陰謀論-民主主義を揺るがすメカニズム (中公新書 2722)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121027221

作品紹介・あらすじ

2021年、米国で起きた連邦議会襲撃は、民主主義の根幹を揺るがす事件であった。世界に衝撃を与えたこの事件は、首謀者たちが「Qアノン」と呼ばれる陰謀論サイトを盲信していたことでも注目を集めた。荒唐無稽な陰謀論が、多数に信じられ、政治的影響力を持ったのはなぜか。本書では、陰謀論受容のメカニズムを実証研究にもとづき解説。政治観、メディア利用、公共的知識などの要素と陰謀論受容との関連を明らかにし、社会の向き合い方を考える。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    「コロナウイルスは政府によって作られた偽の病気」「ワクチンにはマイクロチップが入れられている」「某俳優の自殺は実は他殺だった」……。
    パンデミック以降、日本のSNSでもちらほらと陰謀論を見かけるようになった。陰謀論自体は根拠がでたらめで信憑性の無い、いわば「トンデモ論」である。そのため「自分は騙されるほど馬鹿じゃない」と感じている人も多いが、実はデータの上では、結構な人々が「既に騙されている」ことが判明している。インターネット上でしばしば観察される「北朝鮮グル説」――政府に都合が悪いことがあると決まって北朝鮮からミサイルが発射されるのは、両政府が実は裏で繋がっているからだ――について、筆者がリスト実験を行った結果、およそ4分の1の人々がその説を信じていることが明らかになった。日本人の4人に1人が、北朝鮮と日本政府が裏でつながっていることを信じているなんて、なんて背筋の寒くなる話だろうか。

    しかも厄介なことに、政治的関心や知識が増えれば、より冷静で客観的な判断が下せる、というわけではないのだ。筆者の調査で、政治的関心が高く、知識も豊富な人のほうが、「それらしい」陰謀論を受容しやすい傾向にあり、逆に、プライベートな出来事に没頭している人のほうが陰謀論を信じにくい傾向にあることが判明している。
    当然だが、陰謀論にも強度がある。「政府がワクチンにマイクロチップを埋め込んで国民を操作しようとしている」という話なら論理的に破綻しているのは明白だが、「○○県上空で起こった旅客機の墜落事故は、実は米軍の戦闘機が誤って撃墜したものであり、基地移転の障害とならないよう米軍と日本政府の間で隠ぺいが行われた」という論であれば、確度が多少上がったように思える。そうした「それらしい」言説は、真実と嘘をないまぜにしているため、情報の切り取り方と受け手の受容の仕方によっては、パズルの1ピースが見事にはまったように感じ、「ありえる話」として信じてしまうのだ。

    ではいったい、陰謀論から身を守るにはどうすればいいのか?酷なことを言ってしまうと、陰謀論を完全に防ぐのは不可能だ。陰謀論はどのテーマにも現れるし、誰もが信じてしまう可能性を孕んでいる。
    陰謀論に踊らされないためには、政治への知識を増やすよりも、情報に対する自身の態度を誠実にする必要がある。
    筆者が、各種SNSの利用頻度と陰謀論の受容関係について調査を行ったところ、「ツイッターを頻繁に利用している若年層は、陰謀論を信じにくい」という結果が出た。ツイッターと言えば過激な言説が目立つSNSの筆頭であり、陰謀論系のアカウントが軒を連ねているにも関わらずだ。これは、若年層のツイッターの利用方法に秘密があった。多くの若者はプライベートな出来事をつぶやく程度であり、政治の情報を追っている人は少ない。その「政治からの遠さ」が、陰謀論を防ぐ鍵となったのだ。
    もちろん、政治に無頓着であってはいけない。しかし、日々洪水のように情報があふれ、さまざまな価値観がひしめきあう現代においては、自らの「政治的信念」や「正しさ」に固執して、他者をやたらと攻撃するケースが散見される。そのような「人の考えを受け入れない態度」を取るようであれば、そこに陰謀論がつけこむ余地が生まれる。己の信念を貫くのはよいが、「何事もほどほどに」にする。そして「他人の意見を認める」という謙虚な態度を取ることこそが、陰謀論に取り込まれないための堅実な方法なのである。

