知の体力 (新潮新書)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106107641

感想・レビュー・書評

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  • f.2021/9/29
    p.2021/7/23

  • ああ。自分の可能性を詰んでしまわぬよう、まだまだ努力をしよう。

  • 大学の課題としてあまり前向きな気持ちで読みはじめたわけではない一冊だったが、自分がこれまでに得てきた見識を綺麗に言語化されたような、非常に明快で学ぶ意義の本質を絞り出した本だった。
    各章どれもが腑に落ちる内容であり、大学入学前にぴったりな一冊だった。

    しかしあえてこの本の趣旨に沿って自分なりに疑問点を挙げるとするならば、本文II部4編の自分「らしさ」の捉え方に違和感を感じた。
    自分「らしさ」とは、必ずしもそれが自分たらしめるための呪縛ではない。その人の経験の中で気付いた新たな自分の側面を、忘れず取っておくための袋のようなイメージを私は持った。

  • 大学では何も教えてくれない。自分で学ぶ場所。
    これ、漫然と大学時代を過ごした私には耳が痛い。でも大学で得た仲間とか気づきは一生ものだった気がする。
    若い人に、できれば大学入学前に読んでもらいたい本。

  • 1ページとして読み飛ばせない。色々深くて考えさせられて味わい深い1冊。

    京都大学は諸君に何も教えません。諸君が自分で求めようとしなければ、大学では何も得られない。

    高校までは先生が知っているはずの答えと自分のものが一致すれば正解という世界。
    だが、正答は1つしかないと思うのは危険。答えのない質問もある。何一つ絶対的な答えというものがない実社会。問いがあって答えがない、宙吊り状態に耐える知性。答えがないことを前提になんとか自分なりの答えを見つけようとする意思。

    小さい子供は〈他者〉を知ることによって初めて〈自己〉というものへの意識が芽生える。「自我の芽生え」は他者によって意識される自己への視線である。自分を外から見るという経験、これはすなわち学ぶと言うことの最初の経験なのである。

    以心伝心では伝わらない。あなたは私については何も知らないはずだと懇切丁寧に説明する。
    能動的に聞くために質問の量が多くなるのは当然。

    勉強や読書は「こんなことも知らなかった自分を知る」「自分を客観的に眺めるための新しい場所を獲得する」「自分では持ち得ない〈他の時間〉を持つ」「過去の多くの時間を所有する」ということ。

    科学において「対照」をいかに取るかが重要。科学における実験とは「対照」との間の〈差〉を見出すこと。

    十分な知識を身につけてから研究を始めるのではなく、研究をしながら、その都度必要になった知識を仕入れていく。これが最も大切な知識への接近の仕方ではないか。

    英語圏で若い時に生活する利点は「世界と自分は同じ地平に立っている」という認識、「なんだ自分でもやれるじゃないか」という実感。ここだけが世界ではない。世界は望みさえすればすぐそこにある。そこに出ていくのを尻込みするか、やってみようと一歩を踏み出せるか、その決断だけである。

    安全な方を取るか、面白い方を取るか。どちらを優先するかは、その人間の生き方にとって極めて大きな意味合いを持つ。一回しかない「自分だけの人生」を生きる上で大きな意味を持っている。

    自らの可能性に気付く。「らしく」の基準からどうにも収まりきれない部分が糸口では?

    自らが得てきた「知」の集積を個々の場合や状況に応じていかに組み替えて、その場に固有の「知」として再構成できるか、それを自らの手で行えるかが「知の体力」。数限りなく繰り返される失敗の中にこそ、将来自らの力で「知」を有効利用できる戦略が隠されている。まさに「果敢な失敗」。失敗の芽を予め摘んでしまうのは、成功への道を閉ざす以外のなにものでもない。
    いつも手を差し伸べてなされる成功体験は単に困った時は誰かが助けてくれるという安易な依存体質を形成させるだけ。

    ひょっとしたら一生に一度しか使われないかも知れないけれど、その語彙を自分の中に溜め込んでおくことが、生活の豊かさでもある。
    短歌では作者の最も言いたいことは敢えて言わないで、その言いたいことこそ読者に感じ取ってもらう。これはかなり高度な感情の伝達。自分の思い、感じたこと、思想などを表現するのに出来るだけ出来合いの言葉を使わずに、自分の言葉によって人に伝えることが大切。

    妬みに縁のない人間はいない。しかし妬みは常に〈微差〉に由来している。微差だからこそ、その気になれば自分もその妬んでいる相手と同じ場に立つのは可能だ。妬ましいと思うのはそれが微差だからこそなどだと思えば能動的なアクションや自分の背中を押してやることが可能になる。

    孤独を知ることが自立と言うことであり、孤独の中でしか自分が自分であることの確認はできないものだ。孤独を恐れてはならない。常に誰かと一緒に行動していなければ落ち着かないのは自分と言う存在に正面から向き合うのを避けていることでもある。

