中国哲学史-諸子百家から朱子学、現代の新儒家まで (中公新書, 2686)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121026866

作品紹介・あらすじ

春秋戦国時代に出現した孔子や老子ら諸子百家に始まり、朱子学と陽明学の到達を経て、現代新儒家に至る中国哲学。戦乱から帝国へ、仏教伝来とキリスト教宣教、西洋近代の波、辛亥革命と文化大革命。社会変動期に紡がれた思想は、のちの中国社会の根幹を形づくった。本書では中国3000年のすぐれた叡智を平易に読み解き、世界史の視点から吟味を加え、より深い理解へと読者を誘う。中国の原理を探る、新しい哲学史への招待。

感想・レビュー・書評

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  • 哲学者といえば欧米を思うけれど、孟子、老子、孔子…歴史の長い中国のこれが哲学だったと思い知る。
    例をもとに様々な展開が深すぎず丁度良い。

  • 高校漢文から派生して、岩波文庫や世界の名著、学研版中国の古典シリーズを読み漁った程度の知識では歯がたたないところだらけではあったが、老子注釈でしか名を知らなかった王弼や、漢詩しか知らなかった韓愈の思想にまで視野が広がった。
    新書の限られたスペースではあるが、豊富に訳文を掲載してあるところが、初心者にはありがたい。
    中国思想が仏教・キリスト教との衝突でいかに格闘したか、更には西欧哲学との相互影響のあたりは、殆どが初めて知ることばかりで興味深かった。
    近代から現代にかけての中国思想は、胡適等の僅かな例外を除き、初めて見る名前ばかり。
    講義録が基になっているようで、細かく章立てされているのが、かえって読みやすくなっている。
    巻末に記されている細かな参考文献を見ていると、幼い頃、文庫本巻末に付いていた広告を眺めて、次は何を買って読もうかと舐めるように見ていたワクワク感が蘇る。

  • 哲学史の為、各思想についてある程度の予備知識があればより面白いと思われる。

  • 孔子、老子、孟子、荀子、荘子、韓非子、朱熹、王陽明、胡適、仏教やキリスト教といった外来思想、その他中国の哲学の歴史。中国の哲学が哲学としての普遍性を持ちうるのか、それともあくまで中国の思想としてのローカルなものなのかといった議論も。

  • 難しい。

  • 中国哲学の歴史について。現代に近づくにつれて理解が難しかった。中国哲学の起源が孔子から始まるのか老子から始まるのかで論争があることを初めて知って、勉強になった。近世あたりでマテオ・リッチと中国の仏僧たちが殺生戒をめぐって論争になるのだが、そこのあたりが現代のヴィーガン周りの論争を彷彿とさせるところがあり、結構面白かった。

  • 期待以上の内容。中国思想の断片をつまみ食い的に知ることができれば、程度の思いだったが、単なるクロニクルではない、思想の流れを非常に解りやすく提示している。あとがきに網羅的でないとの謙遜があったが、むしろ網羅的でないからこそ遷移の様子がくっきりと浮かび上がるし、得てして中国哲学史は孔孟、朱熹、道家、王陽明にフォーカスが当たりがちだが、決してこれらに集中しすぎないことで相対的、網羅的に思想史を俯瞰できる。

  • 中国哲学史を、春秋戦国時代の諸子百家から現代に至るまで通して語るという、非常に読み応えのある本だった。ただし、それぞれの時代や思想家が各章にコンパクトにまとめられており、とても分かりやすい整理がされていると感じた。


    本書を読んでまず感じたのは、中国の哲学の大きな源流はやはり孔子に始まる儒教と老子に始まる道教の二つであるということである。

    儒教は他者への愛ともいえる「仁」と、他者への範例的な対応として形成される「礼」を軸として、社会を構築しようとする思想である。仁はキリスト教的な神の愛や神への愛ではなく、人間的な相互関係におけるものとして捉えられている。また、礼も絶対的な正義や固定化した制度・戒律としての法ではなく、社会に適合するようその都度見直される、実践的なものとして位置づけられる。また、礼は感情に由来する、ともされている。

