日本語の発音はどう変わってきたか-「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅 (中公新書 2740)
- 中央公論新社 (2023年2月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121027405
作品紹介・あらすじ
「問・母とは二度会ったが、父とは一度も会わないもの、なーんだ?」(答・くちびる)。この室町時代のなぞなぞから、当時「ハハ」は「パパ」のように発音されていたことがわかる。日本語の発音はどのように変化してきたのか。奈良時代には母音が8つあった? 「平」を「ヘイ」と読んだり「ビョウ」と読んだり、なぜ漢字には複数の音読みがあるのか? 和歌の字余りに潜む謎からわかる古代語の真実とは? 千三百年に及ぶ音声の歴史をたどる。
感想・レビュー・書評
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奈良時代、サ行とハ行の発音が今とは違っていて、例えば「笹の葉」は「ツァツァノパ」と発音されていたらしい。
そして、ハ行をパ行で発音していたのが、平安時代にはファ行に移っていき、おそらく18世紀はじめまで、はひふへほの音は「ファフィフフェフォ」と発音されていたらしい。
どうしてそれがわかるのかを、本居宣長の『古事記伝』など様々な文献から繙いていく。
『源氏物語』が書かれた当時、ひらがなは書かれた通りに発音され、(あはれ=アファレなど)今のように書き言葉と話し言葉が乖離していることもなかったらしい。
言葉が増えて1音節の文字数が増えるにつれ、発音はルーズになり、8音あった母音もいくつかが吸収されてなくなっていった。
そういう発音の変遷や、日本ではどうして1つの漢字にあんなにもたくさんの読み方があるのかなども解説があった。
ところどころ何を説明してくれているのかよくわからなくなるところがあったけど、藤原定家や本居宣長が研究したことの内容や意義を知れたし、昔の人は言葉が変わっていくことを知らず昔の写本を間違いだらけと思っていたっぽいのがおもしろかった。
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かねてより「昔の日本語はこんな発音でした」みたいな記事を読むたびに、どうやってそんなことを調べられるのだろうかと不思議に思っていた。本書によりおおむね疑問氷解。スッキリしました
日本語は五十音図の母音と子音がクロスした発音であると思ってふだん疑うこともないが、たとえばタ行などは、同じt音で揃えると実はタ・ティ・トゥ・テ・トになる。そんな身近すぎて逆に意識できていないことが見えてくる快感もあった -
高校生時代、日本語の発音が現代と異なる事だけは授業で聴いたが、それきりだった。p→f→hというハ行発音の変化や、五十音表にない『ゐ』『ゑ』が消えた経緯を知れて良かった。本居宣長の仕事が発音記号もなかった江戸時代に於いて刮目する偉業であると改めて認識できた。
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なかなか難敵な1冊でした。大学生の時に勉強した英語学の発音をもう一度学習し直してからチャレンジすべきだったかもしれません。
とはいえ・・、そんな余裕もないので、読みきりました。
日本語は難しい。言われてみれば、漢字に加え、ひらがな、カタカナ、ローマ字、英語まで文中に存在する言語。こんな言語は世界広しといえども日本語だけ。でも、そんな言語を小学生でもある程度の精度で話している。それが、日本人。
そもそも、何でこんな複雑な言語構造なったのか?
その謎に真っ正面から解凍してくれる1冊です。
そもそも、漢字だけで文章を構成していた日本人。そこに、ひらがな、カタカナが生まれた。似→い、伊→イ、と何故か漢字から2種類の文字が生まれてしまう。そして、漢字とひらがなを組み合わせた藤原定家。彼がいなければ、我々の日本語はまた別のものに変化していただろう。
戦国時代、、江戸時代に当時どんな日本語を話していたのか、興味を持たないない日本人はいまい。
あいうえおはいつ、始まったのか?
小倉百人一首は、何故難しいのか?
こういう問いに素直に答えてくれる本である。
子供の頃から、不思議に思っていたことに対する答えを今見つけた感じがする。
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古代音の再現と現代音までの変遷がテーマ。冒頭の奈良時代の音声の再現に惹かれて買ったが、冒頭だけだった。真ん中はほぼ漢字の音読みの話。日本語といえば日本語に違いはないが、想像したのとちょっと違う。漢字の話と並んで仮名遣いの話も続くが、だんだんと逸れていった気もする。
作者が結局言いたかったのは、藤原定家とか契沖とか本居宣長とか、もっとくだって橋本進吉とか有坂秀世とか、そういう人たちがいかに古代音を再現しようと苦心したか、という「再現の過程」であって、再現そのものではなかったのではないかと。もう少し本の題名を考えてほしかった。まあ、これはこれで面白いが。
ただ、この本の内容のほとんどが別の本でも読めてしまう。作者はこの主題に絞った通考本はないというし、なるほどそれはそうかも知らんが、ではその分詳しいかというと別にそうでもなく、新しい発見もあまりなく、前に別の本で読んだ内容の復習でしかなかった。
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疑問
p.14「一音節のstrikeを取り入れた日本語のストライクは、……仮名表記すると[ai]で「あい」二字分取って「すとらいく」と五拍……となる。」
p.15「はながさいた……は、五音節として……分析される。「さい」が一音節であるのは[ai]で聞こえのひとかたまりを成しているからである。」
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ストライクも一拍では………。
疑問
p.22「……中国文化の影響をどの時代より受けたことによる。」
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「この時代」の誤植か?
