- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120054129
作品紹介・あらすじ
戦後マンガの歴史と歩み、『ファラオの墓』『風と木の詩』『地球へ…』などのヒット作で、マンガ界に革命をもたらした漫画家・竹宮惠子の、生い立ちから、創作の秘密までを語った決定版自伝!
感想・レビュー・書評
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『一度きりの大泉の話』を読んで、これは竹宮惠子さん側からの話も読むべきでしょう、と思って読みました。本当は『少年の名はジルベール』を読みたかったのですが、近所の書店で手に入ったのがこちらだったので。
大泉の話も出てきますが、こちらはそれ以前の生い立ちから漫画家としての活動全般、大学で漫画を教えるようになってからの活動など、まさに自伝。
明晰な語り口で、頭のいい方なんだなぁという印象。萩尾望都さんが感覚型で、内向型の天才なら、竹宮惠子さんは分析型、外交型の天才という感じです。
この正反対な2人の天才。
やはりドラマ的だわ〜。
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第16回 LLブックセミナー マンガの読みやすさは どう使うべきか 竹宮惠子
[終了報告]【中央】第16回LLブックセミナー3月27日 ...第16回 LLブックセミナー マンガの読みやすさは どう使うべきか 竹宮惠子
[終了報告]【中央】第16回LLブックセミナー3月27日 動画公開中 - 大阪市立図書館
https://www.oml.city.osaka.lg.jp/?key=jo1qqlklu-510#_5102021/06/17
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読売新聞『時代の証言者』に語り下ろした連載をまとめた本。
竹宮惠子さんのこれまでの漫画人生をまとめられています。
子ども時代から上京までの話。
上京してから、漫画家の萩尾望都さんと会って意気投合し、その後増山法恵さんを仲立ちにして、大泉の長屋で同居するようになったこと。
その長屋が「大泉サロン」と呼ばれるようになり、若い漫画家やアシスタントなどが集まるようになっていたこと。
若い漫画家のなかには『アラベスク』などを代表作とする山岸凉子さんなどもいて、漫画家を志す人たちの文字通りサロンであったこと。
そのなかから既存の少女漫画の枠を越えてたくさんの作品が生み出されてきたのだと感じさせられます。
この、とても満ち足りた状態であるかと思える「大泉サロン」も、竹宮さんの言葉をお借りすれば「萩尾さんに対して嫉妬や焦り、劣等感を感じていた」ことから同居を解消。
才能のある人同士が近接しているのは難しいことなのだなあと感じます。
その後も『風と木の詩』などの作品を世に出されています。当時、少女漫画で少年同士の愛を描くことは無理、載せられない。
ただ、竹宮さんの描きたいという思いを汲んでくれる編集さんと戦略を練って連載に漕ぎ着けたこと、賛否両論ありながらも話題作となったこと。
竹宮さんのターニングポイントとなった作品だと思います。
同時期に、少年漫画へ進出し『地球へ…』を描かれヒットしました。
時が経つにつれて、古典作品を漫画化したり、『エルメスへの道』のようなある意味竹宮さんのオリジナルの物語も手掛けるようになりました。
また、京都精華大学のマンガ学科開設にあわせ教授就任へのオファーがあって大学で教えるようにもなりました。
時代は変わりながらも、そのなかで漫画に対して、必死に、真摯に向き合われてきた竹宮さんの人生を見せていただいたように思います。
個人的に「大泉サロン」のところがいちばん読んで気になっています。
この本では竹宮さんサイドからの話しかわかりませんので、近日、萩尾望都さんの「一度きりの大泉の話」も読んでみたいと思っています。 -
今や少女マンガ界の大御所、竹宮恵子が徳島の自宅でひたすらマンガを描いていた頃から、デビュー・大泉時代・マンガ学部の設立、そして今をレポート。
読売新聞に連載していたもの。
萩尾望都とのあれこれがにぎやかな大泉時代。よく知らないけれど「地球へ」は好きだった。 -
『少年の名はジルベール』
『一度きりの大泉の話』
と読んで、
勝手に大泉三部作と呼んでいるこちらも読み終えた。
前二作がマンガオタク向けの濃い話であるとするなら、こちらはマンガにも興味がない一般人向けの平たい文章となっている。それもそのはず新聞連載されたものをまとめたのだから。
