- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106109133
作品紹介・あらすじ
「先の大戦」は正しく「大東亜戦争」と呼ぶべきである。当代最高の歴史家が集結し、「あの戦争」の全貌を描き出した! 二分冊の上巻では、開戦後の戦略、米英ソ中など「敵国」の動向、戦時下の国民生活の内実などに迫る。
感想・レビュー・書評
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最初は「失敗の本質」のような戦略面からの日本の失敗を書いたものかと思いましたが、日本という立場だけでなく、アメリカやイギリス、そして中国から見た太平洋戦争と言うのが興味深かったです。
先進的なアメリカでも、海軍や陸軍で利益が異なり、一枚岩てなかったと言うのも始めてしりました。ヨーロッパと太平洋の2面同時に動けるのはアメリカぐらいかもしれませんが。ドイツこそが本丸と言うのも、納得出来ます。
中国もまた終戦間際に、日本からの和平を持ち込まれたりとした話もあったのですね。
今の政治家と、戦中の政治家は、そんなに変わらないのかなと想います。他人事のようですからね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
冒頭が太平洋戦争ではなく大東亜戦争というのでイデオロギー色の強いものかと思えばさにあらず。太平洋という米軍相手のものではなく、英米中ソとのそれぞれにある程度独立したものが重なった複合戦争で広域で行われたことと、戦争目的が開戦時の自存自衛から大東亜新秩序建設に変容していったことを主な理由としている。
その前提の下、各章は別々の著者の下、オムニバス的に展開されるが、英米の戦争指導を概観した2章、中国国民党・共産党の戦争観や指導方針についての3章、財政金融面からの6章が、自分にとっては大東亜戦争を見る新たな視点として、特に面白かった。 -
帯にでかでかと「「太平洋戦争」ではなく、なぜ「大東亜戦争」と呼ぶべきなのか」「イデオロギーを排した歴史研究の蓄積で見えてきた真実」などとあって、どんなもんかと思って買ってみた。
しかし正直「大東亜戦争」と呼ぶべき理由についてはよくわからなかった。「太平洋戦争」がアメリカの史観の反映で、日米同盟の深化とともに「イデオロギー性を失っていった」とともに、日本人の大戦についての「認識も薄れていった」(20-21頁)という。その見方が正当かどうか、分析もないのでまずよくわからない。
それを置いておくとしても、じゃあ「大東亜戦争」という名称を使いましょう、という論理展開は全然理解できない。人々に大戦への認識を深めてほしい、というのであれば、戦争の名称にこだわらなくてもいいだろうし、「大東亜戦争」という名称を選択する必然性もないだろう。
また、各論でも「大東亜戦争」という名称を選択した理由とかかわる叙述はない・・・と思う。それどころか、思い切り「太平洋戦争」という言葉を使っていたりする(114頁とか)。そして、僕が知識不足のせいもあるかもしれないが、叙述があんまり面白くない。淡々としているというか、不親切というか・・・。かなり知識のある人向けの叙述なんだろうな、という感じで専門外の人間にはなんだか辛かった。 -
東2法経図・6F開架:210.75A/Ke63k/1/K
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上巻は6章。登場する当事者の多さがまず印象的。米英ソ中(重慶、南京、共産党)、それに東南アジア「独立国」。米国相手の太平洋戦争、という狭い視点では見えてこない。
対米開戦の最も重要な目標は帝国の経済的生存と帝国圏の自存自衛(ただし長期総力戦も覚悟)だったが、作戦優位の戦争指導の中で総合的国力が置き去り。米は、当初は対独戦優先ながら、1943年半ば以降は独日打倒並行に転換。
中国では、蒋介石は日米開戦に喜ぶも、連合国からの扱いには不満。共産党でも好機とは見たが、実際に行ったのは一部ゲリラ戦のほかは宣伝・工作中心。繆斌工作ほか日中和平工作の信頼性自体もさることながら、日本側のグダグダぶりにも暗澹たる気持ちになる。
大東亜共同宣言は所詮虚構と思っていたが、ウィルソン的国際主義や国際公共財的な思想との類似性、そして何より陸海軍当局(軍の支配と統制)と重光葵ら外務省(「政治外交」の復権)の考え方の違い、など興味深い指摘があった。