    ――政治や社会の問題についてよく注意を払ったり、勉強したりする人ほど、さらに深く、その問題の歴史的な背景や、そうなっていることの「原因」についても知りたいと思うようになるのは人間の基本的な性質であろう。それがいい方向に転べば、専門性が高まり、適切な資料・データを吟味した上で鋭い提言を繰り出せるような、人々から尊敬を集めるオピニオンリーダーになれるかもしれない。
    しかし、現実はどうだろうか。とりわけ「政治」について関心を持ちすぎることによって、いたずらに相対する政治的意見への対立意識を深めたり、異なる意見を持つ他者への寛容性を失ったりする有様が、さまざまな場面で観察される。ネット右翼やオンライン排外主義者、あるいは特定の政党を支持する人々も、結局のところ、政治に過度に関心を持っていたり、自らのレンズが特定の政治的な見方に「染まりすぎている」がゆえに、陰謀論に吸い寄せられていると言えるのかもしれない。政治に詳しくなることの副作用に接するほど、「何事もほどほどに」というありふれた警句の深さが身に染みるのである。

    ――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 陰謀論の定義
    本書では、陰謀論を「『重要な出来事の裏では、一般人には見えない力がうごめいている』と考える思考様式」と定義する。
    陰謀論は単なる「フェイクニュース」とは違う性質を持つ。その決定的な違いは「検証可能性」だ。フェイクニュースは、メディアや専門家による「事後的な検証」によって、その情報の精確さはある程度示すことができる。それに対して、陰謀論は、専門家であれメディアであれ、それが陰謀なのかどうかを早期に検証して真偽を定かにすることが極めて難しい。その点が、フェイクニュースと陰謀論で大きく異なる点だと言える。そうした違いは、陰謀論の定義でも示したように、限られたごく一部の人々のあいだでしか共有されない「秘密の企み」によって事象を説明するという、陰謀論の性質に由来する。

    陰謀論者には、政治的動機を持つ場合だけでなく、経済的動機――アフィリエイトによる広告収入を得ることを目的としたサイトの運営――を持つ場合がある。

    筆者が日本人2001名を対象に陰謀論的信念に関するアンケート調査を行ったところ、およそ20〜40%の人が、陰謀論的言説を「正しい」もしくは「やや正しい」と回答した。この日本で陰謀論なんて信じているのは、ごくごく一部の特殊な人、とは簡単に言い切れないことがわかるだろう。
    もちろん、陰謀論的信念を持つ者の中には、そういった考えを一切表には出さずに日常生活を送っている人も少なくないだろう。ただし、コロナ禍が明らかにしたように、ひとたび社会に混乱や大きな不安が生まれたとき、陰謀論的信念という潜在的な「種」が芽を出すことがある。

    そもそも、陰謀論を信じる人々は、今、目の前で起きている出来事や状態を是認できないという強い考えや意見を持っている場合が少なくないことが既存の研究でも明らかになっている。つまり、現実が、彼らが想定する「あるべき現実」とあまりに乖離していることへの不満があり、陰謀論はその乖離を埋めるための便利な道具として利用されている側面がある。現実と「あるべき現実」とが乖離しているような人々にとって、陰謀論を信じることは不満解消法であるとも言えるだろう。そう考えれば、多くの人間が理想と現実とのギャップの悩みを抱えており、その不満を緩和しようとすることは特段珍しいものではない。

    「動機づけられた推論」という概念がある。これは、自身が持つ特定の考えなどの方向性に基づいて、望ましい結論に達するよう情報を整合的に解釈することである。政治的イシューにおいては、もともと政治に無関心な人よりも、自分の政治的な信念に動機づけられて解釈を曲げる人のほうが多い。政治に関心のある人のほうが陰謀論に染まりやすいのである。このことから、陰謀論が人々の意識や思考にいかなる影響を及ぼすかを考える上では、そもそも人々がどのような政治的・心理的傾向を潜在的に有しているのかについて検討しておくことが極めて重要である。


