卍どもえ (単行本)

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  • 中央公論新社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120052583

作品紹介・あらすじ

時代と向き合い、社会を書く、ということ。

現代日本最高峰の作家は、〈平成〉を舞台に何を描き出すのか――。

人の世が綾なす芳醇の最新作!


東京・青山にデザイン事務所を構える瓜生甫と妻のちづるは、セックスレスの関係にあった。ちづるはある日、知人に紹介された年下のネイリスト塩出可奈子に誘われ
て、性愛の関係を結ぶ。

また甫には、旅行会社のプランナー中子毬子と古い付き合いがある。毬子の夫・中子脩は語学学校の経営者だが、女性関係が派手で夫婦の仲は冷えて久しい。中子夫妻は
自宅のパーティーに瓜生夫妻を呼び、そこでちづるは毬子と意気投合する。

後日、ちづるから毬子を紹介された可奈子は、毬子も誘って三人でホテルに行かないかと、ちづるに提案する――。


都会の喧噪の中で交わされる、優雅で淫靡な秘密のささやき。錯綜する彼らの思惑がたどり着く先とは。

感想・レビュー・書評

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  • テーマはどうやらユングのいう「シンクロニシティ」らしい。「共時性」ともいう、異なる人物の間で同じことが同時に起きる、いわゆる「意味のある偶然の一致」のこと。更にもう一つ。危険な状態が待ち受けていることを無意識裡に知っているのに、それを避けることができず、危機的状況に陥ってしまう人間心理の一面も扱っている。それが極端になったのが「破滅型」と呼ばれる人間類型だ。

    瓜生甫は五十一歳。グラフィック・デザイナーとして脂の乗りきった状態にある。今は次々と舞い込む注文をこなしながら、一度受賞を惜しくも逃している、オリンピックのロゴマークのデザイン募集に応じ、賞をとることを目指していた。そんな時、かつて仕事上で付き合いのあった中子毬子に招待される。瓜生が紹介した建築家の設計による新築家屋を祝う集まりだった。

    毬子の夫、中子脩はマニラで英語学校を経営する実業家。所有するクルーザーで沖に出て海に潜るのを趣味としていた。瓜生もスキューバ・ダイビングに凝っていたこともあり、二人はポーランドのウオッカ、ズブロッカのキンキンに冷えたのを薩摩切子のグラスで飲りながら、葉巻を燻らすうちにすっかり意気投合し、中子はパソコンを開き、毬子が裸で泳ぐ写真を見せた。偶然にもそれは、瓜生が撮り溜めた妻の写真の投稿を考えていた投稿サイトだった。

    ユングは人々の心の中には集合的無意識というものがあると考えていた。奇妙な偶然の一致が起きるのは(大雑把にいえば)人々の心がそこでつながっているからだというのだ。中子は、写真を投稿してしばらく経ってから鞠子が見た夢の話をした。通りを行くと多くの人の眼に見つめられて落ち着かない、という夢だ。その話を聞きながら、瓜生は自分もまた危ういところに踏み込もうとしていたことに気づく。

    妻の素顔や裸身を他人の眼に曝すのがどれほど危険な行為であるかを亭主が知らぬはずがない。それでも、なおかつそうせずにはいられない。その手の男の心理には何か共通するものがあるのだろう。集合的無意識などという高級なものではない。サイト名が「妻よ薔薇のように」という成瀬巳喜男監督による映画のタイトルを借用しているところからも、それを知る年齢や階層をターゲットにしているにちがいない。

    作者はストーリーとは直接関係のない歴史的な事件についてかなりの紙数を割いている。登場人物の家族が事件に巻き込まれているという形をとる場合もあるが、回想場面の時代背景として書かれるだけのこともある。オウム真理教の地下鉄サリン事件、日航機123便墜落事件、さらには、日本による満州統治等々。どれも危機が近づいていることを知らず、誰もが巻き込まれてしまった悲劇的な事件であったことが共通している。

    男たちの物語はこの後、二人がそれぞれ迎えることになる危機的状況を描いている。一人は打ちのめされ、精神的に追い詰められるほどの衝撃を受ける。ネタバレになるので詳細は控えるが、オリンピックのシンボルマークに関する事件がネタ元になっていることは主人公の職業をグラフィック・デザイナーにした時点で考えていたのだろう。もう一人の方は、破滅的な状況が暗示されるだけで終わっている。

    それなりに力を備えた男たちが、女性関係絡みで破滅に向かって邁進する様は、傍観者的の見ている分にはある意味喜劇的ですらある。その一方で、男たちの妻やその恋人たちの何と軽やかで愉し気なことか。男というものを介在しない同性だけの快楽の営みが女子会めいた雰囲気で快活に描かれる。表題を読んだときからうすうす感づいてはいたが、これは谷崎の『卍』のパスティーシュになっている。

    瓜生の妻、ちづるは博報堂の広報を担当していた。瓜生は大勢の競争相手を蹴落として結婚したわけだ。しかし、結婚を機に退職すると、否が応でも妻は夫に食わせてもらう立場に陥る。たかだか三百万を夫に無断で都合する手立てがない。まさか、同性の恋人が借金に苦しんでいるからと理由をいう訳にもいかない。夫が自らそれを出すように仕向けるために企てた妻の計略が気が利いている。ばかだなあ、と思うけれど、男の弱みを突いていて一概に他人事とも思えない。

    『フライド・グリーン・トマト』は映画で見ていたが、イジーとルースの関係が原作では同性愛を感じさせるものになっていたことには気づかなかった。夫の暴力や女狂いに手を焼く妻は多い。結婚という制度がもともと男にとって都合のいい形になっているからだ。まあ、それを言うなら、多かれ少なかれ社会の仕組みが男性有利に作られているのだが。同性愛だけでなく、フェミニズムにも踏み込んでいる点は評価できる。もっとも、本作における妻たちの行動は、せいぜいがお仕置き程度で、両性の新しい関係を模索するまでには至らない。

