悲しき熱帯 下

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (367ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120007545

感想・レビュー・書評

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  • 96年頃に上下巻を通して読了していた。そして今回、きっかけあって再読(諸所を拾い読み)。
    新たな魅力と深みを再発見し、うれしい驚きを感じている。
    以前読んだ際は、ブラジル到着までの道行や前半生の回顧が冗長に感じられた(上巻のほとんどを占める。)
    (恥ずかしながら、初読後に記憶に残っていたのは南米ブラジルの海岸線の地形を描写した一節だけであった。)だが、今回およそ30年ぶりに再読すると、以前は冗長な脇道とも思われた部分を、とても味わい深く感じている。
    そもそも、全巻の書き出しが「私は」という1人称である。
    「私は旅や探検が嫌いだ。」という1文から語り始めるのだ。
    その後も、随所で「私は」という語り出しが繰り返される。そう、文学的なのである。
    そのためもあり、 今回思わず知らず、文学として読んでいた。 するとなんとも味わい深いのであった。
     自身の前半生の回顧、自身の思想の形成を見つめる営みが、随所に織り込まれる。ただ、クロードシモンのようなバラバラな手法ではないので、そういう想いや思索の流れにすっと自然に寄り添っていける。メモワールというのだろうか。思い出に包まれたゆえのやわらかく心地よいものを感じた。

    アマゾン奥地の諸部族の懐に入っての現地調査の各章もある。だが、今回はむしろ、そうした純学術的な部分よりも、筆者レヴィ・ストロース自身の思考が語られる部分にこそ、大いなる魅力を感じている。
    そして、本書の随所に、深い知見や思索が豊かに書き込まれている。
    ただ、ここでは、本書の成り立ちに関する重要な2点のみ、挙げておきたい。

    ・『悲しき熱帯』は、繰り返しますが、まったく私の職業生活の枠外で書いたもので、一生のうち一度だけ、頭に浮かぶことをすべて、それが正しいか正しくないか、十分裏付けがあるかないかなど、一切顧慮せずに物語ってみようと思って書いた本です。感じたままを書きつけてみようと思ったのです。
     《巻頭 河田氏との対談「22年ののちに 」xxiv(24)頁 (上巻)》

    ・今になって私は、民族学が研究の対象とする様々な文化の構造と、私自身の思考の構造とのあいだの親近性のために、それとは気づかないうちに私は民族学に心を惹かれたのではなかったか、と考えてみることがある。
    《 第2部 6章「どのようにして人は民族学者になるか」79頁 (上巻)》

    また、本書の白眉は38章「一杯のラム」だとされている。実際、わたしが鉛筆で下線をひいた箇所が最も集中していたのも、この章であった。
    マルティニークの薄汚れたラム酒の蒸留所と近代的でピカピカのプエルトリコのラム酒の蒸留所。
    筆者は、両所のラム酒を試飲する機会を得たが、なぜか前者の、必ずしも清潔でない蒸留所のラム酒のほうが美味かったという経験を述べる。そして文化の深みは、例えば汚れや澱のようなものと共にあるのかもしれない、と語る。このエピソードを皮切りに、さらに筆者は評論を展開。文明論へ。また、ここでは「民族学者の立場に内在する矛盾」についても、思考と思索を深めてゆく。ただ、この章はちょっとばかし難解である。

    さて。
    前述したが、筆者の思索と回顧のパートの味わい深さ。その再発見。 読者のわたし自身、初読後の30年の間に、モディアノ、クロード・シモンなどの仏文学の諸々を経て来た、という影響もあるかもしれない。

  • [リブレター2022年11月20日号 紹介本]
    文化人類学を専門としていない学生さんにもおすすめです。自分と異なる文化に触れる時のドキドキ感や葛藤に触れてもらえると嬉しいです。

    【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • いまはどうなってるのか?ブラジル。(といってもとても広いブラジル)

  • 印象に残ったところを抜き出し
    【死者に対する態度。極限まで単純化すると2つの極で表せる。
    ・感謝する死者
    ・企む騎士
    死者の取り分を死者に返す(感謝する死者)
    死者を単なる投機対象(物、所有物)のように扱う(企む騎士)
    前者の死者はおとなしい。
    後者の場合、いいだけ利用している死者のために、社会は乱されている。
    どちらにせよ、生者と死者との関係において結局「二人で分け合う」ことは避けられない。
    どの社会でも、どちらか一方であることはない。一方しか存在しないような社会でも、迷信的な方法で残されている。】

    今の世の中でも死者の取り扱いについては十分例題が見つかるだろう。
    遺体を、論争のおきない場所にそっと安置し、ただ霊の鎮まることを望む仕方と
    論争の真っ只中に遺体を引きずり出して、論敵の鼻先に突きつけるような仕方と

    前者にとって死とは人間のとりうる一つの状態であり、後者にとってはいつでも利用可能なモノであり財産。

  • 何故か涙が出た。

  • 何から書いて良いのか分からない。
    「自分探しの旅」って揶揄の対象だけど、これって究極の自分探しだよなー。途轍もない大冒険の末に手に入れた視点と悲しみはほとんど神のものに近いんじゃなかろうか。
    もっと若い時にちゃんと読んでおくんだった。

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