神学大全II (中公クラシックス W 76)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121601490

作品紹介・あらすじ

「神はどう認識されるか」その問いにトマスは"存在"の形而上学から答えて神の本質を語る。

感想・レビュー・書評

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  • I巻では神の存在論証やそれを通じて第一原因としての神の根本性格が論じられたが、 II巻では我々がいかにして神を認識するのか、神の知、イデア、意志、神の至福などがテーマとなる。ここでも山田氏の注釈は冴えており、「主知主義」といわれる通常のトマス理解が不十分であることが示唆され、トマスの意志的な要素が随所で指摘される。山田氏はトマス・アクィナス研究の第一人者であるだけでなく、アウグスチヌス研究でも第一級の業績を残しているが、対照的な思想家と捉えらることの多い両者の連続性を強調した山田氏ならではの解釈と言えるだろう。

    I巻で論じられたように、神においては存在と本質が同一であり、我々が神を認識する場合に、被造物を認識するように、神の存在から本質を抽象するという方法はとれない。そうではなく、神と合一することで神を見る。それは神の類似性を知性に引き入れ、知性の存在が神からの存在を増し加えられることによって、神と合一するにふさわしい程度に強められるという仕方で実現する。これは知性による神の認識が神の恩恵としての「愛」に依存していることを意味する。

    また創造が創造であるためにはそれが神の意志にもとづくものでなければならない。創造を神の知性の働きのみから捉えるならば、プロチノス的な流出論と異ならないものとなる。神のうちにあるイデアは創造の源泉であるが、無数のイデアから或るものを選び、これに存在を与えるのは神の意志なのである。

  • 結局、読んでない。全部読む必要を感じなかった。
    いや、多分、面白いんだけども。
    スピードをあげねば。人生には限りがある!読めるページ数は限られてる!

  • さすがに消化不良ながら何とか読了。
    前項までの論証をベースに進められるので、2巻ともなると
    [[[[神]の本質]を見る者たち]が[神において見ることがら]は[何らかの類似性]によって見られるか]
    のように入れ子になってきてややこしい。

    人間のような被造知性は神を直接に認識することはできないので、「神は不完全なものではない」「限定を受けるものではない」といった否定の積み重ねからはじめて、後半では神の能力、神が為すことができないことまで規定するまでに至る。
    一神教において、どのような形であれ「神はほげほげを為すことはできない」と言い切ってしまう箇所では震えた。

    論証においては、一神教の神の全能性を損なわず、人間の行為の自由性を担保する、というような各種の調和が随所に意識されている。

    神が完全に全能であれば、人間が主体的に下したかのような判断もあらかじめ予定されたものであり、それに責任を負うことはない、という陥穽はキリスト教に限らず一神教にはつきものである。そうではないよ、というトマスには人文主義的な側面も見えるように思う。

    丁寧な注釈が無かったら本書を読み通すのは厳しかったと思うが、本書で単に「注釈者」といったらアヴィセンナで単に「哲学者」といったらアリストテレスを指すのである。やっぱりアリストテレスすごい。

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