- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122066014
作品紹介・あらすじ
ここは女たちの地上の楽園?! シングルだけど、〝一人〟じゃない。女たちの本音と夢があふれ出す、阿佐ヶ谷の古びた洋館・牧田家。家の平和を守る老人、「開かずの間」の秘密、ストーカー男の闖入など、今日も牧田家の暮らしは豊かでかしましい。
感想・レビュー・書評
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“こんなにも人を選ぶエッセイはないというくらいに読む人を選ぶのが三浦さんのエッセイ。そのかわりハマる人には抜け出せない沼のような存在。それが三浦さんのエッセイの世界” 〜三浦しをん「妄想炸裂」- さてさて氏レビューから抜粋〜
三浦しをんさんというとどんなイメージをお持ちでしょうか?直木賞作家として今や選考委員もされている三浦さん。現代作家の大家としての地位も確立されている三浦さん。言葉の海に生きる私たちの助けとなる舟=辞書を編んでくれる人たちの真摯な仕事への取り組みを描いた「舟を編む」。文字が巨木を倒し、文字が森を鳴らし、文字が山を駆け降りる圧巻の描写に心躍る「神去なあなあ日常」、そして人間のドロドロとした心の闇を彷徨う物語の中に一筋の光を見る「光」など、読者の心を激しく揺さぶる情熱的な作品群に私はすっかり魅せられてきました。しかし、三浦さんは、そんな一面とは似ても似つかぬもう一つの顔を持った作家さんでもあります。それが、小説に負けず劣らず数多く刊行されているエッセイで見せる顔です。BLの世界をこよなく愛し、オタク的世界を闊歩し、そして天下の直木賞作家様とは思えないダラダラ、フラフラ、グダグダとした日常の言行の数々。そこには、間違いなく好き嫌いが極端に生まれるマニアックなかっ飛んだ世界観に支配された世界が存在しています。
三浦さんの小説群はキライと単純否定する方は少ないでしょう。決して癖が強いというわけでもない、どちらかというと正統なイメージさえある王道な小説群。その一方で好き嫌いが間違いなくハッキリするであろうマニアックなエッセイ群の存在。そんな両者に深い親愛の情を捧げてきた私。そんな私は、いつの日かこの両者が融合した先にある世界を見てみたい、そんな夢を抱くようになりました。直木賞レベルの小説がかっ飛んだエッセイの世界に包まれる先に現出するであろう夢の作品。しかし、そんな夢の作品が既にこの世に存在していたことを今日知りました。
三浦しをんさん「あの家に暮らす四人の女」。それは、私が夢にまで見た三浦さんの全てが詰まった物語。三浦さんの魅力ここにあり!を実感する、もう何でもありのかっ飛んだ物語です。
『牧田家で暮らす四人の女は、平日は朝七時に食卓を囲む習慣だ』、と朝食の準備をするのは今週が当番の牧田佐知。『明け方まで刺繍に没頭し』、眠い目をこすりながら準備を終えると、『それを見計らったかのように、母の鶴代、谷山雪乃、上野多恵美が』現れ食事が始まりました。そして、出勤していく雪乃と多恵美を見送りながら『いいかげん山田さんに、雪乃と多恵ちゃんが住んでることを言わない?』と鶴代に提案する佐知。それに対して『いろいろ面倒だし…さすがに察してるでしょ』とはっきりしない鶴代。そして買い物へと出かけた二人。『鶴代と佐知は母娘だが、雪乃や多恵美は血縁関係にない』という奇妙な四人の組み合わせで『共同生活を送るようになって、一年が経つ』という牧田家。『佐知は刺繍作家として自宅で仕事をし、雪乃は西新宿にある保険会社で働いている』という二人は、『ともに三十七歳の独身』で『なんとなく馬が合う』とお互い感じています。そんなふたりの出会いは、『ひとちがいがきっかけ』でした。『さりげないインテリアとして』人気があるという佐知の作品。手渡しで顧客に渡そうとしたところ、ハチ公前で、他人の雪乃に声をかけてしまったという運命の出会い。そして、雪乃のボロアパートの『水漏れ騒動』がきっかけで佐知の家に居候することになったという始まり。一方の多恵美は『雪乃の会社の後輩で、佐知や雪乃より十歳も若い』という手芸好きでした。佐知が『週に一、二度、刺繍教室』を開いているのに参加、そして、『ストーカー男』から逃げ込むように牧田家に居候することになったという始まり。