- Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120054426
作品紹介・あらすじ
米国人の夫の看取り、20余年住んだカリフォルニアから熊本に拠点を移したあたしの新たな生活が始まった。
週1回上京し大学で教える日々は多忙を極め、愛用するのはコンビニとサイゼリヤ。自宅には愛犬と植物の鉢植え多数。そこへ猫二匹までもが加わって……。襲い来るのは台風にコロナ。老いゆく体は悲鳴をあげる。
一人の暮らしの自由と寂寥、60代もいよいよ半ばの体感を、小気味よく直截に書き記す、これぞ女たちのための〈言葉の道しるべ〉。
感想・レビュー・書評
-
愛犬との野山を駆け回る散歩
後半 猫2匹も参入します
その他観葉植物は多数
学生さんにも親身で
生き物を愛す伊藤先生
決して穏やかとは言い難い毎日ですが
情にあふれる毎日
昔からファンでしたので
3人の娘さんが
登場するのも楽しみ
みんな 女の道を踏みしめつつ
楽しくやってそうで よかったわ詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
<読んでみないかい?>過去の経験「わかる」のも老い:北海道新聞 どうしん電子版
https://www.hokkaido-np.co.jp/sp/article/598670?rct=s_books
ショローの女|単行本|中央公論新社
https://www.chuko.co.jp/tanko/2021/06/005442.html -
もう面白すぎて他の読書計画ほっぽらかって読み耽る。途中からもったいなくてゆっくりゆっくり読む。
待つ身になり、ようやく理解する父親の言葉。
今度来る時は早いうちにおれに来ると言わないでおくれ。待ってるのがばかに長くてしょうがない。
そんなことちゃんと言語化するおじいちゃんがいるのだ。詩人の父はやはり詩人。
ズルした学生の行く末が心配で仕方ない比呂美さん。情が深好きでズブズブだ。さぞかし自分の情の深さに振り回されるだろうな。そういうのしんどいんだよね。だから事前に半分くらいに目減りさせてる自分がズルく思えてくる。ああ、もっとちゃんと本当の自分の情の分量でいこうかな。あとどれだけ生きられるかわからないし。
と思うようになる。この本は。
こんな本が読みたいのだ。
伊藤比呂美ステキだ。
潔く情が深い。
-
ラジオでお話されているまんまの歯に衣着せぬエッセイ。
ショローといえども、相変わらずのバイタリティ。
石黒さんのイラストもうれしい!
熊本と東京の往復生活、とても真似できません。
そうそうメトロの早稲田駅は、階段のみで本当に大変、道のり知ってます。
さらにパワフルなエッセイ、これからも待ってます。 -
お待ちかね伊藤比呂美エッセイ。他にないそのテイストをうまく言い表せずにいたが、少し前に新聞の読書欄で、金原ひとみさんが本書の評を書いていて、そう!そうなのよ!と膝をバシバシ打った。
「生活も趣味も感情も驚くほどわちゃわちゃと忙しいのだが暑苦しさは皆無、むしろドライで、どこまでも飄々としている」
本当に伊藤さんの生活や人生は「わちゃわちゃと」している。若い頃の摂食障害、不倫、最初の短い結婚、ポーランドまで追いかけていった人と二度目の結婚、子育て、また離婚してアメリカ人の詩人のもとへ子連れで走る。母との長い葛藤、アメリカと行ったり来たりしながら父の介護、夫の死、父の死。本書は、日本に帰ってきて少し落ち着くのかと思えば、ワセダで教え始めて、東京と熊本を行ったり来たりするようになったところから始まる。家族や友人を愛し、飼い犬や植物にも入れ込んできた著者は、当然ながら学生たちにも半端ではない情を注ぐ。ショロー(初老)となっても、伊藤さんの身辺は「わちゃわちゃと忙しい」。
