蘇我氏 ― 古代豪族の興亡 (中公新書 2353)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023537

感想・レビュー・書評

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  • 蘇我氏は大化改新で滅亡したという固定観念を覆す。生き残った一族は、その地位を藤原氏にとって替わられた。藤原氏がその後1000年にもわたり栄華を極められたのは、不比等の巧みな制度設計によるものなのか。

  • 途中までですが面白かった
    またいつか読み返そう

  • 藤原氏を専門とする歴史家による、蘇我氏に関する研究結果をまとめた本。教科書にも載ってはいるものの、ほとんど知識のない蘇我氏について、詳しく知ることができた。研究、分析はかなり精緻であった。
    「記紀に見える「葛城氏」とは、すなわち蘇我氏が作り上げた祖先伝承だったのである」p18
    「蘇我氏をすべて悪と決めつけ、聖徳太子や中大兄王子による天皇中心の中央集権国家の建設を善と認識する歴史観では、この蘇我氏の開明性は説明できない」p30
    「隋はもとより、朝鮮三国の使者も、その地位を表す冠と服を着していたはずであるが、自分たちよりも下位にあると主張している朝鮮諸国の使者の方が自分たちよりもはるかに文明化していたことを目の当たりにしたというのは、大きな衝撃であったものと想像できる」p61
    「(平安時代にも)蘇我氏はまだまだ滅びていなかったのである」p235
    「乙巳の変(大化の改新)は中大兄王子と古人大兄王子との大王位継承争い、中臣鎌足と蘇我入鹿との国際政策構想争い、蘇我氏内部における本宗家争い、大夫氏族層内部における蘇我氏系氏族と非蘇我氏系氏族の争いなど、様々な矛盾が一気に噴出して起こったクーデターであった。しかし、日本書紀編者としては、大化の改新こそ律令制国家建設の直接的な起点として語らねばならなかった。その際の中大兄王子の敵対者として、その実像以上に反天皇の立場で描かれたのが、蝦夷と入鹿だったのである」p250
    「蘇我氏の地位低下と軌を一にして、新たな「蘇我氏的なる者」が生まれてきた。そう、藤原氏である」p252
    「律令国家における藤原氏の権力の根源は、大化前代における蘇我氏と全く同じ構造なのである」p253
    「8世紀の藤原氏と天皇家とは、蘇我氏を通してミウチ関係にあったことになる。これによって、8世紀前半の律令国家の中枢部分は、あたかも天智・天武兄弟と、蘇我氏と藤原不比等の三者の血によって構成されていたかの観を呈することになったのである」p255

  • かなり難しい

  • そもそも蘇我氏とは何か?

    大化の改新で敵役となった氏である。
    表題にある豪族とは何か?
    ウイキペディアによれば、
    古墳時代・大和時代頃までの
    地方の首長層、在地勢力を豪族と呼ぶ。
    つまりは、古代の地域の勢力を言う。

    本書のポイントは
    蘇我氏は大化の改新以降も
    氏として生き延びた、という点である。

    文献を駆使しながら、その興亡を追う。

    興味深かったのは、古代、朝鮮や中国との関わりが
    密であった点である。
    日本の朝庭を支える中心的氏であった蘇我氏は渡来人を抱え、
    その知識や経験を武器に中枢にいたのである。
    鎖国以降、海外との距離が広がったが、
    古代はむしろ朝鮮や中国など
    近隣アジアとの関わりは今以上に深かったと見られる。

    もう一点、蘇我氏は
    天皇家との婚姻関係によって
    政権内におけるポジションを
    高めていったことである。
    これはのちの藤原氏も同じやり方を取っている。
    海外の古代ヨーロッパでもそう。
    これは執政の中枢に入り込む
    定番のやり方だ。

  • 乙巳の変→蘇我氏滅亡では無く、乙巳の変は蘇我氏内部の権力闘争という側面があったことを教えてくれる作品。

    もっとも、奈良時代に入ると蘇我氏の末裔は上位官職に就けなくなるのである。
    →蘇我氏と同じように振る舞ったのが藤原氏である。

  • 古墳時代から飛鳥時代にかけて活躍した蘇我氏の解説書。蘇我氏の出自に係るところから、没落後の官人の任用状況まで。蘇我氏の視点から当時の歴史を見てみるということは普通はしないのかな。だから面白い。

  • 歴史における個人並びに氏族の表記とは、世の中に名を轟かせた者のみのことであり、滅亡と言われても総てが死に絶えたわけではない。
    この当然の原理を本作は古代豪族蘇我氏で追っていく。
    聖徳太子・蘇我氏が好きで、子供の頃から何冊も蘇我氏にまつわる本を読んできたが、本書はその中でも実に時代を下り平安時代まで蘇我一族を追っている。
    統合分離、改姓を経て、没落していく様は、どの時代の栄華もとき変われば台頭され衰退する大原理を改めて実感させられる。
    歴史は繰り返すの本髄のように、蘇我vs藤原、両者の類似点が浮き彫りに見えたように思うが、私が蘇我好き故の鎌足・不比等嫌いなだけだろうか?

  • 蘇我氏は、悪役にされていた。律令国家への転換点。子孫は氏を変え存続している。

  • 蘇我氏が天皇家との外戚関係で権力を築いていったことは藤原氏の先例。同じく外戚を築いた葛城氏が没落し、蘇我氏は稲目から突然生まれるが、葛城氏とは蘇我の先祖伝承だと主張する。彼らは開明的な海外との取引を進めた一族で決して守旧派ではなかった!そして蝦夷・入鹿の死後も蝦夷の弟・蘇我倉麻呂一族(後の石川氏)によって実権は継続していたのであり、乙巳の変(大化の改新)は蘇我氏内部の抗争の色彩が強かった。壬申の乱では倉麻呂の三男連子の系統だけが天武側につき、他の兄弟は大友側に。反大海人派との負のイメージが強い蘇我の名前を捨て、石川氏に。そして藤原不比等の妻(連子の娘・娼子)を通して武智麻呂、房前、宇合へ、蘇我の血は受け継がれ、一方、石川氏そして蘇我に因む名称に戻った後の宗岡氏、宗岳氏などは、平安時代に犯罪人も何人か出るなど、寂しい末路の記録を詳細に語る。この他、蘇我系統として田中、田口、岸田、桜井などの名前が登場することも楽しい。

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著者プロフィール

1958年、三重県津市生まれ。東京大学文学部国史学専修課程卒業、同大学大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程単位修得退学。博士(文学、東京大学)。国際日本文化研究センター教授。専門は日本古代政治史、古記録学。主著に『平安朝 皇位継承の闇』『皇子たちの悲劇』(角川選書)、『一条天皇』(吉川弘文館)、『蘇我氏』『藤原氏』『公家源氏』(中公新書)、『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(講談社学術文庫)、『藤原道長の日常生活』(講談社現代新書)などがある。

「2023年 『小右記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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