そんな『四人の女が暮らす庭つきの古い洋館は、東京の杉並区にあ』ります。『土地も家屋も名義は鶴代のもの』という『百五十坪という敷地面積』のその家は『都内では豪邸と言って差し支え』ないものです。しかし、『鶴代の祖父が戦後すぐに建てたという家』の『実態は陋屋で、近所の小学生から「お化け屋敷」と呼ばれてい』ました。そして、そんな『豪邸』の『表門を入ってすぐのところに』ある『守衛小屋』には『鶴代の祖父に』雇われ、『作男兼執事』の務めを果たしていた父親の子供、山田一郎が今も暮らしています。八十になった一郎は、『居候とも使用人とも家族とも言いがたい、微妙な立ち位置』ですが、『本人は鶴代と佐知のお目付役をもって任じている節があ』りました。そして、出かけていた鶴代と佐知は買い物先で雨に降られ家に駆け込みます。『あら、山田さん。洗濯物、取りこんでくれたの。ありがとう』と洗濯物を受け取る鶴代の横で『雪乃と多恵美のぶんも含めた、女四人の大量の洗濯物』に『いぶかしげな視線を投げかける』山田を見て焦る佐知。『雪乃と多恵美が同居していることを報告していない』という情況に『洗濯物を溜めこんじゃって』とどうにか山田をやり過ごします。そんな牧田家で繰り広げられる四人の女たちの痛快ドタバタ劇が軽妙な筆致で描かれていきます。
本の帯に”ざんねんな女たちの、現代版「細雪」”と書かれたこの作品。2015年に没後50年、翌年に生誕130年を迎えた谷崎潤一郎さんの全集が刊行されたことをきっかけに、『版元から谷崎作品にちなんだ書下ろし作品が何人かの第一線の現代作家に委嘱されたこと』で誕生したという経緯を辿ります。『「女の人たちの話」なら「細雪」のように「四人の女性が一緒に暮らしている話」にしたら面白いかもしれない』と思ったという三浦しをんさん。そんな三浦さんがこの作品に登場させたのは次のような個性豊かな四人の女たちでした。
・牧田佐知: 牧田家の一人っ子。刺繍作家として作品を販売するだけでなく、『週に一、二度、刺繍教室』を自宅で開いている。37歳、独身。『こんなぼろぼろの女が、あんなきれいな刺繍を生みだしてるなんてねえ』と呆れられる生活ぶり。数日風呂に入らないこともある。
・牧田鶴代: 佐知の母親。夫とは佐知が生まれた日に離婚(その衝撃的な経緯は作中でまさかの存在によって詳述される)。牧田家の資産を管理し、『一生困らぬぐらいの貯金』もあり『外で働いた経験はもちろん、自分で稼いだこともない「箱入り娘」のまま、七十近くになった女』。
・谷山雪乃: 牧田家の同居人。『西新宿にある保険会社で働いている』。37歳、独身。『ひとの印象に残りにくい」という特技』を持つ。『楚々とした外見に似合わず肉食』。『部屋はものが少なく、いつ訪れてもきれいに整頓されている』。『開かずの間』の封印を解き、物語を大きく動かすきっかけを作る立役者となる。
・上野多恵美: 牧田家の同居人。『雪乃の会社の後輩で、佐知や雪乃より十歳も若い』。手芸好きで佐知の刺繍教室の生徒でもある。『華やかで明るい雰囲気』。部屋は『フェミニンなわりに雑然としており』、『引っ越してきて一年が経つというのに、化粧品の類を段ボールから出し入れしている』。『元彼、本条宗一』に付き纏われ逃げるが、宗一の優しい言葉に度々騙されそうになる。
という四人の個性豊かな女たちの日常が描かれるこの作品。四人それぞれの存在感の大きさは、誰一人を欠いても物語として成り立たなくなる!と感じるほどです。そして、上記の通り、一方でこの作品は「細雪」に一つのヒントを得たものでもあります。その「細雪」には、幸子、鶴子、雪子、妙子という四姉妹が登場します。『ねえ、気づいてる?私たち、「細雪」に出てくる四姉妹と同じ名前なんだよ』と作中で佐知が語る通り、三浦さんが意識して設定を重ねていることもわかります。「細雪」を『すごく面白かった』と振り返る三浦さんは、一方で『どう考えたって谷崎潤一郎のように書けるわけはないんだから、あまり引っ張られ無いようにしました』と続けます。私は「細雪」を読んだことはないですし、女性作家の小説のみ読む!とプロフィールに書いてしまったので谷崎さんの作品は読むことが出来ません。しかし、敬愛する三浦さんがどのように谷崎さんの設定を活かしたのか?という点、本来であれば比較レビューにしたかったという思いは残りました。