    2 陰謀論とソーシャルメディア
    因子分析の結果、陰謀論的信念の高さと関連するメディア利用方法として指摘できるのは、ヤフコメと民法の報道番組の利用頻度が高いことであり、逆に、NHKや新聞、ツイッターの利用頻度の高さは、陰謀論的信念の低さと関連していた。
    ツイッター上には陰謀論が数多く流通しており、「悪いメディア」であるという印象が一般に持たれているかもしれない。しかし、実際にはツイッターは利用方法が多岐にわたり、触れる話題は極めて日常的な出来事についてのものが中心である。社会的・政治的な出来事についての情報を目にする機会は必ずしも多くないのかもしれない。
    ただし、若年層ではツイッターの利用頻度が高いほど陰謀論的信念が低くなっているが、ミドル層やシニア層では大きな減少効果は見られない。一方で、まとめサイトの効果はそれとは真逆であり、シニア層においてまとめサイトを毎日見ている層は、より陰謀論的信念を持ちやすい傾向にある。

    少なくとも実証分析の上では、ツイッターが陰謀論的信念を高めるような効果を確認することはできない。それにもかかわらず、「ツイッターは社会に悪影響を及ぼす」といった言説に一定の説得力があるように感じられるのはなぜなのか。この点も踏まえ、メディア研究でしばしば指摘される「第三者効果(自分以外の多くの人は、メディアに誘導されたり、騙されたりしているだろうという考え)」が陰謀論の受容においても働いている可能性を検討したところ、多くの人が、「自分自身は(冷静だから)ウェブ上の陰謀論やデマ情報に騙されないが、自分以外の多くの人はきっとそうした情報に騙されているだろう」という認識を持っており、さらに、このような第三者効果の認識は、とくにツイッターの利用頻度が高いほど感じる傾向にあることも明らかとなった。


    3 保守の陰謀論
    日本人の政治意識を調査した結果、自身の政治的意見を「普通」だと自認する人々は、ネット右翼やオンライン排外主義者たち寄りの意見を有していることがわかった。保守寄りだ。「普通であると」自認する人の意見と、日本人全体の意見の「平均」が乖離するケースが見受けられる。
    「普通」という基準は、実に曖昧である。たとえば、世論調査などの結果から得られる平均的な値も、普通自認層から見れば、その結果が自分の意見とずれていれば「普通ではない」と考えるだろう。こうした思考様式がより深化していくと、私の考えが「普通」であり、多くの人々(世論)の考えは「普通ではない」「何かおかしい」、さらに進めば、「真実を知らない衆愚」といった考え方に変質していくおそれがある。
    このように、自身を「普通の日本人」とみなす感覚は、陰謀論を受容するひとつの心理的な素地になっていると考えられる。

    インターネット上でしばしば観察される3つの陰謀論(北朝鮮グル説・広告代理店グル説・外国政府グル説)の受容について、リスト実験を用いてより厳密に検証した結果、日本人全体ではおよそ4分の1の人々が北朝鮮グル説を受容しており、「普通自認層」に限定すれば、その割合が36%まで増加することがわかった。また、外国政府グル説についても、普通自認層に限定すると、およそ半数がそれを受容していることが明らかになった。

    自身の意見が「普通」かどうかを判断するためには、他者の意見と比較し、相対化することが重要だろう。しかしながら、日本の政治文化は、伝統的に「政治に関わりたくない」意識が強いと言われる。つまり、政治に関する話題を友人や同僚と話すことを嫌い、仮に政府に不満を覚えても、デモや署名などの抗議活動にはつながりにくく、せいぜいSNSで「政治家はバカばっかりだ」とつぶやくくらいの人も多いのが実状である。こうした日本の政治文化的な背景が、他者の政治的意見と比べる機会を少なくさせている。それゆえ、日本は、自分の意見がどれくらい一般的なものなのかを検証することが難しい国になってしまっていると言える。
    そのように考えると、私たちは時々「普通」のレールから外れ、少し俯瞰的な見方に立って自らの政治的意見の位置を振り返るべきなのだろう。そうしたほんの少しの内省こそが、結果的に、陰謀論から距離を置くことにもつながるはずである。


    4 リベラルの陰謀論
    左派における陰謀論の受容について考える機会は、右派の場合に比べて相対的に少ない。しかし、「動機づけられた推論」の観点から言えば、必ずしも無縁というわけではない。

