高橋是清自伝(上) (中公文庫 た 5-3)

著者 :
制作 : 上塚 司 
  • 中央公論新社
3.82
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本棚登録 : 159
感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (407ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122065659

作品紹介・あらすじ

銅山経営のため南米ペルーに渡るが……。日本財政の守護神と称えられた明治人の、破天荒な生き様と足跡が語られる。高橋是清(1854~1936)安政元年(1854)、江戸・芝露月町の幕府御用絵師の家に生まれ、生後間もなく仙台藩士の高橋家の養子となる。慶応三年(1867)、藩命によりアメリカ留学。明治六年(1873)文部省に出仕し、その後、農商務省特許局長などを務める。明治二十三~二十四年にかけてペルーに渡り鉱山経営に携わるも失敗。帰国後、日本銀行に入り、日露戦争時は副総裁として英米にて戦時公債の募集に尽力。その後、日銀総裁を経て、大正二年(1913)、立憲政友会に入党。第一次山本権兵衛内閣蔵相、原敬内閣蔵相を経て大正十年、内閣総理大臣に就任、政友会総裁を務める。昭和二年(1927)田中義一内閣蔵相として金融恐慌の沈静化に手腕を発揮。その後も、犬養毅内閣、斎藤実内閣、岡田啓介内閣で蔵相を務めるが、在任中の十一年、二・二六事件に倒れる。

感想・レビュー・書評

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  • 今もそうなんだろうと思うけど、好奇心とか志とかに素直に従って行動すれば何でも経験できる、どんなものにでもなれるんだなと実感する。幕末、維新、明治の雰囲気が少しわかった。下巻で進む時代を読むのが楽しみ。

  • 高橋是清といえば、歴史の教科書において総理大臣経験者で二・二六事件の被害者と知るのみだったが、この自伝を読むことで随分と印象が変わった。
    ペルー銀山での失敗までが描かれており、随分とヤンチャな少年時代から放蕩時代の話に至るまで、およそ総理大臣になる者の生き様とは思えないようなものばかりだった。
    とはいえ、時代の流れを自分なりに見極め、国を良くするためにどうすれば良いかを考えながら生きており、その発露が些か破天荒な結果を招くだけなのだとよく分かった。

  • 日記、手帳、往復文書などの資料。聞き取りからの自伝。貴重な自伝だ。

  •  12歳くらいでアメリカに渡り、知らぬままに契約書にサインさせられ奴隷になったり、その頃から浴びるほど酒を飲んだりと、すごい破天荒な人だと思った笑
     是清が農商務省で働いていたときの話も出てきて、前田正名や谷干城など、以前読んだ農業の本で知った名前の人物も出てきた。
     最後のペルー銀山事件も、当時の状況を想像するだけで凄まじい。NHKのグレートトラヴァーズに出ても良さそうな感じではなかろうか笑
     下巻はいよいよ日露の際の資金調達の話とか出てくると思うので楽しみである。

  • 津本陽の書いた高橋是清の生涯を描いた作品を読み、興味を持って本書を読んだ。
    津本はこの自伝を元に小説を書いた事は明白で、エピソードも全く重なっているが、やはり本人の書いたものの迫力は全然異なる。

    是清活躍の背景に傑出した英語の語学力がある。幕府の御用絵師の子に生まれ、仙台藩足軽の家に生後すぐ養子に出されたにもかかわらず、何故に秀でた語学力を身につけたか?

    12才で横浜の外資銀行のボーイとして雇われ、14才でアメリカに渡る。コミュニケーションは英語オンリーの環境に置かれ、座学ではない語学力を身に付けたことが大きい様だ。今の日本の座学主流の英語教育を根本的に考え直す必要がある。

    アメリカに語学留学したはずが奴隷として売られ、艱難辛苦の末帰国した是清は大学南校(東大)の教官三等手伝いの職を得、英語教師となる。そこでも外国人教員から英語を学び続ける。

    その後、放蕩茶屋遊びから退職、芸妓のヒモ、唐津の英語教師、大蔵省、翻訳・通訳業、を経て、語学力を買われ、新設の農商務省に採用される。ここで是清は商標登録と専売特許の法制化に取り組み、欧米4カ国に特許制度調査に向かう。

    ここからあっと驚く変身でペルーの銀山経営のためペルーに向かうがヘタを打ち、失敗。全財産を失い途方に暮れる。というところまでが上巻。

    笑ってしまうエピソードが満載で読んでいて全く飽きない。

  • 高橋是清は政治家だから当然、脚色もあるのだろうが、次から次へと話が展開していく。事実は小説よりも奇なり。目まぐるしく動く時代の息吹が感じられる話です。

  • 日本財政の守護神と称えられた明治人の足跡。海外を流浪した青年時代、帰国後大蔵省に出仕するも飽きたらず、銅山経営のため南米に渡るまでを綴る。

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著者プロフィール

嘉永七(一八五四)年、幕府御用絵師の子として江戸に生まれ、仙台藩足軽高橋家の養子となる。藩の留学生として渡米して苦学。文部省、農商務省を経て、日本銀行に入り、横浜正金銀行を経て、日銀副総裁に就任。日露戦争外債募集に成功した。日銀総裁に昇任後、山本権兵衛内閣の蔵相となり立憲政友会に入党した。大正一〇(一九二一)年、首相・政友会総裁に就任。都合七度蔵相を務める。金融恐慌ではモラトリアムを実施、恐慌を沈静させた。また世界大恐慌では、金輸出再禁止、国債の大量発行など積極財政による景気刺激策を推進した。昭和一一(一九三六)年の二・二六事件で暗殺された。

「2018年 『随想録』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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