません。 -
○大
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かなり偏りがあると思うけど、政治的な感覚でしか物事を判断していない時はミクロの視点やジャーナリズムの視点に立つために読んでみる価値ある本だと思う。
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人間は系統で判断し、ステレオタイプを抱く。確かに傾向は生まれるかもしれないが、それはとっても怖いことなんだ。