    1つの場所だけしか知らない人間にとってはそこだけが生きる場所。そこで否定されたら他に逃げ込む場所は無い。そこが世界の全てであるように勘違いしてしまうとその中の人間関係、その仲間の評価と好き嫌いだけが絶対となってしまって逃げ場がない。「ここだけが全てでは無い」と知らせることと、将来いつここから抜け出せるかと言う具体的な時間を示してやれること。その時間は君の人生の長さの中のほんの一瞬にも近い短さであると示唆すること。窒息してしまわないように。

    コミニケーションはアナログのデジタル化。自分の感情をうまく言い表せない時、言葉と言葉の間にあるはずのもっと適切な表現をめぐって苦闘する。感情含めたアナログ世界をデジタル表現に差し替えようとするのが言語表現。複雑な思考や曖昧な感情などを相手がついに言語化しきれなかった思いや感情を自分の内部に再現する努力、「間」を読み取ろうとする「思いやり」が必要。

    相談されると言う事は、答えを与えてくれる人間として自分が選ばれたと言うことである。期待をされている。相手の悩みをじっくり聞く前につい、自分の考えを述べてしまいやすいが、悩みの奥にあるものが何かを把握する前に出す結論は自分の思考の枠組みを押し付けるだけのものである。

    そもそも悩んでいる人は人の意見を聞きたいと思いながら人の言葉を容易には受け入れられない状態にある。心を閉ざし閉ざしてしまったことで解決法見失った閉塞状態にある。他からの言葉や思想を受け入れるためには自分をとことん吐き出して一旦空っぽになった上でなければ浸透しない。相談事と言うのは大抵聞いてもらうだけで良いのである。

    対話で求められているのは相槌。相手の意見を受け入れることからなされるポジティブな相槌によって、自分のアイデアが展開し、どんどん深くあるいは伸びていくのを実感する時、「結構いいこと考えてるよなぁ」と自分の能力と言うもの蓋が開かれていくのを実感する。自分が全的に受け入れられていると感じることができる時、人間は一歩先の自分に手が届くものである。自分と言う存在が世界に対して開かれていく。相槌でお互いに正のフィードバックをかけ合う。

    親はおだて上手であることが必須。子供がある思いつきを話し出したら「それで次はどうするの?」と話を次に進める。1つの思いつきから次のアイディア、手順、経路など様々な可能性について自分で考え進められるように背中を押してやるだけで自信が持てるし、成功体験と同じような効果を持つ。


    ある特定の相手の前に立つと自分が最も輝いていると感じられることがあるとすれば、それはすなわち相手を愛していると言うことなのだろう。その相手のために輝いていたいと思うことがすなわち愛すると言うことなのである。輝いていると感じられるのは相手の前で呼ばなくてもいい、生身の自分がさらけ出せると思える時にしか実現しないものだ。後見せたい見て欲しいと言うたから寄せてありのままの等身大の自分でいられる。夜は無いでも自分の1番良い面が現れる、その人の前で話
    をすると自分の可能性がどんどん開けていく気がする、それら全ては愛情が後ろから押しているからこそ実現する自己発見である。

    愛情の第一歩は一緒にいるのは楽しい、一緒にいることそのものが大切な時間として意識できる、そんな単純な感情であろう。もう一つ一緒にいることによって自分の良い面がどんどん出てくると感じられる相手こそが本当の意味での伴侶となるべき存在なのだと思う。相手の良い面に気づくその意味に気づく自分がうれしく感じられる。どんどん自分が開いていく気がするお互いにそんな存在として相手を感じられる関係こそが伴侶。心から喜んでくれる人がいなければ

  • 一見面倒そうな、私の苦手なタイプの難しい本なのか?と思いきや、中身素晴らしいです。
    分かりやすく書かれている、バイブル的な本。
    メルカリで売らずにずっと手元に置いときたいです。

  • 大学教授が書く、学生へのメッセージが満載の新書

  • 確かに大学が過保護になり過ぎている。薬学部など、国家試験が控えてる学部のほとんどは試験対策の予備校化している気がする。

  • 世の中には答えしかないと思っており、誰も出してない答えを自分が出せるかもしれない、なんて発想はなかった。小さな疑惑でも、自分で答えを出せるよう、考えたい。

  • まだ考えがまとまっていないことでも、自分の存在を受け入れてくれている人の相槌で
    一人では思い至らなかった思考に発展する可能性がある。
    そうして人は一歩先の自分に出会える。

    これってけっこう教育の根幹に近い考えじゃないかな?
    よく「子どもの可能性を広げる教育を」って言うけど、相手の話に興味を持って相槌をうつことが第一歩。何かを教えるのは動画で充分。相手の持ってる可能性を引き出すには人間の存在が必要。

    そのほかにも科学、言語、教育、他者との関わりなどに対する深い考察が覗ける素晴らしい1冊。繰り返し読みたい。

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著者プロフィール

永田和宏(ながた・かずひろ)京都大学名誉教授、京都産業大学名誉教授。歌人・細胞生物学。

「2021年 『学問の自由が危ない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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