- Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121009173
作品紹介・あらすじ
度重なる建直しにもかかわらず、徳川政権の屋台骨は日増しに脆さを露呈し、しかも近海には異国船出没のうわさが飛び交い、日本全土が不穏な空気に包まれていた。その中にあって、小身旗本ながら才能と見識を見込まれた川村修就は、新潟をはじめ堺、大坂、長崎と要衝の奉行を歴任する。将軍直属の御庭番として、探索活動の中で培われたであろう緻密な行動力で破格の昇進を果たし、多難な時代を生きた幕臣の生涯と幕末の実相を描く。
感想・レビュー・書評
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群雄割拠の戦国期も終わり、時は徳川数百年の泰平な世に。
刀を振り回していた時代も終わり、世の中が平和になると文化は栄えるものの、政がよろしくない方向へ向かうもの。江戸時代とはいえ、官僚体制は現代のそれとさして変わらないな。
汚職、収賄、袖の下でシャンシャンと。
遠国奉行、ざっくり言えば、地方公務員か。御庭番だから、特捜でもあるか。
そんな中にも、非常に有能な人間もいるもので、またメモ魔として当時の状況を克明に現代へ残してくれている。
激動の幕末期に、初代新潟奉行、堺奉行、大阪西奉行、長崎奉行、小普請奉行、西丸留守居、大阪東町奉行などの重職を歴任した川村修就。
驚くべき几帳面さで公私にわたる厖大な記録だ。
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度重なる建直しにもかかわらず。徳川政権の屋台骨は日増しに脆さを露呈し、しかも近海には異国船出没のうわさが飛び交い、日本全体が不穏な空気に包まれていた。その中にあって、小身旗本ながら才能と見識を見込まれた川村修就は、新潟をはじめ堺、大坂、長崎と要衝の奉行を歴任する。将軍直属の御庭番として、探索活動の中で培われたであろう緻密な行動力で破格の昇進を果たし、多難な時代を生きた幕臣の生涯と幕末の実相を描く。(1989年刊)
・はじめに
・Ⅰ 御庭番と新潟抜荷事件
・Ⅱ 海防と新潟奉行拝命
・Ⅲ 川村修富、修就の日記抄
・Ⅳ 行動する新潟奉行
・Ⅴ 敏腕奉行の施政と業績
・Ⅵ 長崎奉行への歴程
・あとがき
本書は、幕末御国奉行の日記を紹介した本である。昔読んだはずであるが、かなり内容を忘れている。川村家は徳川吉宗に従って幕臣となった御庭番筋の家にあたる。父修富が別家として取り立てられたため、川村家の分家にあたる。
修就の経歴は小十人格天守台下御庭番、御賄頭、御裏門御切手番之頭、勘定吟味役、初代新潟奉行、堺奉行、大阪西町奉行、長崎奉行、小普請奉行、西丸御留守居、大阪東町奉行、西丸御留守居、というものであり、家禄200俵の家としては十分に立身したと言えよう。
修就は単なる能吏ではなく、砲術の心得があったという。新潟という要地を異国船から守るという役割が期待されて赴任したものの、水野忠邦の失脚の為か、十分な支援を得ることが出来なかった。長崎奉行時代には、海軍伝習が始まる。
修就の先見性を示すエピソードがある。長崎から江戸への帰途、配下の右筆に、「もう江戸はだめになる。その方の郷里近くを通行いたすときに別れよう。田畑を求めて帰農するがよい」と諭したという。その12年後、幕府は瓦解することとなる。
勝海舟三河武士の美風を受けた良い侍として、岩瀬忠震、小栗忠順らとよもに川村修就のことを上げているのもその人となりを示していよう。
本書により遠国奉行の活動を知ることはが出来て良かったが、記述が前後していて読みにくいのが残念であった。また、新書という性質上やむを得ないことではあるが、その広範な業績を十分に描いているとは言えない。(新潟時代がメイン)
今後も川村家文書により研究が進むことを期待したい。 -
目次(抜粋):
はじめに
Ⅰ 御庭番と新潟湊抜荷事件
Ⅱ 海防と新潟奉行拝命
Ⅲ 川村修富、修就の日記抄
Ⅳ 行動する新潟奉行
Ⅴ 敏腕奉行の施政と業績
Ⅵ 長崎奉行への歴程
あとがき