    野党支持者たちが発信する陰謀論的な言説には、右派が発する陰謀論に比べて、それを一見して陰謀論であると判定しにくいという性質がある。野党支持者は、しばしば政府を批判する言説を展開するが、その言説が「正当な批判」なのか「陰謀論」なのかは見分けづらく、ときに混在していることがある。
    野党支持者による政府批判には、「正当な政府批判(A型)」と「陰謀論的な政府批判(B型)」が混在しており、「混合型の政府批判(AB型)」も含まれる。AB型の政府批判は、取材結果などにもとづいて左派系の新聞などが発表するA型の政府批判を受けて、その情報の消費者である熱心な野党支持者が、いわば「無理やりな解釈」(B型)を行い、それらが拡散し、入り交じる形で生まれる。こうした日本の野党支持者における独特な構造は、虚実が入り乱れることから、「野党支持者の中の陰謀論」を考えることを困難にしてしまう。他方で、政権与党と野党が固定化されている状況下では、政府支持者から「それは陰謀論だ」というレトリックで(A型の要素を捨象して)政府批判がすべて封じられてしまうおそれもあり、その点も社会的な捉え方を難しくする要素のひとつと言えるかもしれない。

    リベラル政党が選挙に長らく勝てていない日本においては、自身の望む政治的目標が達成されないことに対するフラストレーションが、陰謀論を引き寄せている可能性が高い。


    5 政治的関心と陰謀論
    政治的関心が高く、政治的な知識の高い人のほうが、「それらしい(=秘密結社などの荒唐無稽な俗説ではなく、実在の機関や政治動向などを組み合わせた情報)」陰謀論を受容しやすい傾向にある。逆に、公的な話題とは無縁の、プライベートな出来事に没頭している人のほうが陰謀論を信じにくい傾向が明らかになった。

    政治や社会の問題についてよく注意を払ったり、勉強したりする人ほど、さらに深く、その問題の歴史的な背景や、そうなっていることの「原因」についても知りたいと思うようになるのは人間の基本的な性質であろう。それがいい方向に転べば、専門性が高まり、適切な資料・データを吟味した上で鋭い提言を繰り出せるような、人々から尊敬を集めるオピニオンリーダーになれるかもしれない。
    しかし、現実はどうだろうか。とりわけ「政治」について関心を持ちすぎることによって、いたずらに相対する政治的意見への対立意識を深めたり、異なる意見を持つ他者への寛容性を失ったりする有様が、さまざまな場面で観察される。ネット右翼やオンライン排外主義者、あるいは特定の政党を支持する人々も、結局のところ、政治に過度に関心を持っていたり、自らのレンズが特定の政治的な見方に「染まりすぎている」がゆえに、陰謀論に吸い寄せられていると言えるのかもしれない。政治に詳しくなることの副作用に接するほど、「何事もほどほどに」というありふれた警句の深さが身に染みるのである。


    6 民主主義はどうすべきか
    日本人における陰謀論受容のメカニズムを考えると、一律的に陰謀論に引っかかりやすい人など実は存在せず、あらゆる人がいつ陰謀論に引っかかってもおかしくないと考えるほうが適切であるように思われる。
    そして、より重要なポイントは、「誰が信じるか」よりも、「自分の正しさを支えてくれるから信じる」という陰謀論受容のメカニズムのほうにある。

    では、どのようにすれば、何が正しい情報で、何が陰謀論かをうまく弁別できるのだろうか。そのためには、やはり(ある程度)公式的な情報に対する社会的な信頼感が必要となるだろう。中でもとくに重要なのは、マスメディアに対する信頼感だと考える。政府による公式的な記者会見や発表も、多くの人々は、新聞やテレビなどのマスメディアを通じて知ることになる。また、インターネット上のニュースサイトが伝える情報の多くも、結局は、大手新聞社やテレビ報道の情報に依存して伝えることがほとんどであることを考えると、やはり伝統的なメディアの役割は今でも極めて大きい。

    日々、洪水のように情報があふれ、供給過多が起きている現代社会は、ますます複雑でわかりにくくなっている。そうした中にあって、さまざまな価値観がひしめきあい、自らの「正しさ」を競っているような現状もある(ここで言う「正しさ」とは「正確性」の意味ではなく、各個人が持つ「正義の信念」のことである)。言うまでもなく、社会が多様な価値観を認めることは極めて重要である。しかし、人々が自らの「正しさ」に固執すれば、そこに陰謀論がつけこむ余地が生まれる。
    まさに、「自分にとっての正しさ」が動機づけとなって、知らずしらずのうちに陰謀論的思考に接近するおそれは、誰にとってもあるのだ。「何事もほどほどに」、それに加えて、「自分の中の正しさを過剰に求めすぎない」という姿勢こそが、今の社会に求められているように感じられてならない。

