- Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121018861
作品紹介・あらすじ
寛政六年(一七九四)から翌年にかけて、浮世絵界に忽然と現われて消えた画号「東洲斎写楽」。その素性についての「誰それ説」は枚挙に暇がないが、実はこの現象が過熱したのは、戦後のことに過ぎない。本書はまず、江戸文化のなかで浮世絵が占める位置を再考した上で、残された数少ない手がかりを丁寧に考証し、写楽が阿波藩士斎藤十郎兵衛であることを解き明かす。それを通じて、歴史・文献研究の最善の方法論をも示す。
感想・レビュー・書評
-
情報の肉付けの薄さや齟齬、活動期間の短さなどから写楽=〇〇説が横溢するが、本書は斎藤月岑による増補・浮世絵類考の「三点セット」=江戸八丁堀在、阿波能楽者、斎藤十郎兵衛の情報が基本的に事実であるという立場から、その真実性を淡々と論証していく。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
その正体が謎であるとされ、多くの歴史愛好家たちの関心を惹いてきた東洲斎写楽について、実証的な観点からそれらの写楽論の不備を説いている本です。
写楽論と呼ばれるものについて、わたくし自身はほとんどなじみがなかったのですが、通説に抗って独自の説をなすことで知られる梅原猛の『写楽―仮名の悲劇』(1991年、新潮文庫)を読んだことがあり、そこで梅原は写楽を歌川豊国の変名であるという主張をおこなっていました。しかし本書によると、斉藤月岑の『増補浮世絵類考』に写楽が能役者の斎藤十郎兵衛であるとされており、それ以上に写楽の正体にせまる史料は存在していないと述べています。さらに著者は江戸の人名録である『江戸方角分』を紹介し、写楽についての記事を中心に、その史料的意義を解説しています。
さまざまな「写楽論」を実証的な観点からしりぞける手堅い議論となっていますが、史料の紹介が中心で、写楽の作品についての議論は含まれていないので、そうした関心をもつ読者には期待はずれになるかもしれません。 -
近世をどう理解するべきかという解釈論が興味深い。
-
画家的視点でなく、
歴史資料的に分析。
「江戸方角分」という、芸能者を方角ごとにわけて記した人名録。は、興味深かった。
侍は侍らしくいきなくてはいけない時代に、名を隠さなくてはいけなかった理由なども分かった。
…薦められて読んだけどちょっと難しかったので飛ばし読みしちゃった。。 -
金沢図書館で読む。興味深い本でした。著者と一度会ったことがあります。言葉を交わしたわけではありません。会議で同席しただけです。非常に読みやすい文章です。江戸文化史に全く関心もなければ、知識もない僕にも、ストレスなく、読むことが出来ます。雅、俗という概念を導入して、江戸文化を説明しています。素人なので、その是非を判断する能力はありません。ただし、一つの価値概念で、時代を切り取れるのでしょうか。僕には疑問です。
-
斉藤月岑の「増補浮世絵類考」をもとに、写楽は阿波の能役者であることを考察。
-
<07/4/5読了>