望郷の歌―石光真清の手記 3 (中公文庫 (い16-3))

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122006027

感想・レビュー・書評

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  • 一巻二巻も素晴らしかったが本巻も素晴らしい。まるで、出来のいい冒険小説を読んどるかの如し。

    騙されても倒れそうになっても、人への優しさと信じる心を持ち続け生き抜いた筆者に本当に頭が下がる。明治の良いところは、一度や二度失敗しても立ち直ることのできる社会や人々の暖かさがあったことではなかろうか。

  • 石光真清 自伝1/4 城下の人 2/4 曠野の花
    3/4 望郷の歌 4/4 誰のために

    映像化しないのが不思議なくらい面白い展開。小説を超えた冒険自叙伝という感じ。軍事的に世界の舞台に上がった明治時代の日本を追体験できる。破滅に向かいながら、栄えてる。


    全巻を通じて 3巻が一番興味深い〜日露戦争の悲惨さ、戦死と自殺の違い、紆余曲折の人生など


    日露戦争の壮絶さを語る言葉は 恐怖すら感じる
    *戦友が倒れても留まるな。彼を踏み越えて進め。少尉が倒れたら曹長が指揮をとれ〜一歩も譲ってはならぬ。踏み留まってはならぬ
    *毎日、戦死体と共に暮していた。激戦の果てに生き残っても死んだ友を悼むだけで、大した喜びもしない


    軍人にとって戦争は、の権利の擁護と名誉の保持のために、やむなく起こる最後の手段であって 個人の感情と別次元〜個人間では恨みなく 終戦したら元の交際に戻れるとのこと。ここまで割り切れるものだろうか



    戦死と自殺の違い
    *戦死とは 死にたくて死ぬのではなく、何か判らないうちにやられてしまうもの
    *自殺は はっきりと死と向き合って死ぬもの。何か人間以上の得体の知れないものが、自分たちを見据えているように感じられる


    日露戦争終戦後に「生きていることの幸福を知る機会は、生涯のうちで案外稀なものである」と幸せを感じているが、海外で諜報活動をしている時が一番輝いている



    1巻は 熊本での幼少期から 日清戦争を経て ロシアへ渡る
    まで。明治維新、廃刀令、神風連、西南戦争、熊本城炎上、日清戦争など 歴史の変化を追体感できる。


    2巻は 満州、ロシアでの諜報活動から ロシア宣戦布告まで。馬賊や謎の日本人女性が出てきたり、スパイ映画のような展開。


    名言「信用は求むるものに非ず得るものなり」



  • シリーズ第三巻では、ようやく日本へと帰国した著者が、休まる暇もなく日露戦争のためにふたたび大陸へと舞いもどることになり、その後も運命に翻弄されつづけていきます。

    日露戦争では、凄惨な戦いの現場を目にすることになります。帰国した著者に、田中義一から蒙古での特別任務に当たるよう指令がくだされますが、旅順の現地をあずかる参謀と衝突した著者は、あっさりと辞任して大陸浪人となります。しかし、けっきょく彼の志は実現することなく、叔父のすすめで彼の経営する運輸会社のハルビン支店長となるものの、今度もうまくいかず、東京で郵便局長の仕事に就き、妻とともに仕事に明け暮れる日々を過ごします。明治が終わり、大正を迎えるところで、本巻は締めくくられています。

    日本の勝利で日露戦争が終結したものの、激戦の様子を目にすることになり、さらに大陸浪人として苦労をあじわうことになった著者の姿がえがかれている本巻は、さまざまな観点や立場から解釈される側面が含まれていますが、いずれにせよ著者自身の体験をつづったドキュメントとして多くの読者の関心を引き付ける内容をもっているように思います。

  • 1978年(底本1958年)刊行。全4巻中の3巻目。明治期、満州で諜報活動に従事した著者の自叙伝。とはいえ、本巻では、①日露戦争に陸軍第二軍管理部長として従軍した記録、②日露戦後、明治終了まで、事実上満州ゴロとして身をやつしてしまった模様で諜報は皆無。①は武器弾薬の不足と戦死傷者急増で、ギリギリで戦っていた日本陸軍の危機的状況が生々しい。②は日露戦後急速に組織化・体系化した満州扶植の在り様と、陸軍のバックアップがなくなって満州扶植のシステムからはじき出された著者の転落ぶりに時代の趨勢を感じる。

  • 日露戦争従軍から様々事業失敗を経て郵便局長となり、平和な時を過ごした明治時代の終焉までを描く。

  • 諜報活動の傍ら、一兵卒としても日露戦争に赴いた真清の見た凄惨さを物語る一文が忘れられない。
    「国家民族存立のためとはいえ、この惨状はなんたることであろう!眼のあたり見た激戦地三軒家の惨状を、神々はただ空高く眺め給うのみであろうか。眺め給うてただ憐れみを垂れ給うのみであろうか。」
    だからこそ、戦勝で盛り上がる日本の高揚ぶりに馴染めなかったのかもしれないし、流浪のような生活をしながらも満州に自分の居場所の見つけたかったのだと理解した。しかし、どんなに苦労しながらも平和に家族と暮らす日々が、一番の居場所であると気づいたのであろうことは、郵便局長としての閑居の生活に垣間見ることができる。

  • 日露戦役と、その後の辛苦が書かれている。
    それにしても、なんと波乱万丈の人生であろうか。人が世に生きるとはどういうことなのか考えさせられる。

  • 前半は日露戦争、後半は挫折を繰り返しながらも郵便局長に。石光さんはうまくいかなくてもふてくされないし、過去の栄光にすがって威張ったりもしない。こういう種類の強さって、いままで触れたことがなかった気がするな。

  • 日本編。平和に幸せに日々が過ぎて、そして明治が終わる。明治の郊外の暮らしが垣間見えておもしろい。

  • 日露戦争に関する記録が中心。

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著者プロフィール

明治元(一八六八)年、熊本生まれ。一六年、陸軍幼年学校に入り、陸軍中尉で日清戦争に従軍し、台湾に遠征。三二年、特別任務を帯びてシベリアに渡る。日露戦争後は東京世田谷の三等郵便局の局長を務めたりしていたが、大正六(一九一七)年、ロシア革命直後のシベリアに渡り諜報活動に従事する。八年に帰国後は、夫人の死や負債等、失意の日々を送り、昭和一七(一九四二)年に死去。死後、その手記が公刊される。 明治三七(一九〇四)年、東京生まれ。早稲田大学卒業後、昭和六(一九三一)年、東京日日新聞社に入社。一三年芝浦工作機械に転じ、戦時中、日本新聞会考査課長、日本新聞連盟用紙課長を歴任。戦後、日本新聞協会用紙課長、総務部長、業務部長を経て、日本ABC協会事務局長、専務理事。三三年、父・石光真清の手記『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』の出版により、毎日出版文化賞を受賞。編著書に『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』等がある。五〇年に死去。

「2018年 『誰のために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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