- Amazon.co.jp ・本 (366ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120026553
作品紹介・あらすじ
恋は生きることの救いとなるのか。なぜ人は人と繋がるのだろう。恋と性と死を見つめ、綾なす女性の心理と生理を克明に描く。
感想・レビュー・書評
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再読
アリス・マンローの作品を読み返すと、国も時代も越えて、なつかしさのようなものを感じる。共感とも違うもの。
描かれるのは、普通の人たちだが、人生の不可思議さを感じる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「なぜ設計が合わず、骨組みがもたないかが分かる、いわれのない喜び、生きていくうえで、矛盾した、執拗で、思いどおりにならないことを、すべてもう一度じっくりと見詰めなおす喜びだ。」
彼女のことばは、心地のよい春風が運んでくれる、解き放たれた馨しい追憶を秘めた心奥からの薫りのようだった。そしてその神秘の泉にいくつもの問いを投げおとす。わたしも、"愛が用意されている場所に留まるべき" だったのだろうか。わたしはすぐに、恋におちた。彼女の感性に。ことばに。そして彼女によって描写されるカナダのそこここの情景に。
時の経過のあまりにも早いさまは、なんだか宿命的で悲しくなってしまう。大量生産された安っぽい品物に囲まれたこの消費社会においての、ある種の試練のような、たとえば、家じゅうをひっかきまわして、ほんとうに価値のあるものや思い出を纏ったものを探しだしたくなるような、そんな衝動をおこさせる。
わたしには、こつこつとした、つつましい生活なんてできないのはわかっている。ひとつのものを、まるで生きているもののように大切にすることもできない。あのころの夢のような情事の記憶だって、ロマンチックを留めることをやめてしまった。だからこその憧憬が、むくむくとかきたてられてしまったのだ。
どこかのガーデンパーティに迷い込んだ夜。しらない人たちの可笑しな話や彼らの情緒の波間でゆれながらgibbous moonを眺めてた。パイとワインと、風にのって漂うさまざな、追想の匂い。わたしたちはまだ みち の途上。
あぁ、カナダにいってみたい!どんな香りがするかしら。むかし、ネイチャー雑誌かなにかであざやかなカナダの湖畔の写真をみつけたとき、涙をこぼしたじぶんに驚いたことがあった。胸の奥で、「懐かしい」という感情が弾けた。その風景をどこかで(テレビや同じように雑誌やなんかで)みた記憶もなかったし、ましてやその場所に行ったことなんてもちろんないのに。
「あの心安さは、うっとうしいものではなく、とても気持ちのいいもので、わたしたちには分からないなにかの巡り合わせとでもいうような、ちょっぴり不思議な感じが伴っていた。」
あとここ。
「彼女に言わせると、夫のレズリーは心が冷たい、浅薄、頑固、感情的けち、義理がたい、正直、高慢、そして傷つきやすい。」
これほとんどの 夫たち に当てはまる(妻たちのおもう夫たち)のじゃないかしらってくらいおかしかった。てんさい。だいすき。
「華麗さが道化へと崩れ落ちる分かれ目に気をつけなければならない。」
「肌の合わない場所や人びとが、頑張り方や物の見方において、わたしたちをざらついた人間にしてしまったのかもしれない。」
「彼女は、さるぐつわを噛まされ、幾重にも重なった退屈な知識の層にくるまれ、しっかり守られているような気分だった。まんざら悪くもなかった───おかげで、頭はすっきりしていた。欲望に駆られていなければ、思索はより穏やかで、ゆったりとしたものなのかもしれない。」
「未来はなにかすばらしいものを自分のために用意してくれていると思っていた。あまり明確には考えもせずに、まるでそう思っているかのように振舞っただけだった。」
「愛は常に自己愛に帰結する。愚の骨頂よ。男がほしいのじゃなくて、精いっぱい男から奪いたいわけ。妄想と自己欺瞞ね。」
「当然の放棄と、剥奪を甘受することによってのみ幸福は得られる、つまり、われわれは死を覚悟するその結果として、いかなる幸福も得られるわけです。僕の考えを変だと思われるかもしれませんがね。」
「わたしは、彼にとって大切なことと、そうでないことを知るのに夢中で、いつも暗闇で手さぐりしているのかもしれない。」
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『チャドゥリーとフレミング』
アメリカ南部小説っぽい。フラナリー・オコナー、カーソン・マッカラーズ、フォークナー。家、出自、歴史に対する劣等感と誇り。田舎者。
『ダルス』
マンローの書く恋愛小説がおもしろい。特に自分と似ている部分があると感じるからかもしれない。対、男に関する見方が似てる
『ターキー・シーズン』
アリスマンローの小説は一生かけてゆっくり読みたいな。続けざまに読んでいくというよりは、たまに、息抜きみたいにぱって読みたい。
『プルー』
男の家から物品を盗む女。『シェエラザード』村上春樹 -
全てが隠し味みたいだと思った。
作家の存在感が強いが、物語を動かしているという存在感とは全然違う。作家は味わい、でも驚いたり、苦味を思い出したり、ヒリッとするのは読み手の方だ。
わたし、がパイを投げつけた時、ウィルフレッドが夜ふけに泣いてた時。作家はどこまでも冷静でいる。
人間の気味悪さが自然なのが感心した。