神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する (新潮新書)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106107634

作品紹介・あらすじ

「縄文ネットワーク」と「海の民」の正体とは? 「神武天皇は実在していないでしょ?」。そこで立ち止まってしまっては、謎は永久に解けない。『日本書紀』と考古学の成果を照合して到達した、驚きの日本古代史!

感想・レビュー・書評

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  • 2019/09/15

  • 考古学をもとにした通説にページを大きく裂きつつも、最後は想像力たくましく仮説を展開するかたち。荒唐無稽とまでは言わないけど、まぁ話半分くらいに考えておけばよいかも。

  • テーマ:推理

  • 弥生時代中期以降、農業が発展し地域ごとにクニを形成し小競り合い、3c初頭にヤマトの纏向に集まり政治と宗教に特化された都市が出現、3c後半から4cにかけてヤマト政権が誕生し東北北部を除く広域流通ネットワークが構築される。前方後円墳という埋葬文化を各地の首長が受け入れ先進の文物をヤマトの王が分配、ゆるやかなつながり「ヤマト政権」
    著者の主張は、王家の母型の祖は縄文の海人の末裔、神武天皇は疫神を退治する役割で九州から連れてこられた、との2点。
    纏向遺跡の外来土器の割合:東海49%、山陰・北陸17%、河内10%、吉備7%、関東5%、近江5%、西武瀬戸内3%、播磨3%、紀伊1%。
    3つの謎、1:弥生時代後期の動乱がヤマト建国によって一気に収まり奈良盆地周辺に戦いの痕跡がない、2:弥生時代後期にもっとも鉄器を保有していたのは北部九州で奈良盆地は過疎地帯、にもかかわらず3c初頭に人が集まり北部九州は出遅れた、3:ヤマトの王は強い権力ではなく各地の首長によるゆるやかな連合体がうまれた。
    =>戦乱の時代に富も力もない奈良盆地に一気に人々が集まりそれまでの混乱を平和的に解決してしまった。
    後漢の衰退により朝鮮半島も混乱、楽浪郡、帯方郡ができ、それらの影響で倭国大乱。
    魏志倭人伝では2c後半に女王卑弥呼、3c半ばに男王が立つも服さず千余人が亡くなり、台与が立つ。一方で3c後半から4cに纒向遺跡には箸墓に代表される前方後円墳の原型が完成、各地の首長が受け入れ平和な時代が到来した。
    最新の考古学では、縄文時代と弥生時代の断絶はなく、北部九州沿岸では縄文の伝統を引く先住民が稲作を自主的に選択し渡来人と縄文人との共存。
    食料が計画的に生産されるようになり、人口増加、新たな農地と水利をめぐって争いに。環濠が作られ、外敵から身を守るため高台に高地性集落を形成。北部九州は鉄器を大量に保有。それより東の地域は警戒し対策を立てる。
    高地性集落は瀬戸内海沿岸部から淀川を遡り石川県にまで到達、3cに近畿と周辺で3度めのピークを迎えたあと消えて行く。
    北部九州は東に鉄を流さないため関門海峡を封鎖、出雲と瀬戸内海側の吉備も北部九州と同盟?
    出雲では青銅器を使った祭祀をやめ四隅突出型墳丘墓が出現、吉備には楯築弥生墳丘墓が(双方中円式墳丘墓)。2c末から3c初頭に三輪山山麓の扇状地に人が集まり政治と宗教に特化した都市が出現。人々は前方後円墳を作る行為を祭りとして喜んで引き受けた。
    弥生時代のある時期まで、瀬戸内海から東側には比較的平等な階級差のない社会、銅鐸文化圏?
    北部九州に強い王が生まれていく中、異なる統治システムの構築を。
    畝傍山と橿原宮の周囲に九州の海人、大友氏と久米氏。隼人。阿曇氏
    海の神、綿津見神、住吉大神、宗像三女神、北部九州と関わり深い。
    阿曇氏は奴国の王族出身?
    阿曇氏発祥の地は筑前国糟屋郡阿曇郷(福岡市東部)、志賀島の志賀海神社を祀ってきた。小童命は阿曇連の祀る筑紫の斯香の神。阿曇氏は海人の長、海部郡や海部郷は日本各地に点在。
    対馬の和多都美神社の宮司も阿曇氏。奴国と対馬の関係。魏志倭人伝の対馬、壱岐、奴国、不弥国の副官はヒナモリで共通してる。奴国と伊都国はライバル関係。
    倭の海人は卓越した航海術をもつ。中国の白水郎。呉越。
    対馬、壱岐は縄文時代から日本。倭の海人の重要な貿易拠点。
    遣唐使船のような構造船は難破で沈むが、丸木舟や丸木舟ベースの準構造船は絶対に沈まないので助かる確率が高い。
    鹿児島県霧島市の上野原遺跡。縄文早期に南部九州で安定した定住生活。貝殻文様の土器。
    鬼界カルデラの噴火により南部九州の住民は日本各地へ。燻製技術や丸木舟をつくる道具。南部九州はもとはスンダランドの海人で、スンダランドの水没により移動してきた。
    南西諸島から九州の西側を通って日本海につながる海の道。

  • ●日本書紀編者に歴史改竄の動機ならあった。実権を握っていたのは藤原氏で、自家の正当性を証明するために、「輝かしい名門豪族たちの歴史」は邪魔になり、ヤマト建国にさかのぼって、真実を抹殺してしまった可能性が高い。特に蘇我氏。
    ●有機物に含まれる炭素14が5730年で半減する性質を利用して、遺物や遺跡の絶対年代を図る技術だ。
    ●この本は、ヤマト建国の真相を大きな仮説を用意して明らかにしようとする試みである。その仮説とは「王家の母系の祖は縄文の海人の末裔」でありまた「神武天皇は疫神を退治する役割を期待されて九州から連れられてきた」と言うものだ。
    ●農業は人口を増やし、新たなの家と水量求めるようになり、争いになる。戦争の始まりは人類が農業を選択したため。
    ●仮説其ノ弐。神武天皇と崇神天皇は大和建国時の同時代人だが別人であり、最初に収めていたのが崇神天皇で、九州から神武を呼び寄せたのではないか?欠史八代は実在しないで。
    ●奈良の纏向遺跡に行ってみたい。

  • 創作だとされている日本書紀の記述と考古学の成果を照らし合わせて、ヤマト政権の成り立ちや邪馬台国との関係について仮説を立てて説明している。聞いたこともないような大胆な仮説なのに、これは現実味がそれなりにあるのかもしれないと思わせる物証や推測が並べられている。なんとなく、自分が知っている物理学のやり方に近いところもあって、面白いと思えた。
    181023

  • 卑弥呼はほとんど出てこないし、天皇のスタートが南部九州である仮説の本。

  • イマイチかな。

  • よくある古代史本の一つに過ぎないという印象を持たざるをえない。現在わかっている事柄自体はアップデートされてる:10代目天皇と同時期に神武天皇が南九州から魔除けのために連れてこられた、神功皇后が邪馬台国の卑弥呼を倒してトヨとなって、ヤマトと反目しあうようになったなどという仮説、というかお話。

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著者プロフィール

歴史作家

「2023年 『日本、中国、朝鮮 古代史の謎を解く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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