PTA不要論 (新潮新書)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106107658

作品紹介・あらすじ

“子どものため”って本当ですか? 強制加入、脱退不可、子供は人質――それって合法? 会員数900万人! 日本最大にして謎のブラック組織を徹底ルポ! その存在を根本から問いなおす。

感想・レビュー・書評

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  • 「論」とは・・・。事例に沿って意見を述べるのは構わないが、思い込み、印象論、偏りがとてつもない。そして感情論を並べてまくし立ててくる感じ。
    一応、PTAの歴史や概要は調べたらしく、根拠がある部分は評価する。

    改革を行うなり、策を論じるなりをして「だから不要です」というのを期待している人には勧めない。そういうものを期待していた私が悪かった。

  • いらないが、結局あるんだよなあ。役員は最悪かよかったかはその人次第

  • まあ要らんだろうが 中から変えないと

  • 一言でいうと日本PTA全国協議会で専務理事した高尾展明さんがクソみたいなやつだと指摘している本。そして進化をやめたPTAはいらないのが共通認識みたいね

  • 刺激的なタイトル。著者の体験した「理不尽なPTAの掟」の数々を列挙し、インタビューを加えて突き進む。嫌な思いをしている保護者も多いことだろうから、ついつい感情的になってしまいがちなテーマがPTA。

    「子どものために」を大義名分に起きながら、実態は国や文部科学省の意を酌まねばならぬ日本最大の有権者組織であり、任意加盟団体であることも周知されずに決めを強制されたり学校のお手伝いをさせられる。こんなPTAはいらない! と結論づけられています。

    もちろん、現状のPTAは理不尽な前例が多すぎると僕も思います。しかし、本書を注意深く読むと、「現状のPTAは不要(だけど任意の保護者団体はあっていい)」という主張と、「PTAはすべて不要(いかなる形でも保護者の組織が学校に付随してはならない)」という二つの主張が微妙に混在しています。

    でも、PTAが必要か不要かで議論をしても、おそらく堂々巡りでしょう。。僕がここでスポっと抜けていると思うのが、「保護者自身が担い手になるかどうかの意志をもっているかどうか」の視点です。ここを押さえておかないと、いわゆる「ただ乗りでサービスだけを享受しようとするのは不平等」という感情論に終始してしまいます。

    PTAは保護者の任意の活動であり、役員を強制すべき性質のものではないと考えます。その代わり、活動内容も「歴史があるから」とか「前例があるから」と押しつけてはならず、やれる人たちが、やれる範囲の仕事をする組織になるべきです。


    自分で役員をやってみて思うのは、PTAの社会的役割は、むしろ高まってきていると思います。いま着手すべきは、PTA活動の担い手を増やすためにどのように体制を変えるべきかとか、保護者が参加できるPTAの具体的な活動ビジョンを提示する必要がありますね。

  • できないものを無理してしない。
    意味のある活動を厳選する。どんな活動でも誰かにとって意味があるから,意味があると認識している人で,できる余裕がある人がする。
    集団を維持することを目標にしない。
    job型で集団を形成し,目標に到達すれば解散。
    ICTを使えばやりやすかろう。

  • 学校PTAに疲れた1人のお母さんのもやもやから、取材を重ねるうちにPTAの成り立ち、組織、そして知らないうちに全日本1700万人の親たちが巻き込まれている謎の組織の存在意義が明らかに…!

    なんでやるのか理由もわからない、意味不明、非効率なPTA活動、そもそもPTAって必要なの?というところから、「実はPTA加入は任意」という、ほとんどの親が知らなかった驚愕の事実が発覚。

    もともと敗戦後、GHQが日本に民主主義を根付かせるために導入したPTAだが、占領統治が終わった後は速やかに文科省配下の団体として教育行政の三位一体(国、学校、地域と家庭)の一角と位置付けられる。

    民主的なプロセスと、国家や学校と対等な立ち位置という立て付けなのだが、内実は、国からの通達を受け取って遂行する下請け御用組織のような側面も。

    そうなると、戦時中に国家統制の一環でお母さん達が駆り出された奉仕団的な容貌を帯びてくる。つまり、強制的な奉仕労働、上意下達の下部組織である。

    著者はPTAにそういう名残を感じ、家庭が国家統制に巻き込まれるアクセス源のような存在に危険を感じている。

    PTAについては諸論あると思うが、基本、活動自体にそんなに実質意味のあるものはそんなにないと思う。記念品を贈ったり、行事のサポートをするだけなら単体でお金やボランティアを募れば良い。

    ただ、行政的にはないと困る。会議や行事に出席して地域の声や住民の立場を代表してくれる存在がいないとカタチが作れないから。そしてその人たちはいろいろ意見や文句を言う人たちではなく、シャンシャンで従ってくれる人が良い。慰労会や上りポストも用意している。
    だから戦後PTAが続いているのだ。