そんなこの作品は一方でハチャメチャ感が半端ない作品でもあります。「細雪」がまさかこんなかっ飛んだ作品であるはずがないと思う一方で、「舟を編む」、「神去なあなあ日常」といった超真面目系の三浦さんしか知らない方がこの作品を読まれるとそこに展開する空前の”しをん節”に度肝を抜かれるのではないでしょうか?実際レビューでも”ついていけない”という理由で低い評価をされていらっしゃる方が多々いるこの作品。でもこれこそが私の敬愛する三浦しをんさんのもう一つのお姿なのです。それは、数多のエッセイで魅せる超真面目とは180度反対を向くおふざけの極地、かっ飛んだ魅惑の”しをんワールド”な世界です。幾つかをご紹介しましょう。まずは、『自宅で仕事をしていると、どうも無精になっていけない』と一応自覚のある佐知。『自戒してはいるのだが』、と前置きしつつも『ジャージのズボンと、盛大に毛玉がついたセーター』を『パジャマ兼部屋着兼外出着』としています。『駅前に買い物に行くぐらい、この恰好でいいだろう』という感覚が『新宿へ行くときすら、「同じ沿線上にある駅だし、この恰好でいいだろう』となってしまっているというグダグダぶり。そこに続けるのが『同じ地球上だからという理由で、ニューヨークだろうとリオデジャネイロだろう』とこの格好で出かけるようになりそう、とまとめます。また、『山田さんは私のおむつまで替えてくれた。ひとまわりも年が離れてる…』と山田との恋仲関係を否定する鶴代に、『でもアンドレだって、オスカルと子どものころから一緒で…』と追及する佐知。そこに続けるのが『雄狩?だれ、それ』と絶妙な当て字で返す鶴代。そして、『開かずの間』へと立ち入った雪乃の前に転がる『手乗りサイズの綿埃』。これを『あれが埃ではなくマリモだったなら、かなりの大物と称して差し支えあるまい』と比較。『この部屋の埃はいかにして丸くなったのか』、『ひとりでに転がって巨大化していったのであろうか』と思案する雪乃。そこに続けるのが『「怪奇!成長する綿埃の謎!」といったところだ』というまとめ方。この辺りの目の付け所、突っ込み方、そしてその落とし方含め完全にエッセイで見せる三浦さんの文体そのものです。そう、この作品の好き嫌いは三浦さんのエッセイの好き嫌いと完全に比例するのではないか、そんな風に感じるとともに、魅惑的な三浦さんのエッセイの世界のファンで良かった!と改めて感じました。
そしてこの作品のもう一つの魅力は表紙の中央に強烈な存在感をもって描かれたカラスの存在です。そんなカラスは全くの予想外な形で物語の中に唐突に登場します。小説というものは、どの人物視点で描かれるかで印象が大きく左右されるものです。あくまで主人公視点にこだわるもの、登場人物を順繰りに視点回しを行うもの、そして第三者視点で俯瞰しながら描くもの、その選択は作者の手腕にも繋がるものです。そんな視点の選択において、三浦さんはこの作品で前代未聞な世界に挑戦します。それが、二つの視点を切り替える中で登場した”カラス視点!”でした。『開かずの間』でまさかの物体を発見し『ぎゃあああああああ』と、『喉から悲鳴が迸った』雪乃。そんなまさかの物体の説明の段で唐突に『これではなかなか真相にたどりつけないので、新たな人物にご登場願おう』と場面を急展開させる三浦さん。その人物こそが『カラスの善福丸』でした。『ただの鳥類ではない』という『善福丸』は、『この地域の人々の暮らし』はもとより、『プリウスを所有する家が何軒あるか』、『川に泳ぐ鯉の恋愛模様』などなど『ありとあらゆることを知悉した偉大なカラスなのである』という強烈な存在です。この辺りも、三浦さんのこのノリに馴染めないと単にシラけてしまうだけだろうなとも思います。その意味でもこの作品は読む人を選ぶように思います。そして、そんな物語はもう一人の人物の視点で描かれているということが作中で明らかになります。これは完全にネタバレになりますのでここには書けませんが、その存在を知った時、この作品が如何に巧妙に張り巡らせられた伏線の上に描かれた緻密な物語であるかを思い知らされました。また、その視点の移動先のかっ飛びぶりに、もうこの先何が出てきても一切驚かない、これこそ”しをんワールド!”と叫びたくもなりました。三浦しをんさん、本当に凄い作家さんだ!改めてそう感じました。