  • この本は、陰謀論の本ではありません。アンケート調査についての本です。騙されないように。

  • 陰謀論とカテゴライズする以前に、虚実を確かめられれば良いはずで、議論の余地があるから、仮説が陰謀論とされる。陰謀論とする事で、人はその説を蔑み取り扱わないようにする。しかし、それを信じる人にとっては陰謀ではないのだから、自然、対立軸としての通説、社会通念が存在する。

    社会やマスコミによる通説に対し信頼性が下がれば下がるほど、陰謀論とされる異説が生まれる。インターネットにより論説が自由化され、異説が徐々に力をつける。そうした異説を信じたい層、信じがちな層が次々と信者になる。本著は、そうした偏りや傾向をデータ分析し、解説する。例えば、政治に関心がある層の方が、秘密結社の存在を信じやすいか否かなど。

    誤った認識で暴動が起きる事は避けるべきだが、陰謀か否かより重要な議論は、社会通念が自らの味方かどうかだ。人生を必死に生きても一向に報われないなら、何かに支配された気分になっても仕方ない。古い株のワクチンを必死に打たせようとする政府に企みを感じても仕方ない。

    古くは雨乞い生贄を焼くと雨が降った事を結びつけ、誤った因果推論で物語を描いた人間が、事象と仮説を結び付けて曲解、歪曲したとて、あり得ない事ではない。厄介なのはインターネットで自らの非科学的な体験や思想を共有、補強し合う、そうした近似知能階層が齎すエコーチェンバーやフィルターバブルのような現象だ。暴動を煽る、差別を助長する、反社会的な行動を促すような投稿は規制しなければならない。そして、その傾向がある人たちは、既にあるデータから管理識別できるはずだ、というとこれも陰謀論だろうか。

  • 新書大賞でも高評価だったので、積読状態だったものを読んだ。

    結論から言うと、どういった人が「陰謀論」を受容(信じるか)するかを、科学的な社会調査の手法を使って分析した本で、「陰謀論」その物を知りたい人にとってはは不満を覚えるかもしれない。

    かく言う私も、世間にはどう言う中身の「陰謀論」があって、その「陰謀論」が出来た目的やら広まった過程等が分析されていると思い読み始めたので、少々肩透かしを食らった。

    「陰謀論」は単なる社会調査の素材で、社会調査の手法に興味がある人にとっては面白いと思うかもしれない。「陰謀論」の中身や内容に興味のある人にはお勧めできないかな。

    もっともこの調査の分析結果は少々以外であるのは面白かったが・・

  • ●陰謀論を信じる人たちはある現象の根本的な原因は社会的に隠されていると考えるため、いくら科学的な検証に基づいて反論をしたところでさほど意味をなさない。陰謀論を陰謀論たらしめているのは、客観的なロジックや事実ではなく、個人ないし同じ考えを持つ者同士の主観的な認識であって「信じるか信じないかはあなた次第」と言うことになる。

