大君の使節: 幕末日本人の西欧体験 (中公新書 163)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121001634

作品紹介・あらすじ

参考文献: 231-234p

感想・レビュー・書評

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  •  ヨーロッパへ渡り西欧文明と接触した使節らは、何を見て何を感じたのか。また、国際政治のなかで、彼らは西欧と日本にそれぞれどのような反響をもたらしたのか。

     とりわけ本書の面白さは「知的・感性的対応」を描いているところにある。外交史ではなく、文学作品でもない。その隙間にある彼らの日記から、彼らの一人ひとりがそれぞれ西洋文明との衝突にどれほど知的な衝撃を受けたのか、感動したのか、ということを活き活きと描き出す。とりわけ著者は福沢諭吉が頭抜けている、と評価している。彼は一通詞に過ぎなかったものの、見聞きした衝撃を単なる衝撃に留めず、繰り返し情報を収集し、多角的に観察し、日本の課題解決策を模索し続けた。

     総じて言えば、使節らの旅は、江戸などの開市開港という使命を背負った彼らが世界の圧倒的な広大さのなかでその重苦しい使命感から解き放たれる過程であり、またその文化を相対化することで日本に開国と文明開化の必要性を認識させるものでもあった。

     しかし外交史から言えば、使節らの見聞を吸い上げるだけの余裕は幕府にはなく、その意義は無に等しかったと言わざるを得ない。使節らの大冒険を読んだあとに福地源一郎の「余が失望落胆実に此時より甚しきは莫かりき(懐往事談)」という言葉を見ると、痛々しい思いさえする。それでも著者は、外交史ではなく文化史的な観点から取り上げることで再評価を与えようとした。この熱意がまた読んでいて圧倒される面白さでもある。

  • 徳川幕府は、その最末期の7,8年の間に、ほとんど一年おきないし連年という忙しさで大小の外交使節団を欧米に派遣したいました。
    一番よく知られているのは、いうまでもなく日米修好通商条約の批准交換のため、1860年アメリカに行ったこと。
    そして、第二回がこの本に描かれた1862年の遣欧使節で、江戸・大坂・兵庫・新潟の開市開港の延期をヨーロッパ諸国に認めさせることを主目的にしていたものである。
    何しろ、極東の島国である長年鎖国を行っていた日本からの使節が当時のヨーロッパ諸国では大変珍しいものであり、歓待されたのである。
    そんな使命を受けた日本の優秀な武士官僚が経験した様々なことが政治史の視点からではなく、比較文学者の視点で、残された文献で描かれた作品である。
    福沢諭吉を始めとして当時の若者の感性が著者の観点で捉えられていた。
    そして、後の歴史ではあまり語られなかった重要な史実を目にすることができるのです。
    勝てば官軍のバイアスがかかり歪められた徳川幕府の真実が掘り起こされていて大変すばらしい作品でした。

  • 比較文化史の観点から、文久の遣欧使節を題材に、人が新しい文化に触れた時にどのような反応をするのかに関心を持って書かれた本。事前の知識と現地で新たに見聞したこと、さらに現地での新聞やヒアリングによる情報収集などを元にそれぞれが特徴的な反応を示す。表面的な感想に留まらず、社会構造の分析や日本社会への適応など深い分析を行う福沢諭吉の才能に驚く。

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著者プロフィール

芳賀 徹(はが・とおる):1931?2020年。東京大学教養学部教養学科卒、同大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻博士課程修了。博士(文学)。東京大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授、日本藝術院会員。プリンストン大学客員研究員、京都造形芸術大学学長、静岡県立美術館館長などを歴任した。主な著書に『絵画の領分──近代日本比較文化史研究』(大佛次郎賞)、『文明としての徳川日本──一六〇三─一八五三年』(恩賜賞・日本芸術院賞)、『外交官の文章──もう一つの近代日本比較文化史』などがある。

「2023年 『平賀源内』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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