    このように、儒教が本来持っている発想は現実社会に対する眼差しを持っており、また人間相互の関係性に基礎をおいているということが感じられた。そして、仁と礼、更には義や智といった概念も交えながら個人の身の修め方から家族、社会、国家といったもののあり方までを考察していく。

    以降、儒教を軸とする思想は、人間の「仁」の本性とは何か、またどのようにして社会に「礼」に基づく秩序を作り上げていけばよいのかを探究するものであったといえるように思う。董仲舒が打ち立てた公羊学は秦・漢帝国の正統性の基礎としての「天」という概念を作りだした。また、宋の時代に活躍した朱熹による朱子学は、孟子の性善説の議論を受け継いで、格物致知といわれる方法で、悪を退け本来の性である善を実現する道を説いた。

    一方の道教は、歴史の中では儒教の構築的な社会思想に対するアンチテーゼとして位置づけられてきたことが多いように思う。しかし、その中心にあるのは、「水の政治哲学」といわれるような柔軟さに第一の要点を置く方法論である。水のように柔軟であり、低きにあり国の垢を受け、不詳を受けるからこそ、最も強大な権力を握る存在として王を定義づけたことが、道教の重要な視点である。

    ただし、道教は儒教と比べると、その後の中国の歴史において、新たな思想家によって発展をさせられる機会は少なかったように思う。


    本書では、もう一つの視点として、中国の哲学が外部の文明との交流を通じてどのような影響受けてきたのかということを取り上げている。中国の思想は、2世紀以降の仏教の伝来、16世紀のキリスト教の伝来、そして18世紀以降の西洋近代文明との出会いによって、それぞれ大きな影響を受けている。これらの波は若干の時期の違いを持ちながらも日本にも到来しており、その意味で中国と日本の間での影響の受け方の差異は、興味深かった。

    仏教は「成仏」という変化によって救済を目指す宗教であるが、この考え方の伝来により、儒教は差別化を図るためにも現実社会における政治のあり方や修身に重点を置くように変化していったと思われる。一方の日本では、仏教の挑戦を受けたのは儒教ではなく神道や豪族による氏族社会であったと思う。日本においては、これらの宗教観や制度と仏教をいかに融合させ、新しい国家の形を作るかを考える方向に重点が置かれたように思う。

    一方のキリスト教と中国思想の出会いは、世界史的により興味深い影響を及ぼしている。まず中国においては、キリスト教は儒教ではなく仏教をその競争相手と捉えた。儒教は神の世界の思想ではなく、従って競合相手とは見做されなかったからである。そして仏教徒キリスト教の間では、殺生戒の是非などをめぐる論争が交わされる。

    しかし、この時代の交流を受けてむしろ大きなインパクトを受けたのは西洋思想の方だった。特に、ライプニッツら17世紀のヨーロッパの科学者たちが、イエズス会らによってもたらされた中国に関する知識をもとに中国論を著すほどに、中国の思想に関心を持っていたということは、非常に驚きであった。

    ライプニッツらが中国思想に触れ、その衝撃から突き付けられたのは、「神なしでも世界は存在するかもしれない」という問いである。このことは、近代という思想、特に啓蒙主義の誕生に大きな影響を与える。

    これによって始まった西洋の近代は、やがて自然科学の発展と産業革命へとつながり、18世紀に再び中国に影響を与えるようになる。中国にとって西洋近代との出会いは、中国におけるプラグマティズムを磨き上げる契機となると同時に、東洋文明という視点で自らの文明の独自性を見つめ直すことにもつながった。

    中国におけるプラグマティズムの哲学を先導したのは胡適である。彼は、清朝末期に起こった「中体西用」といった発想を拒絶し、徹底的に西洋を取り入れたプラグマティズムを打ち立てようとした。この発想が、西洋近代における宗教の世俗化、社会道徳化を追うような、哲学の刷新の流れを中国において生みだした。そして、宗教の道徳化という視点から儒教を読み直すことで、その後「新儒教」と呼ばれる思想を生んでいる。