それなのに、なぜこうもすがすがしく感じるのか、なぜきっと自分も大丈夫だろうと安心する気持ちになるのか、かねてから不思議でならなかった。金原さんは、それは「言葉にしている」からだと書いている。
「著者の描く『あたし』がここまであらゆるものに執着し、手を出し首を突っ込み囓ったりハマったり逡巡したりしながら、一人で粛々と満ち足りているように見える理由は何なのだろうと、読みながらずっと考えていた。その答えはおそらく彼女が『言葉にしている』ことにあるのではないだろうか。
本書には確かにリアルな老いが描かれている。体力の衰え、姿勢の変化、歩くのが遅くなり、人の目を気にしなくなり、ちょっと昔話をするだけで四十年前に遡る。しかし同時に、書き続けること表現し続けることで、孤立しながらにして巨大なピラミッドのような安心感を得、また与える境地に到達したその生き様こそが詰まっているように感じられる。無骨なのにスマート、愛の中で孤独、柔軟な一本槍、奇妙なバランスで成り立った奇跡のショローがここにある」
こうして言葉にしてもらって、ずっと深く楽しく読むことができたと思う。書評の力を再認識した。
オマケ
この書評の少し後に、金原ひとみさんは「ハヨンガ」というドキュメンタリー小説の評を書いていた。これにも胸打たれた。以下はその一部。
著者あとがきには、執筆前「女性として私が感じた侮辱を世間に広めることが作家の役割なのだろうか」と迷いを抱いたと吐露しているが、物語として編み直されたことで透過性を増し、人々の中に溶け込み、そこで抗体となり己の力を強化してくれているのを私は実感している。共通認識であるからこそ、言葉は毒にも薬にもなり、卑劣な武器にも尊い武器にもなり得るのだ。小説でしか実現し得ない形でつまびらかに描き出された、恐怖に直面した女性たちの胸に渦巻く怒り、悲しみ、奮起の言葉は、あらゆる虐げられた人々の血肉となり、不当に奪われたものを取り戻す力となるだろう。 -
伊藤さんの書いたものはいつもぐっと心に刺さる。
「殺したての生き物のようなこんにゃく」のうまさ。
(セクシャルハラスメントについて)年配の女はみんなアップデートできているのに「おっさんたち、まだそこにいるのか」という不思議。(ほんとに。地位や収入に関係なく、まだそこにいるおっさんのなんと多いこと。)
「咳はしなくても一人。息するだけでも一人。」そんな寂寥への対処の仕方。
自分のための煮炊きは料理じゃない、という感覚は長く家族の食事を作り続けてきた女の実感だと思う。
オンラインでそこそこ満足できると思っていたが生身の人間と会って話したら、オンラインとは全然違った、というのも伊藤さんだからできる表現で描かれている。
伊藤さんは人生の先輩で、一生(書かれたものを)追いかけていくと思う。 -
アメリカから愛犬クレイマーと帰国後、熊本と東京を毎週往復する生活になってからのエッセイ集。前作『たそがれていく子さん』の出版記念イベントで初めてナマで伊藤比呂美さんを体験した頃からすると、また一段と「ショロー」の考察が切実でホンロー(老婆化)が他人事でなくひたひたと我が身にも迫っていることを感じる。切ない。けれどzoomやWhatsAppなどの通信手段を使いこなし、ばりばり仕事して、メイやテイラー(猫)が加わり、のちにチトーと名付けられる子犬を迎えるのだから実にパワフルで逞しい。読後やっぱり(私もうかうかしちゃいられない!)と元気になる一冊。
2018年8月〜2021年5月『婦人公論』連載 -
伊藤比呂美さんの今日は、私の明日。
すでにバイタリティでは、負けてるかもしれませんが、これからも楽しみにしています。 -
普段、読まないような著者のものも
手を出してみようかと。
家族や愛犬との日常を書いたものが主で
あまり自分の趣味とかぶらなかった。
でも、各章の見出しの五七五が
内容を要約していて、うまいなぁ。
「春一番のぼり階段浜松町」とか
「秋惜しむタイとヒラメとちゅーるかな」
とかね。
なになに?と、ひかれる部分がありました。