現代日本を読む―ノンフィクションの名作・問題作 (中公新書 2609)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121026095

感想・レビュー・書評

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  • 大宅壮一ノンフィクション賞の受賞作を中心に、フィクションとも報道ジャーナリズムとも異なるノンフィクションとは何か、またその意義はどのようなところにあるのかを考えた作品。

    事実を記録するだけではなく、また(仮に実際の出来事を下敷きにしていたとしても)創作を織り交ぜることが原則としては認められないノンフィクションの領域では、書き手自身の立場、取材対象との関係、作品の構成の方法について、様々な葛藤をはらむ。

    筆者は特に、ノンフィクションとは事実を伝えることを目的としながらも、それをひと連なりのの「物語」として伝えるというところに特徴があると考えている。物語として伝えること、語り手を持つことによって、新たな可能性を生み、また読み手や社会との間に論争も生むというノンフィクションの性質を、様々な作品を通じて分析している。

    『苦海浄土』では、「聞き書き」というスタイルで表現されながらも、実際に耳で聞いた言葉ではなく、作者が心で感じた水俣病患者やその家族の声が綴られている。『日本人とユダヤ人』では、イザヤ・ベンダサンというユダヤ人作者は実はおらず、ユダヤ人に扮した日本人、山本七平が日本人論を語る。語る立場、対象の取り上げ方について、ノンフィクションは事実の報告書ほどの厳格なルールを持っていない。

    そして、対象の描き方の面では、沢木耕太郎がアメリカのジャーナリズムから導入した「ニュージャーナリズム」が、全体を貫く「物語」とそれを突き進めるための「細部への執着」を追求していったことにより、フィクションとノンフィクションの境界線ぎりぎりのところを行き来することになった様も描かれている。

    これらは、ノンフィクションがフィクションに近い表現技法を使いながらも事実を伝えることを目的としているという両面的な立場を持っていることから必然的に生まれてくる、本質的な論点であると思う。

    本書の中盤以降では、もう少し各論に入った感じがあり、ジェンダー、アカデミズムとの関係、虚構と現実を織り交ぜた作品への評価、写真表現とノンフィクション表現の関係性、科学をノンフィクションとして語ることの意義と課題、日記というメディアからみるノンフィクションの特徴といった内容が綴られている。

    これらの様々な角度からノンフィクションというジャンルに光を当てることで、ノンフィクションが持っている課題や可能性が、より立体的に見えてくる。そして筆者も、このような作業を通じて、ノンフィクションというジャンルに対する期待を伝えたかったのではないかと思う。

    アカデミズムのなかの文章では書き手や読み手が事実と向き合いながら変化をしていくというより深い「知」のあり方は生まれない。また、科学を科学的事実として伝えるだけでは、その科学が社会の中でどのように位置づけれられるべきかという論は生まれない。そして、歴史を事実として記録しているだけでは、それらをつなぐ物語は見えてこない。

    こういったことにノンフィクションというジャンルが絡んでいくことで、新しい視点や価値が生まれてくることを筆者は期待しているように思う。もちろん、フィクションや報道、学術論文など、それぞれの領域の文章との相互関係の中で、それぞれの役割が生まれてくるということであり、その間のバランスに常に意識的にならなければいけないのだろう。

    小説より創造性が乏しく、専門書より専門性が低く、報道より客観的ではないといった、中途半端な印象を持ちがちであったノンフィクションの意義について、改めて考えさせられる本だった。

  • 「日本ノンフィクション史」の筆者が具体的な作品からノンフィクションを論評する。どれも名作揃い28篇を通じて浮かび上がるノンフィクションとは何か。

    高度な内容。本書は読者を選ぶように思う。正直筆者の論を完全には理解できなかった。ノンフィクションとは何か、ジャーナリズムとは何か。深い深い内容。

    フィクションとノンフィクションの境目、作者というフィルターを介しているだけに何処までが真実でどこからが脚色なのか難しいところ。

    本書の投げかけるテーマは重い。

  • 週刊新潮20201029掲載

  • 東2法経図・6F開架:B1/5/2610/K

  • ノンフィクションの名作の内容を紹介するより、その名作がどのように読まれたかという歴史的文脈に重きを置かれている。
    武田徹氏の分析は確かであり、信頼を置ける。
    ただ、ノンフィクションの名作の案内本として、本書を手にした者は、少し肩透かしを食うであろう。

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著者プロフィール

昭和21 年、長野市に生まれ。
長野高校、早稲田大学を卒業後、信越放送(SBC)に入社。報道部記者を経て、ラジオを中心にディレクターやプロデューサーを務める。平成10 年に「つれづれ遊学舎」を設立して独立、現在はラジオパーソナリティー、フリーキャスターとして活躍。
主な出演番組は、「武田徹のつれづれ散歩道」「武田徹の『言葉はちから』」(いずれもSBC ラジオ)、「武田徹のラジオ熟年倶楽部」(FM ぜんこうじ)など。

「2022年 『武田徹つれづれ一徹人生』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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