『私は一人暮らしが長いので、共同生活への憧れがあるんです』とおっしゃる三浦さんが描く四人の女たちが一つ屋根の下で暮らす様を描いたこの作品。イケメン内装業者と佐知とのドキドキハラハラな出会い、多恵美の元彼のストーカー事件、そして雪乃による『開かずの間』突入をきっかけに展開する一連の出来事など、この作品では単なる四人の女の日常の中に巻き起こるちょっとした出来事がしをんさん一流の味付けによってドラマティックな物語へと昇華して読者を楽しませてくれました。そのベースにあるのは、三浦さんのもう一つの顔とも言えるエッセイのかっ飛んだ世界。そんなエッセイの世界に魅せられていた私は、この面白さが小説の世界に組み込まれたらどんな物語が生まれるのだろうという思いを持っていました。そんな私が出会えたこの作品。
三浦さんの超一流な構成の妙が安定した土台を築くこの作品。三浦さんの超一流なキャラクター設定が人の生命力の強さを感じさせるこの作品。そして、三浦さんの超一流なエッセイのかっ飛んだ世界観が全体を包み込んで読者の元に届けられたこの作品。
三浦しをんさんのファンで良かった!つくづくそう感じさせてくれた、小説とエッセイが融合した夢の先にある作品でした。
三浦さん、私はあなたにどこまでもついていきます!
もっともっと、宇宙の彼方までかっ飛んでください!!
どっかーーーん!!! -
三浦さんの文面は凄いユニークでいい!
ベルゴ好みです
面白おかしく書かれてますが
みんなそれぞれ ゆっくり歳をとっていく
不安、寂しさ、少しの期待なども感じるけど
家族のあたたかさ、地の繋がりだけに拘らなくて良いのと
あと皆が気取らず 見栄をはらず
等身大で生活してるのが素敵でした。
※だから結局話変わるけど 俺が何を言いたいかって言うと…
【身近な人や、TVのインタビューでよく聞くんだけど…感動したり、悲しくなった時の感想を聞かれ「いや!本当に泣きそうになりました!」って多様する人多いけど…ぃや泣かねえのかよ!!っていつも思っちゃうよ!】って事!! -
面白かった!三浦しをんさんは「風が強く吹いている」、「舟を編む」や「神去シリーズ」が好きで、お気に入りの作家さんのひとりなはずなんですが、なぜか私の長い長い読みたい本リストの中には三浦しをんさんの新たな作品が入っておらず、久しぶりにお目にかかった気がします。知人が貸してくれたのですが、人から借りるとこうやってノーマークの知らない作品を読む良い機会となるので、ありがたいかぎりです。
さて、本書は、タイトルの通り、古い洋館に住む4人の女性について描かれたもの。
鶴代、その娘の佐知、佐知の友人の雪乃、その後輩の多恵美の4人。この4人の名前を見て、「お?」と思われた方はさすがです。どうやら谷崎潤一郎の「細雪」へのオマージュのようです。と、言ったものの、私、文学作品や名作、古典といったものを全然読み込んできていないので、全くわからないのですが、オマージュというのは確かなようです。
鶴代と佐知の母娘のところに、雪乃と多恵美が転がり込んでいる設定も普通ではないですが、なんとこのおうち、かつてはりっぱな洋館だったようで、離れというか守衛小屋のようなものもあり、いまだにガードマン気取りの山田というおじいさんも住んでいるという変わった人間関係なのです。
この4人が住まうところは東京杉並。阿佐ヶ谷駅から徒歩20分ほど、善福寺川がうんむんかんぬんとあるので、かなり具体的です。グーグルマップを見て楽しみましたが、都内に住んでいたら散歩がてら行ってみたい気がします。
で、この4人の風変りな同居生活、珍騒動のあれやこれやもおかしいのですが、なんといっても余計な文章がおもしろい。いや、「余計」な文章のはずないのですが(笑)たとえば、ガードマン山田を、高倉健に憧れているらしいという憶測から、出来損ないの高倉健と(心の中で)呼んだり。いや、「文章がおもしろい」ということを説明するための好例は他にもいっぱいあったはずなんですが、なぜかこの山田さんを高倉健にもっていこうとする文章が記憶に残っていて、これを紹介してしまいました。なんというか、ちょっと毒舌だったり、物事を斜に構えて上から目線で見ているような表現をしたり、かと思えば、くだらないこと言うので「なんでやねん」とつっこんでしまいたくなるような一文があったり。