『ジルベール』よりも両親の話が多くでてきたり大学教授時代の話があったりするのが興味深いが、オタクにとっては面白い話ではなかろう。
気になったのは、かつて使っていたマンガを描くためのペンやトーンといったのものが今は手に入りにくく同じ表現をするのが難しくなっているという。それは一気にデジタル化が進み多くの漫画家がタブレットで描いているため、道具が売れない⇒だから製造されない⇒手に入らないという流れになってきているのだという。
これからはデジタルだということで70歳からタブレットを使って描き始める竹宮先生スゴイ! -
一度だけの大泉の話の後に読んだけれど、この本の連載も出版もそれより前の話。一年後に連載して出版していたら、どんな本になっていたのだろうかと妄想してしまう。
語りおろしとなのだけれど、己の弱点に触れると言うより「この人にこんな風に言われた」という形が多い。一見三人称だけど、一人称のような。萩尾望都さんが一人称なのにすごく客観的なのとは別のベクトル。
社会性と人脈と自己プロデュース能力が高い人なのだろうな。格好いい。先生になって教えて欲しいし、学長になって道を示されたい。
精華大学を退職して、これから何を書くのだろうと楽しみになる。腕の力が衰えるからとデジタルを身に付け、どんなものを描くのだろうか。 -
たぶん、同じ人がいっぱいいると思いますが、萩尾望都「一度きりの大泉の話」を読んでの本書です。「一度きり…」が竹宮恵子「少年の名はジルベール」の出版によって生まれた悲痛な叫びなので、ここは「少年の名は…」を読まなくてはならないのですが(そして、もちろん読みます!)、個人的には去年、コロナとの遭遇に日常がたじろいでいた5月6月に讀賣新聞に連載されていた「時代の証言者・マンガで革命を」を楽しみに読んでいて、その中で、いわゆる「大泉サロン」での萩尾望都への言及になんか不思議さを感じて、「一度きり…」を手にした、といういきさつもあり、先ずは新聞連載をまとめた「扉はひらくいくたびも」に立ち戻った次第です。二人の思い出を対比してみて、ついつい「トキワ荘少女マンガ版」としてまとめてしまう「24年組」は決して塊ではなく、シンクロしつつも違う才能のベクトルのせめぎ合いなのだ、と感じました。それぞれの本でもキーパーソンとして登場する増山法恵が「大泉サロン」に来るお客さんに聞く「あなたは赤毛のアン派?それともケストナー派?」という質問について、竹宮恵子がはっきりと自分はケストナー派という言い切っていることが印象的でした。それは表現の内容だけではなく、マンガを描くという行為についても非常に論理的、構築的なアプローチをすることに繋がっていると思います。萩尾望都は赤毛のアン派、ということではないと思いますが、すくなくても「扉はひらく…」の論理的スッキリ感と、「一度きり…」の詩のような心の揺れとの違いに表れているような気がします。少なくても竹宮恵子が京都精華大学の学長というパブリックな役職を務めることが出来たのも、この才能の発露だったのかもしれません。世の中の「おじさん」が愛について語ることがたどたどしいように本書の中で著者の萩尾に対する尊敬と嫉妬という感情の表明も不細工なところがあり、ここが一番「24年組」の本質なのかもと思ったりします。萩尾望都が大泉の思い出を原子力発電所の廃炉のように完全封印しているように、竹宮恵子も作家としての仕事をコントロールすながら距離を置こうとしているようにも感じました。アマデウスでサリエリが悩んだように、でもサリエリよりも圧倒的に才能のある存在としての竹宮恵子。天才と秀才というレッテル張りは安易だと思いますが、そんな才能の遭遇自体がすごい物語です。いざ「少年の名はジルベール」!
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読売新聞の知野恵子記者が担当した連載記事「時代の証言者」で竹宮惠子が語ったインタビュー記事をベースに、知野恵子が大幅に加筆しまとめた竹宮惠子の幼少期から大学学長退職までの一代記。思ったのは、このかたはクリエイターというよりは、プロデューサーなのだな、ということ。たまたま絵の才能もあったから漫画家になったけど、決して漫画家が本分はなく、その時々の日本に「存在しなかったもの」を世に出し、流れを変えていく、そんな起業家的な精神を持った人なのだな、という。おそらく彼女が居なければ、BLはここまでの一大ジャンルに成長せず、いまや当たり前のように芸術系の大学にあるマンガ学部も、彼女が育てなければ、ここまで他大学が追随をしなかったのではないか、と思う。是非はともかく、その功績は大きいのだな、と改めて思った。