    中国の哲学は、このように世界の他の文明との交渉により常に読み直されてきたし、また神との関係性で社会のあり方を考えるという視点とは異なる体系を発展させてきたことで、西洋など他の文明にも影響を与えていたということは、非常に興味深いものだった。


    最後に、本書では20世紀以降の中国思想も触れられている。なかなか世界の思想の潮流の中に位置づけて議論されることのない中国の現代思想であるが、その現状を知ることができるというのも、本書の大きな長所であると思う。

    20世紀に入ってからの中国では、「新儒家」と呼ばれる一連の思想家が生まれた。胡適のプラグマティズムを受けた思想の改革の流れの中で、儒教をいかに西洋哲学と融合するかということが、その最初の課題であった。

    特に社会の仕組みとしての民主主義と、儒教が長らくモデルとしてきた聖人君主による統治との間の違いを、どのように架橋していくかということが、大きなテーマであった。西洋民主主義とは異なる、儒教を融合させた新たな民主主義を構築しようとする発想、内面において儒教の価値観を用いながら、社会体制は西洋民主主義に置き換えるという発想など、様々な形で議論がなされている。

    いずれの方向性を取るにしても、仁という心への眼差しと礼という他者への振る舞いを長い間考えてきた儒教という思想が、西洋の神との契約をもとにした社会規範のあり方とは異なる発想を生んでいるという点は、非常に興味深かった。

    また、東洋文明というアイデンティティを組み込んだ新たな思想体系を、西洋文明の思想に対置するものとして掲げていくべきではないかという議論も、出てきている。伝統的な華夷主義を乗り越え、脱中心、脱ヒエラルキーの世界秩序を掲げ、更に天や神といった超越世界をよりどころにするのでもない新しい国際秩序のあり方を構想する許紀霖の新天下主義などがその一例である。

    また、このタイミングで、方法論としての中国思想というアプローチから中国思想の持つ普遍的な価値を探究する発想も出てきている。その代表が、水の方法論を提唱した趙汀陽である。これは、道教の視点が現代において蘇ってきたようで、中国の思想のもう一つの源流が今にも繋がっていることを感じられる点である。

    現代中国においては、中国共産党が思想の面でも指導をするという体制が強く、哲学が自由に発展できる土壌にはなっていないため、哲学の発展がどうしても抑制的になるを得ない側面はあると思う。新儒家の思想家たちも香港や台湾などで活躍する例が多い。

    しかし、思想活動は現代においても続いており、儒教や道教といった土壌の中から、普遍的価値を探究する思索が、今後世界にどのような影響をもたらしていくのかということは、注目して見ていくべきことであると思う。


    ギリシア以来の西洋哲学を軸として語られることの多い哲学史であるが、中国哲学史を描き、それと他の文明との相互作用や現代社会に対する考察の内容を知ることで、複線的な視点で思想史を考えさせてくれる本であると思う。

  • 本書は副題の「諸子百家から朱子学、現代の新儒家まで」通り、中国3000年の哲学史を叙述したものであるが、単に各思想家の思想や哲学を紹介するにとどまらず、それら思想を世界史的な連環のなかに位置付けて読み解くことを試みた「新しい哲学史」と言えるだろう。

    たとえば第2章で取り上げられるおなじみの孔子も司馬遷が描いた「異様な異邦人」として捉えられ、歴史のヘテロトピア(異質性、異邦性)の重要性が強調され、中国<哲学史>のスタートして措定される。まさに「はじめに」の「グローバル・ヒストリー」の部分(p.16)で問題提起されている歴史学が前提としている諸概念の「哲学史的」見直しの可能性、「普遍化すること」への可能性を開いていくのである。

    自分なりにもう少し整理してからきちんとレビューしようかと思うが、取りあえず備忘として。

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著者プロフィール

東京大学東洋文化研究所教授

「2024年 『日本の近代思想を読みなおす4 女性/ジェンダー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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