- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106110092
作品紹介・あらすじ
「お前、例の件だけど、評判悪いよ」――親切そうに教えてくれる先輩の一言。言われれば気になるのは人情だが、実は典型的な「聞いてはいけない職場言葉」なのだ。仕事での悩みの多くは、この種の言葉によって引き起こされている。本当はスルーしてもいいような言葉に影響されたり、流行り言葉に振り回されたりしないためには、どうすればいいのか。困った言葉から解放され、前向きに働きたい人のための解毒剤。
感想・レビュー・書評
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読みやすいのですが、残らない。。
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https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/568275 -
2023年10月読了。
53ページ
カタカナ語で「エビデンスは?」とか「リソースは?」とか言っちゃうのは思考停止ワードなので注意してるけど、オジサンゆえに諺、熟語、慣用句は割と多用しがち。でもこれらも思考停止ワードっていう意味では同じだよね。職場で何か言った気になるってのは危ないわ。
54ページ
経験が長い人の意見に左右されるのではなく本当にゼロから仮説を考えて、空論を恐れないで挑戦する組織も着実に増えていると思います。
→ 「着実に増えていてこの停滞ぶりは何?」とツッコミたいが、大事にしたい発想ではある。
76ページ
「本当に困った老害」として「非公式な権力構造」とあり、思い当たることが実に多かった。「昔からこのようにやってますから」みたいな何気ないワードも「過去からの蓄積」をかさにきた非公式権力の行使だと思う。
113ページ
本当に「風通しのよい組織」にしたいのであれば、経営層や管理職が余計なことをしないのが一番
→まあそうだろうね。風通しのよさを求めてしまうような風通しの悪さというのは確実にあると思う。
121ページ
ワークライフバランスについての言及。
何もワークを蔑ろにしてよいとはさすがに思わない。誰を向いて仕事をし、仕向け先にとって質の高いものを提供する、このあたりは一人ひとり考えた方がよいと思う。もちろんだからといってライフを蔑ろにしてよいわけがない。
122ページ
鷲田清一さんの引用。早速読んでみたい。
130ページ
「他人に迷惑をかけない」みたいな発想はまあ持っていた方が一般的な社会生活を営む上ではよいかもしれないが、多分それだけでは圧倒的に何かが足らないだろう。 -
言葉は、人を傷つける。発言者は、傷つけるつもりはなくても。この本の言葉は悪気なしで「言って何が悪い?」と思われて使われる。改めて自分の肝に銘じ、まずは使わない、そして、そのニュアンス言葉を使うなら、言葉を選び、文脈を考えて使う。そう学ぶ。
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聞いてはいけない:スルーしていい職場言葉 (新潮新書)
さまざまな言葉に対する誤解やすれ違い、また知らないうちに言葉に縛られているようなケースがたくさんあることに気づいたのです。
私がそのようなことに気づくようになったのには、三つの視点があったと考えています。
1つは、言葉の意味が時代や文脈によって変化するという視点です。これは、マーケティングの基本的な考え方と密接に結びついています
2つ目の視点は、言葉が人の気持ちや行動にいかに大きな影響を及ぼすのか? ということです。人が他者に対して直接発する言葉は時には縄のように受け手を縛ることもあれば、また解放することも可能です。
3つ目の視点は、 メディアの中で行きかっている言葉がある時点から妙な存在感を持ち、時によっては手が付けられないようになっていくということです。たとえば、インターネットから自然発生的に出てきた言葉が、妙な流行り方をしているうちに思考を停止させてしまうようなケースです。
第1章 聞いてはいけない大人の説教
「評判悪いよ」というような言葉遣いをする人は、本当に狡猾だと思います。意図的なのか、それとも無意識なのかはわからない。でも、いずれにしても気をつけた方がいいでしょう。
なぜなら、その人は相当に「世論操作に長けた人」だからです。
一つひとつ解きほぐして検討して、 代案を考えることが判断する側の役目です。そこで「絶対大丈夫か? 」というのは「何も考えていない」と同じだと思います。
日本人が不確実性を好まない真の理由はわかりません。ただしいろいろな角度から見ていくと、「不確実性を避けてもどうにかなってきた」ことがそういう価値観をもたらしたのではないでしょうか。
政治家が「寄り添う」という言葉を使う時の発言を見ていくと、あることに気づきました。
具体的なプランがハッキリと提示されていないことが大変に多いのです。
耳あたりのいい言葉は、実は具体的な情報量は少ないことが多いのです。「寄り添う」もいつの間にかその典型になってしまったのでしょう。
ついつい人の気持ちに入り込み過ぎてしまう人もいます。ポジティブな気持ちを分かち合えるときはいいのですが、ネガティブな感情までも一緒に背負ってしまう危険があります。
こうした現象は「共感疲労」といわれます。
「『撤退戦』を苦手とする風土」という指摘もあります。また「『言ったもん負け』の文化」があると書かれているものもあります。つまり問題点を指摘したら「じゃあお前がやれ」と負担が増えるために、結局誰も言い出さないということです。
二言目には「机上の空論」という言葉を発する人がいます。そして、彼らにはこんな傾向があると思います。
・そもそも、提案されていることが自分の理解力を超えているためによくわかっていない。だから空論に見えてしまう。
