金槐和歌集 新潮日本古典集成 第44回

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  • Amazon.co.jp ・本 (327ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106203442

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  • 小林秀雄より。
    新潮の古典集成は注釈や解説、索引がとても充実してゐるが、時にさういつたものが、読んでゐる人間が直接ことばから受け取るものや、自分のことばで歌を感じ、実朝の姿をみることに邪魔をすることがある。古典を讀み易くするといふことは、現代語に必ずしも置きかへることではないと思ふ。
    それはともかく、小林秀雄の実朝から興味をもつて読んでみやうと思つてゐたが、それから随分時がたつて、中身がすつかり頭から抜け落ちてゐた。さうした中である意味、ひとり実朝にとりかかつた。
    目に映る景色だけでなく、必ずそこに、それをひとり眺める実朝がゐる。目の前をよぎる流れを、喜びも哀しみも、生れるものも消えるものも、それをみつめるまなざしが、ある。それが最後まで離れない。
    ひとつの流れの中に彼がゐた。過去の人間も彼と同じ様に花や月、空を眺めてゐたといふのに、やはり、それでもみつめてゐるのは彼なのだ。感じられるのに、彼に触れられない。すぐそこに立ちつくしてゐるのに、近附けない。さうした世界に堕とされる。ただただ彼の唄う歌だけが、心地よく、それでいてなくなつてしまひさうで。柳のやうなしなやかな実朝の姿。
    新古今に漂ふ流れていくものへの慈しみ、悲しさ、その中におかれた自分といふ存在への気づき、彼の歌はさういつたものではない。流れていくものの中にあつて、たつたひとり立ちつくし、その一瞬を自分の身体で精一杯感じとつてゐるやうな、そんな歌。
    本歌取りの観点から、彼の独自性について解説がなされてゐたが、それだけではたぶん彼の歌を感じることは難しいと思ふ。同じ景色をみてゐるのはこの自分であつて歌を読んだ過去のひとではない。けれど、わたしも今、それを感じることができる。わたしも流れの中に生れてゐるのだから。彼の歌にあるのはたぶんそんな感覚。万葉調だのなんだのといふよりは、自分がどうにもならない存在であると知つてゐるやうな、逆説的な強さなのだ。
    彼の育ちに纏はる暗い出来事、官位に対する執着や謎の船の建造、暗殺直前の出来事など、様々なエピソードが残されてゐるが、たぶん理由はつけやうと思へばどうにでもつけられ、そのどれひとつをとつても彼の存在を説明するのには不十分であるだらう。けれどかういふ歌を詠んだ人間であることには変りないのである。

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