    谷崎行きつけのアカデミーバー、飛田新地、サウダージといった作者偏愛のアイテムは今回も登場する。それに加えて、ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』、ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』等々の小説をはじめ、成瀬巳喜男の『浮雲』、『流れる』などの邦画、洋画、コルトレーンとジョニー・ハートマン共演の「YOU ARE TOO BEAUTIFUL」、フェルナンド・ぺソアの詩集『ポルトガルの海』、マラケシュのジャマ・エル・フナ広場といったマイ・フェイバリットが続々登場するのに驚かされた。

  • 物語の「現在」が今から約10年前。主要人物の年齢がアラフィフとなれば、私と同年代である。ちづるは私と同い年で彼女の歩んできたコースはよく理解できる。時系列があちこちに飛んだり、登場人物が目まぐるしく変わったりするが、すべて自分の時間軸で進んでいくのでわかりやすい。まるで私の年代のために書いてくれた、みたいな感覚である。

    登場人物については、男性を滑稽に、女性を生き生きと描き分けている気がした。一流デザイナーの瓜生は仕事で失敗し、心に支障をきたす。深刻な問題だが、彼の段取りを重んじるやり方が災いした結果であり、それがおちょくられているような表現で気の毒だ。

    一方、学校を経営する中子は妻へのDV、数々の浮気などがクローズアップされ、魅力が全く感じられない。しかしそれも複雑な生い立ちが背景にあり、深刻なのだが、滑稽さが前面に出ている。

    そんな男性陣とは対照的に、女性たちは新たな快楽に身をゆだねて今を楽しんでいる。夫との関係を清算して新たな道を切り開く者もいる。爽快感はあるが、知り合って間もない人たちに身を任す安易さは非現実的だ。女性たちは誘われて何の躊躇もない。やはりドラマである。

    最初ミステリーの感があってワクワクしたが、なぞは結局解明されぬまま終わる。瓜生を弄んだ「久美子」とちづるがひねり出そうとした300万円。ホテルの303号室の「声」。殺人事件の結末。そして最後は…

    謎解きが主題ではないから曖昧な形の方が余韻がある、という考え方もあるが、何となく消化不良だ。やはり私も白黒つけたがる性格なのかもしれない。

  • 親戚のおじさんの昔話、うんちく話を聞いている様な感じ。

  •  さて、どう読んで愉しめば良いのか。たぶんそれを考えるのが、1番の楽しみか。
     ただ、こういう乾いた小説は、時々読みたくなる。

  • ストーリーは特になく、一部の勝ち組の生態を炙り出すと言ったところか。
    その為なのか枝葉の背景説明が多い。これがうんざりする程あって作者が知識を自慢してるうんちく話かと思ってしまう。
    炙り出された生態は、まるで生活感が無く面白く無い本だ。

  • タイトルになっている「卍どもえ」とは、互いに追い合って入り乱れるという意味があるようだ。
    そんなタイトルどおり、この本では、登場人物が慌ただしく交代しては、戻ってきたり、時代も過去にさかのぼったり、現在に返ったりとか、一つに収束しない。
    気鋭のアートディレクター・瓜生とセックスレスの関係にある妻・ちづる。彼女はネイリストの女性と同性愛の関係を持つ。
    瓜生は突如現れた若い女性の仕掛けた蜜の罠に陥る。瓜生と旧知の旅行会社勤務の女性は、夫がフィリピンで語学学校を開き成功したものの女性関係が奔放で彼とは冷戦状態にあり、ちづるやネイリストと懇ろになる。
    この他にも色々な人物が登場し、前述のメインの人物たちに絡んでいく。
    実存の人物名や会社名、店舗名がポンポン出てくるし、音楽、絵画、文学、映画、料理、服装、建築様式などに関する蘊蓄が満載で、著者の博覧強記に恐れ入った。
    だが、逆に気障で目の肥えた金持ちの話にうんざりして親近感がわかなかったのも事実。 
    オウム事件、日航機墜落事故など実際に起こった出来事も物語に絡ませ、舞台も東京、横浜、大阪、京都、熱海、マニラ、モロッコと広大に展開、虚実ない交ぜで縦横無尽な仕掛けが込められた奥行きのある作品ではある。
    しかしながら、場面展開がバラバラで一つに収束することなく終わるという形式に違和感を払拭できず、
    単なる複数組の男女の大人の物語の寄せ集めにしか感じられなかった。まあ、それが「卍どもえ」たるところなのだろうが。

  • インテリ

  • 違和感いっぱいで感情移入もできず、1週間かかっても読み終えられず、途中棄権。

  • 時代と向き合い、社会を書く、ということ。現代日本最高峰の作家は〈平成〉を舞台に何を描き出したのか。人の世が綾なす芳醇の最新作

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著者プロフィール

辻原登
一九四五年(昭和二〇)和歌山県生まれ。九〇年『村の名前』で第一〇三回芥川賞受賞。九九年『翔べ麒麟』で第五〇回読売文学賞、二〇〇〇年『遊動亭円木』で第三六回谷崎潤一郎賞、〇五年『枯葉の中の青い炎』で第三一回川端康成文学賞、〇六年『花はさくら木』で第三三回大佛次郎賞を受賞。その他の作品に『円朝芝居噺 夫婦幽霊』『闇の奥』『冬の旅』『籠の鸚鵡』『不意撃ち』などがある。

「2023年 『卍どもえ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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