  •  社会科学の統計的手法を使って定量的に陰謀論の実態を分析した本。因子分析によって導き出された因子を「陰謀論的信念」と仮定し、サーベイ実験(対照実験)によって原因を探る。
     そもそも陰謀論はフェイクニュースと異なり反証可能性がない主張であり、陰謀論的信念を持つ層は党派を超えて多く存在する。左右ともに選択的メカニズムにより信念に合う現実観を持つのだ。
     SNSが陰謀論の巣窟とされることが多いが、統計的には民放報道とヤフコメ、まとめサイト利用者に陰謀論者が多い。逆にツイッターやNHK、新聞利用者では陰謀論者が少ない。ツイッターを多く利用する若年層では日常的会話が多く、陰謀論の入る余地は少ない。これは、他で指摘されているようにツイッターの中で陰謀論者がエコチェンバーに陥っているからではないかと思った。大多数には影響を与えていないのだろう。また、年齢でいうと高齢者の方がSNSとの関わりで陰謀論に陥りやすい。ではなぜツイッター警鐘論があるからと言うと、他人を見下す第三者効果があると筆者は語る。確かに。実際には自分も他人と変わらない人間のはずなのに。
     次に陰謀論に陥りやすい層についての研究。保守層ではネトウヨをリスト実験により本音を引き出して分析する。「普通」を自認する層(全体の半分!)は結局個人の意見を普通だと思い、全体を客観視できていないことが分かった。これは政治的対話の欠如の帰結だそうだ。
     またリベラル側では、政権を取れない万年野党としての鬱屈した感情が、正当な政府批判とトンデモ政府批判の混同、さらには選挙制度自体(18歳選挙権等)の感情的信頼の衰退につながっているという。
     最後に、実は政治に詳しくなるという行為自体が陰謀論に近づいているということを示す。質問中の属性を変えて潜在意識を探るヴィネット実験では、政治的関心が高く政治的知識を持つ人が奇説に反応してしまうことが分かった。
     筆者はそれに対してバランス感覚や政治への一定距離(無関心ではない)、マスメディアへの信頼をあげる。

    今作はまさに時流に乗った良作だが、統計的な説明が多いため、数字の分かる層には刺さっても大多数には刺さらなそうである。また統計的説明が主眼であるため、より踏み込んだ議論は少なかった。その考察は読者にゆだねられているのだろう。

    よくNHKが左右から共に攻撃されている姿をネットで見かけるが、それが逆説的にNHKが中立的なことの証明になっていることに代表されるように、自分の思想を客観的に把握できない人、現実を受け入れられない人が極端な主張に取り込まれ、バランス感覚を持った人が攻撃される現象が増えると思う。それを防ぐためには政治的対話が必要であり、本当の有権者教育とは「政治に詳しくなる」啓蒙教育ではなく相互の政治交流を可能にする意識変革ではないだろうか。その前提となることはリアルで太い関係性を築いていることに加え各々が寛容と忍耐の意識を持っていることだろうが、個人主義の強い現代でそういったある種快適でない共同体的関係が受け入れられるのかは疑わしいところである。
     また世間はお前が思っているほどには馬鹿ではないという意識も大事だろう。そういった秘密が簡単に隠匿できるのであればスキャンダルなど起こるはずもない。

  • データ分析を中心に日本の陰謀論の実態を解明していく。
    普通という言葉は自己肯定するための便利なマジックワードになる、という意見は本当に賛成。

  • 新聞の書評か何かで目にして読みました。もう少し軽い感じの本かと思っておりましたが、統計的なアプローチを丁寧に行った調査に基づくしっかりとした本でした。カルトでも陰謀論でも、なぜそこに惹かれるのかを知ることは、自分が陰謀論等の信者にならないために必要なことだと思いました。誰もがなりうる可能性がある、人間はいつでも理性的でありえるわけではないことを意識しておくことの重要性を学びました。

  • <要旨>
    陰謀論は民主主義の根幹を揺るがしかねない事象であり、日本だけでなく世界各地でも同時多発的に進行している。
    本書ではアンケート調査を基にした統計分析により、陰謀論の通説(ネトウヨ、SNS)について分析をおこなっている。

    <感想>
    若年世帯ではSNSの活用が陰謀論の波及に負の影響(SNSを使うほうが、陰謀論に染まらない)といった、常識と反する結果が得られるなど、分析してみないと分からないなと思った。

  • 陰謀論それ自体は検証不可能だがメンタリティに関しては傾向性がある。

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著者プロフィール

秦正樹
1988年広島県生まれ. 京都府立大学公共政策学部公共政策学科准教授. 2016年, 神戸大学大学院法学研究科(政治学)博士課程後期課程修了. 学位取得論文:「政治関心の形成メカニズム――人は「政治」といかに向きあうか」. 神戸大学学術研究員, 関西大学非常勤研究員, 北九州市立大学講師などを経て, 現職. 共著に『日本は「右傾化」したのか』(小熊英二・樋口直人編、慶應義塾大学出版会), 『共生社会の再構築II デモクラシーと境界線の再定位』(大賀哲・仁平典宏・山本圭編、法律文化社)など.

「2022年 『陰謀論 民主主義を揺るがすメカニズム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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