高橋是清自伝(下) (中公文庫 た 5-4)

著者 :
制作 : 上塚 司 
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 121
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (377ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122065666

作品紹介・あらすじ

失意の銅山経営から帰国した是清は、実業界に転身。銀行業界に入り、正金銀行頭取を経て、日銀副総裁へと出世する。折しも日露戦争が勃発、是清は祖国の命運を担い、外債募集のため、アメリカ、そしてイギリスへと赴くが……。破天荒な青春を経て財政の神様となった明治人の生涯。〈解説〉井上寿一高橋是清(1854~1936)安政元年(1854)、江戸・芝露月町の幕府御用絵師の家に生まれ、生後間もなく仙台藩士の高橋家の養子となる。慶応三年(1867)、藩命によりアメリカ留学。明治六年(1873)文部省に出仕し、その後、農商務省特許局長などを務める。明治二十三~二十四年にかけてペルーに渡り鉱山経営に携わるも失敗。帰国後、日本銀行に入り、日露戦争時は副総裁として英米にて戦時公債の募集に尽力。その後、日銀総裁を経て、大正二年(1913)、立憲政友会に入党。第一次山本権兵衛内閣蔵相、原敬内閣蔵相を経て大正十年、内閣総理大臣に就任、政友会総裁を務める。昭和二年(1927)田中義一内閣蔵相として金融恐慌の沈静化に手腕を発揮。その後も、犬養毅内閣、斎藤実内閣、岡田啓介内閣で蔵相を務めるが、在任中の十一年、二・二六事件に倒れる。

感想・レビュー・書評

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  • 是清人生のハイライトの1つ、日露戦争の戦費獲得のため外国を飛び回る。そこでこの自伝は終わる。52歳。81歳まで生きてるから先を知るには続編の自伝を読まなければならないようだ。

  •  日本がロシアの属国になるかどうかの瀬戸際だった日露戦争における高橋是清の活躍は、改めて素晴らしかったと思った。また外債を引き受けてくれたヤコブ・シフやアーネスト・カッセル卿などの人々は日本の恩人である。
     自伝上下巻を読み終え、明治の外交史、財政史、経済史を学べた上、是清の「利害を打算せず、常に条理に基づいて行動する」という姿勢はこれから社会人になる自分にとってとても参考になった。

  • 自伝の後半は銀山経営で詐欺にあい、無一文になった是清に友人たちが助けの手を差し伸べ、日銀に職を得るところから始まる。建築所事務主任。日銀本店の建物は是清の知恵と努力の賜物だった。

    銀行家としての実績を積み上げ、横浜正金銀行の経営に乗り出し副頭取に。やがて日銀の内紛に巻き込まれ、日銀副頭取となる。

    やがて日露関係が悪化し、日露戦争が勃発。ここからが下巻のクライマックスである戦費調達のための5回にわたる外債起債だ。
    起債のために数多くの英米独仏の有力者と信頼関係を築き、市場動向を見極めながら次々と起債を成功させていく。

    最初の起債では、イギリスでは希望の半額の500万ポンドしか発行できないところに、アメリカ人のシフというユダヤ人がロシアのユダヤ人救済の気持ちを現したいということから残りの500万ポンドを一手に引き受けたという話が出てくる。この話は初めて知ったが、是清には運も味方した様だ。

    自伝は52才までの記録で終わる。この後政界でも大活躍し、最期は2.26事件で思わぬ人生の最期を迎えてしまうわけだが、どうやら『随想録』を読むとこの続きが読めるようだ。

  • 高橋是清の半生記を読了。ここで終わるんだという驚き。でも、これはこれでありなんだろう。滑って転んでの前半とは大きく変わり、国際金融のプロとして活躍する姿が、いかにも格好が良い。学校の教科書には出てこない、歴史を興味深く、読むことができた。

  • 波乱万丈の高橋是清の半生を描いた口述自伝。ペルー銀山の開拓に失敗しどん底から実業界に転身した是清が、着々と立身を重ねついには日露戦争における資金調達という国運を左右する大仕事に挑む下巻。
    上下巻通して読んでいてまず感じたのは、その桁違いの馬力。常に無私の境地でものごとを押していく感じの凄さがあった。そしてリレーション力。主にロンドンにおける日露戦争間後の外債発行においても、光明を見出すきっかけとなったユダヤ人アメリカ金融家シフとの出会いを始め、各国の要人とするすると関係を築いていってしまう。自身の口述ゆえ淡々と描かれているが、この人以外にはできない芸当だったであろうことが伝わる。歴史を紐解くと時たま、その時代が呼び寄せたヒーローと思うような人物が見つかるけど、その類だったんだろう。この自伝は第五回外債発行に成功するところで終わっているけど、数十年後、「財政の神様」として昭和恐慌下に陥った日本をもう一度救うことになる。

  • 失意の銅山経営から帰国後、実業界に転身。やがて日本銀行に入る。そして日露戦争が勃発、祖国の命運を担い、外債募集の旅に赴く。〈解説〉井上寿一

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著者プロフィール

嘉永七(一八五四)年、幕府御用絵師の子として江戸に生まれ、仙台藩足軽高橋家の養子となる。藩の留学生として渡米して苦学。文部省、農商務省を経て、日本銀行に入り、横浜正金銀行を経て、日銀副総裁に就任。日露戦争外債募集に成功した。日銀総裁に昇任後、山本権兵衛内閣の蔵相となり立憲政友会に入党した。大正一〇(一九二一)年、首相・政友会総裁に就任。都合七度蔵相を務める。金融恐慌ではモラトリアムを実施、恐慌を沈静させた。また世界大恐慌では、金輸出再禁止、国債の大量発行など積極財政による景気刺激策を推進した。昭和一一(一九三六)年の二・二六事件で暗殺された。

「2018年 『随想録』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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