疑問
p.24「さらにサ行子音はs音ではなくts音つまり「ツァ・ツィ・ツ・ツェ・ツォ」であった……。」
p.27「さtsa しsi す せ……現代語と変わらない発音については……表示しない。」
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え………?ツァツィツツェツォではないのか……しかも江戸まではセではなくシェと発音されたって聞いたことあるが、結局最後まで読んでもでてこなかった。漢字の話もう少しけずってそうゆうところ話してほしかったな。
疑問
p.46「イ列音は、同一語根内にオ列甲乙音とも共存する。」
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イ列音にも甲乙の別ありって説明してたのに、なんでここにきてイ列音で一括り?
疑問
p.80「十世紀当時、仮名遣いの修得という面倒な稽古などなく、……」
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変体仮名のオンパレードの時代にあってそれほど容易に修得できたか否か。
疑問
p.128「上代語の母音体系が崩れた際……、ヤ行「延」とア行「衣」の区別が消失した際にも仮名遣いの問題を引き起こさなかった。……一音多字の万葉仮名では、綴り方の成立はない。……語の綴りに安定的な字順が存在するという認識は、一音に対して一字に種類が絞られた平仮名によって成り立つのである。」
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万葉仮名にもルールあるてゆうてましたやん……。そのルールが崩れてない理由を解かな無意味やん。
疑問
p.173「如是我聞 (にょぜがもん) 一時仏在 (いちじぶつざい) 舎衛国 (しゃえいこく) 〜という呉音読みに慣れきった耳には、(じょしがぶん いっしふっさい しゃえけき) 〜という漢音読みの読経音には違和感が伴う。」
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舎衛国 (しゃえけき)、読みは正しいらしいが、ケキは漢音なのかという疑問。ここで紹介すると混乱しかうまない。まして、辞書にも登録されていないような音。
疑問
p.176「……三内入声音について古代において漢字音を習いたての日本人は、日本語に存在しない子音終わりの音節を忠実に発音しようとした。その痕跡が各地の地名表記にのこっている。」
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佐伯 (さへき)、葛飾 (かつしか)、甲賀 (かふか) とか挙げてるけど、あたかもこれらの地名が漢語由来かのように読めてしまう。少なくとも甲賀 (こうが) は鹿深 (かふか) という語源が忘れ去られ、ハ行転呼がおこり、カウカを経てコウカ、コウガになったときいたことがある。佐伯 (さへき) は障ふ (さ-ふ) の連用形に城 (き) でサヘキ。葛飾は知らんが、辞書には、昔はカヅシカと読んだとある。どれも入声とは関係ない。
まあ、そのあとに「充当した」って書いてあるからわかるでしょってことかも知らんが。
疑問
p.184「日本人の英語下手の原因に発音のまずさが挙げられる。……私の経験では韓国人や中国人は発音が上手である。」
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そんなことないですよー。それはたまたま接した中韓人が教養あったか、語学に向上心もっていただけで、地方にいけば中国訛り、韓国訛りの強い人などいくらでもいますよー。もっといえばインドも訛りあるし、さらにヨーロッパ人でも訛りはありますよー。案外ステレオタイプな筆者の思想が垣間みれた。
ただ蛇足ながら、日本人の英語下手は能力とか言語習慣ではなく周りの目を気にしてわざとカタカナ読みするからではないかと思う。そうでなければみな一様に英語下手でないとおかしいが、現実はそうではない。 -
なんとなく言語学と呼ばれるだろう分野に興味があったが、これはその興味のど真ん中ドンピシャにささる本だった。少々難解な箇所はあったが、それを上回る知的興奮を覚え、一気に読み終えた。
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新書にして230ページほどの分量だが、8世紀から18世紀の千年以上にわたる日本語の音声変化をたどる好著。当然ながら、変化をたどるためには聞いたこともない当時の音声を「再建」する必要がある。その材料となるのが、奈良時代の万葉仮名であり、室町時代のキリシタン文献だった。万葉仮名については漢語音韻学に基づいて精緻な研究が行われ、上代特殊仮名遣、8つの母音の存在、甲類音と乙類音の区別、音節結合の法則などが明らかにされる。こうした複雑な音声や法則は、もともと単語の音節が少なかったことによるものだ。社会情勢の変化は言語情報の必要性を増加させるが、初期の段階では少ない音節に多くの音声を盛り込むことでこれに対応していた。しかし、更に情報が増えると少ない音節では対応しきれなくなり、単語の音節そのものが増えてくる。すると複雑な音声や法則により単語を弁別する必要性が薄れ、母音は減少、甲類音・乙類音の区別は相対化し、音節結合の法則も崩れていった。このような観点から、日本語の音声が具体的にどのような変化を経てきたのか、その変化を先人たちがどのように対自化してきたかを描く。どの言語にも同様の変化は見られると思うが、ひらがなの発明、ひらがなと漢字の混合文体など日本語の特殊性を考察する上でも必須の情報が詰まっている。