    著者が言う、純粋任意で参加自由が良いというご意見だが、これに関しては△である。
    それだと、PTA自体がアッサリ消滅する学校もたくさんできると思う。で、何か必要がある事案に応じてゼロベースで団体や組織を立ち上げることになるのだろうが、それをいち父兄や少数の有志でやるのは結構大変である。

    あとは、会員が激減したPTAを少数の有志が回すということだが、そうすると残った人たちの負担がアップするし、フリーライダー(会費も会運営の負担も担わず、楽しいイベントの参加や記念品だけはもらう人など)にモヤモヤするはめになる。
    インター校では自由参加PTAだが、それこそ全校生徒の1割くらいの父兄でかつかつ回っている状態。

    卒業式のコサージュを貰えるかもらえないかなんて、あー煩わしい。寂しくっても、記念品やイベントを減らしてみんながリラックスして関われないものか?






  • ●PTAは国立私立公立ことに組織され、学校教育法で規定される「学校」に作られ、そこに付随する組織である。PTAの場合、その結成加入を義務付ける法律の規定は存在しない。あくまで任意加入の社会教育団体と言うことになる。
    ●その目的は①地域社会と一体化②成人教育③学校教育への協力・連携
    ●正真正銘学校のための「お手伝いさん」
    ●ベルマークの集計も大変。大師に貼ったベルマークを会社ごとの専用の袋にまとめて代田に郵送するのだが、所定の用紙に記入しないといけない。この専用の袋は財団から取り寄せる必要があり、他社の袋を流用するのは厳禁。
    ●30人で作業して数千円にしかならない。これならパートの時給を寄付したほうがマシ。わけのわからない膨大な手間を強いられ、労力と時間を吸い取られる。
    つまりは「女の人件費はタダ」と言う考えが教育業界に根付いている。
    ●PTAはGHQ指導の下で行われた、教育の民主化の流れの中で導入されたもので、発想はアメリカのものである。

  • 私はPTA本部役員経験者です。
    本部役員といっても、何も特別な権限はありません。あえて言うなら、臨時総会を開けることぐらい?でも、そんな煩わしいこと誰もやりたがりません。定期総会の準備でさえ煩わしいのに…。笑。
    なのになぜか、特別な権限があると思われているのが苦痛でした。本部→窓口さんか雑用係とかクレーム処理班にでも名前を変更すればいいのにと思っていたぐらいです。

    運動会など学校行事のお手伝いさんという点は異論はありません。笑
    でも、お手伝いしてわかりましたが、いろんな保護者がおられるので(前列での日傘やイスの使用禁止、立入禁止ゾーンに入るなどルールを守らない。何かにつけて思い通りにいかないとクレームを言う。祖父母がシルバー席のイスを勝手に移動するなど、挙げればキリがありません。)子どもたちの面倒を主に見ていただく先生方に正直、そこまで負担を強いてはまわらないと思います。毎年どなたかが裏方で頑張っていたおかげで運動会は開催されていたのだなぁと感じました。運動会のみならず、音楽会など学校行事のほとんどに言えることですが…(^_^;)

    結局は、学校の先生方とメンバー次第で、良くも悪くもなるのだと思います。

    この本の内容ほど酷いとそりゃ不要かと思いますが…取材対象が偏っていると思います。
    もう少し、成功例を取材していただけた方が、解決の糸口になったのでは?と思い、残念です。

    私は、役員を引き受ける前に
    「PTA活用論」を読みました。
    こちらの方がおススメです。
    少なくとも前向きに捉えるにあたっては。

    紅白饅頭の記念品などはなくす。
    その分、図書室の蔵書を増やすなど、直接子どもたちに還元されるといいのでは?
    できるところから手をつけていけば良いだけの話。方法はいくらでもあると思います。

    ただ、PTAに限らず話の通じない人はいるので、
    そんな人とは上手に距離を置き、淡々と作業をこなすのみというだけなんですが、そこが意外と難しいのでは?感情的になって揉める原因になったり、ということも見聞きしたことは幾度となくあります。
    結局は、子どもの喧嘩と同じ。
    解決したいのではなく、自分の言い分をぶちまけてスッキリしたいだけなのでしょう。
    そういった方は、おのずと孤立していきますので、そこそこコミュニケーションスキルがあれば、やり過ごせると思います。

    まぁ、本にしろテレビにしろ、これだけメディアで負の側面を煽られると、そこそこ上手にやってるところはやりにくくなるでしょうね。

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著者プロフィール

黒川祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家。1959年福島県生まれ。東京女子大学卒業後、弁護士秘書、ヤクルトレディ、業界紙記者などを経てフリーランスとなる。おもに事件や家族の問題を中心に執筆活動を行っている。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社文庫)で第11回開高健ノンフィクション賞受賞。その他の著書に『熟年婚 60歳からの本当の愛と幸せをつかむ方法』(河出書房新社)、『「心の除染」という虚構 除染先進都市はなぜ除染をやめたのか』(集英社インターナショナル)などがある。


「2018年 『県立! 再チャレンジ高校 生徒が人生をやり直せる学校』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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