・理解は何となくしているけれど、それは現状から大きく変革することであって、いまさら面倒くさい。だから空論と言っておきたい。
以前、ある人から「スペシャリストとプロフェッショナルの違い」というテーマの話を聞きました。
スペシャリストは特定の分野に精通していて、その業務についてはトップクラスの能力を持つ人。
プロフェッショナルは、なんらかの目的達成のためにあらゆる可能性を考えて、最適な方法を導き出し、成功に導くことができる人で、 分野を超えて結果を出せる人もいます。
この二つの最大の違いは、何か新しいことをおこなおうとする時にハッキリするといいます。
プロフェッショナルは「何とかする方法」を考えるのに対して、スペシャリストは「できない理由」をズラリと並べるというのです。
「やりたいこと」をするだけでは、仕事としてそうそう成り立たない。まずはこの現実からスター卜するべきだと思います。
夢というのは「こうなればいいなあ」と自分の中からジンワリと湧いてくるもので、人から煽られるものではありません。「なにか夢を持たねば」と追われて見るのは、むしろ悪夢ではないでしょうか。
第2章 新しそうだけど正しいのか
非公式な権力構造は、日本企業が停滞してきた大きな原因の一つだと思います。これこそ「老害」として糾弾されるべきことでしょう。
「終わった」「オワコン」と言うのは簡単ですが、苦境から復活した製品やサービス、ブランドは他にもたくさんあります。仕事に真剣に取り組んでいる人なら、そんなことは決して言わないでしょう。
スポーツはケガなどによって、休養を余儀なくされることがあります。この「自分ではどうしょうもない時」にどうするか?複数のアスリートの話に共通することは、「復帰した時のために、できるトレーニングをして準備すること」であり、「起こったことを過度に振り返らない」ということでした。まさに「次を予期して備える」を実行しています。反省はしても、「ああすればよかったのに」と悔いることはメンタルコントロールの上ではマイナスになるということです。
人が生きていて「うまくいかないな」と感じた時に、すべてを自分の責任で反省することは難しいと思います。ある程度、周囲のせいにすることは仕方ないでしょう。
しかし、うまくいかないことを「自分で引き受けてどうにかしよう」という人もたくさんいます。仕事でも一定の成果を挙げてきた人は、そういう気構えで常に取り組んできています。
いっぽうで、「自分で引き受ける」発想がない人は、いつまでも自分の問題を棚上げして、環境に理由を求めます。
成長のためには努力が必要で、努力は負荷を伴い、負荷は疲労にもつながる。疲労は過労にならないようにすれば、やがて回復します。
ところが、そんな当たり前のことが言いにくくなってきました。いわゆる「働き方改革」が進む中で、働くことの本質が見えにくくなり、表面的な辻棲合わせが増えてきたからだと思います。
「バランス」自体が目的化してしまっている若い社員も増えています。
「無理をしない」ことを「努力しなくてもいい」と思い込んでいる社員は、多くの場合ワーク・ライフ・バランスを自分の都合で解釈して目的にしているようです。
耳に心地よい言葉が、人々を迷路に入り込ませているのがいまの職場で起きていることです。その結果として、いろいろなポジションの人に、不満と不安がたまっているのです。
第3章 呪縛の言葉から解放されよう
日本は戦後のある時期までは「迷惑をかけるな」
という規範でやっていても、そこそこうまくいったのではないでしょうか。しかし、さまざまな国の人々と仕事をして競っていく中では、 その発想を変える時が来ているように思います。
「オ—プンな風土」や「風通しのよい職場」というお題目があっても、うまくいかないのはこの辺りが原因だと思います。耳が捅いことに対しては、結局聞こえないふりをする人が多いのです
「これが好きだ」「この人を支持している」、そうした気持ちを普通に保っていられない。そして、 自分と好みが異なる人を攻撃してしまう。
こうなってしまう原因を考えると、その人は自信がなく、むしろ強い不安があるのだと思います。自分が否定したいことを支持する人がいる。それ自体が不安の原因なのでしよう。それが過剰な攻撃性につながっているように思うのです。
日本人がデジタルに馴染まないというのは虚構だと思います。それよりも、いまの環境に満足していることで、ついつい新しいことへの挑戦を忘れてしまっていることが大きな理由なのではないでしょうか。
「コンピュータで代替するうえでのボトルネック」がいくつか挙げられています。そして、その中でも興味深いのは「ソーシャル・インテリジェンス」というものです。そのまま訳せば「社会的知性」とでもなるのでしょうが、「説得」や「交渉」あるいは「社会的な洞察力」「他者を気づかい助けること」などが含まれます。
このソーシャル・インテリジェンスが重要となる仕事は、必然的に「代替されにくい」ことになります。一方で、ウエイターやウェイトレスはかなり代替されやすいとされています。バーテンダーですら、代替性は高いようです。しかし、ここで疑問が湧いてきます。接客業こそ、実はソーシャル・インテリジェンスが必要ではないでしょうか?
誰にでもできる仕事があるわけではありません。せっかくの機会を「誰にでもできる仕事」にしてしまう人がいるだけなのです。
ー八の言葉を通じていろいろ論じてきましたが、これからの言葉との付き合い方がいくつか見えてきたように感じます。
まずは、本来の意味があいまいになってどこか怪しげになっている言葉を再定義することです。
言葉の定義を変えることは、行動を変えることにつながるはずです。次に、負のパワーを持つ言葉との付き合い方を見直すべきです。
そして、仕事の「新しい動き」を止めようとする言葉を追い払って、前向きな気持ちを持てるようにすることが、もっとも大切なはずです。 -
職場を判断するバロメーターにもなるなと思った
とはいえそこで出来る仕事をどれだけ面白く出来るか、成長の糧と出来るかに頭を使えてない自分になってないか気をつけるようにしたい。