真面目なのかふざけているのか。つまり、話のあらすじとかなんとかの前に、好きなタイプの文章でした。これを貸してくれた知人は、「なかなか進まなかった」と言っていたので、本当にこれは好みの問題なんだと思いますが、この真面目なのかふざけているのかみたいな文章がダラダラ続きながら、ゆるりと進んでいく感じ、良かったです。ダラダラと感じるのは、「真面目なのかふざけているのかみたいな文章」がだいたい心情描写のところでたくさん顔を見せ、物語の進展を止めているかのように感じるからだと思います。谷崎潤一郎の「細雪」もこんな感じなんでしょうか?(←完全に無知)
佐知が母の鶴代を、雪乃が佐知や鶴代、その二人の関係を、という具合にそれぞれがそれぞれをマンウォッチし、思ったこと感じたことをつらつら書いているところなんかは、作者の力を感じます。人間の本質や人間関係の描写って作家としての力量が分かる気がするのです、私は。ちょこちょこ視点が変わるところがなんとなく引っかかっていたのですが(良い悪いではなく「ほぅ、こういう書き方ね」的な意味で)、そこについて後々わかることが出てくるので、「ほほぅ」となりました。(←何の説明にもなってない。何も言葉が浮かばず悔しい。)
女4人のゆるりとした穏やかな生活が読者に「こんな生活もいいかもね~」「都内に土地があってしかも庭付けでいいじゃない。年寄りだけど守衛さんもいるし~」なんて思わせながらもきちんと驚きの事件が起きるのです。今回のレビューはなぜかあまりネタバレを含みたくない気がするので、書きたいけれどこれ以上書きません。(←何その宣言)。
カラスの善福丸が語り始めたり、いきなり出てきた「私」が語り始めたり、「えぇ?!」「おぉ!!」と思わされること度々。苦手な方もいるかもしれませんが、急なファンタジーも、私は楽しめましたし、さすが三浦しをんさんだと思わされた小説でした。私はとても楽しく読み終えました! -
世間離れした母と刺繍を職とし細かいことが気になる娘。打算的な娘の友人と、その友人の会社の後輩でダメ男に弱い娘。そういった4人が一つ屋根で暮らす。娘と友人は39才の年齢もあり、結婚に色々な思いがある。
淡々とした日常を描くと思ったら、その敷地には守衛小屋に住む山田老人も住んでいる。他人の娘二人が、この老人に見つからないようにひっそり暮らしていたが見つかってしまう。その原因となった水漏れ事故が、いろいろな波紋を起こす。母娘の夫(父)のことや、別れる原因となる河童のミイラの再発見。過去の語り手が善福寺川のカラスだったり、強盗退治にユウレイが参戦したり、相当ぶっ飛んだ内容。
恋愛があったり、ストーカー騒ぎがあったり、てんこ盛りの内容だが、さらっと書かれているので軽く読める。
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単行本で読んだのだが再読のため投稿出来ないので文庫にて書く。三浦版『細雪』らしいが、そこは置いておいて楽しめた。
家付き娘として牧田家の屋敷を守ってきた母・鶴代。刺繍作家として作品を売り牧田家で教室も営む娘・佐知。そこに訳あって転がり込んできた佐知の友人の雪乃とその同僚・多恵美。
四人の女たちのユルい共同生活を描く。
実は敷地内の離れには山田なる老人も暮らしている。鶴代の祖父の代から住んでいるという山田は、山田の父親が牧田家で働いていたようだがその父親が死んでからも何故か住み続けている。
佐知としては気づいたらそこにいた山田について『靴に入り込んだ小石』のように気になるものの、今さら取り出すのも…とスルーしている。それでいて老朽化した屋敷の水道管から水漏れすると鶴代と共に山田を頼る羽目になる。
そんな具合で四人プラス一人、それぞれにベクトルの向きがバラバラで面白い。
佐知は刺繍に関してはプロフェッショナルで『無』になれるほど真剣に向き合っているが、それ以外の部分は曖昧だし先にあるような突発的事項にも対処出来ないし、山田問題にも向き合えない。
鶴代は天気予報とテレビ番組と時折伊勢丹に行くのを楽しみにしているが、娘の刺繍の仕事については趣味の延長程度にしか見ていない。また突然転がり込んできた二人の女たちについても深く考えることなく迎え入れ、直ぐに共同生活に馴染んでいる。
雪乃は将来を見据えてしっかり働くことには力を入れているが、水難のためにアパートを住めなくなった時も多恵美がストーカー男に付きまとわれている時も佐知母子に相談もなく牧田家へ転がり込んできた。
多恵美はストーカー男に付きまとわれているので防犯には注意してる一方で、新しい出会い探しを楽しんでいる。
そして山田は私生活は謎だが、鶴代と佐知を守ることが使命と考えているようだ。
それぞれに価値観や考え方、生き方、恋愛観、重要度が違っていてちぐはぐなのに、特に鶴代との会話は噛み合わないくらいなのに、この四人の共同生活は上手くまとまっているし、時には良い連帯感も見せている。
同様に、山田の存在も最初は異様に感じていたのに次第に馴染んでくる。それは佐知の変化でもある。
中盤になって突如現れるカラスや父親の魂語りに戸惑うが、頼りない父親の火事場の馬鹿力的な頑張りは良かった。
奇妙な関係だが上手くやっているなら良いじゃないか。そのうち変化もあるだろうが牧田家のユルさはそのままだろう。山田も他人の女二人も、かつて佐知の父親が買い集めた偽物の骨董品も、刺繍も畑の野菜や果物たちも、カラスも魂もみんな受け止めて受け入れてくれるのが牧田家のおおらかさであり懐の深さだろう。
佐知がこの先結婚しようがしまいが、雪乃が恋愛などに脇目も振らず仕事と自分磨きに邁進しようが、多恵美に新しい恋人が出来ようが、鶴代が山田に辛辣だろうが頼りにしようが、牧田家が佐知の代で終わろうが続こうが皆が納得して楽しくやってるなら良いじゃないか。これぞ多様性。 -
杉並にある古い洋館に暮らす4人の女と、庭の離れに住む老人。
牧田家の暮らしを描く。
第32回織田作之助賞受賞作。
母と娘、娘の友人と、その後輩。
離れの山田老人を含め、不思議な関係性の共同生活。
我が道を行く母の鶴代を筆頭に、それぞれが自分のありたいようにあり、それでいて不和にならずに共に暮らしていく。
不思議な距離感が心地よかった。
心の声の、ちょっとした言い回しやツッコミに、エッセイに通じるセンスというか、おかしみがあって、ふと笑ってしまうことも。
途中からファンタジー要素が絡んできて戸惑うが、最後にはコミカルに収まる。 -
「あの家に暮らす四人の女」
三浦しをん著
1.著者とのあゆみ
風が強く吹いている、舟を編む、まほろばシリーズと読んできました。
こちらの本は、まほろばシリーズに近い印象です。
人間味溢れる主人公、喜劇風、そしてどこか涙がほろりというテイストです。
2.あの家に暮らす四人の女を読みおえて
その名のとおり4人の女性が主人公。
母娘。そこに血縁関係なき女性二人が引っ越してきて物語が始まります。
この四人のやり取りが微笑ましいです。
オフィスに通勤する2人。
刺繍教室の先生の娘。
女手一つで育てた母。伊勢丹通いが気分転換。
こうした四人の日常生活。
小春日和に公園で読んだら気持ちよくなりそう、
そんな空気で溢れています。
あの家 の 「あの」の意味。
最後のページをめくり読みおえて理解が進みます。
三浦しをんさん。
小説ひとつひとつが新鮮さを運んできてきてくださる作家さんのお一人。
ありがとうございました。
#読書好きな人とつながりたい。
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本の題名どおり女性四人の同居生活のお話。みんな華やかでもなく困り事も抱えつつ毎日をその時を楽しみを見つけながら多少はあきらめながら生きている。ちょっと不思議な部分は人は誰しもが持っているのかも。身近にいそうなでも知ることは無い女性の同居生活を背伸びしないで読めます。
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古本屋で平積みになってて、装丁買いした。
ハシブト?ガラスの善福丸が美しいカバー。
そして、牧田家に洋館(陋屋と佐知は思っている)に暮らす四人の女。ちょっとシェアハウス的に新しいカタチの血の繋がりにかかわらない家族模様が面白い。読み始めて、牧田鶴代、佐知、雪乃、多恵美、、、これはマキオカシスターズ(かのマスターピース、細雪ですな)のパスティーシュなのでは、と感じながら(名前と性格がめちゃそのまま)読み始めたら、
p56
「ねえ、気づいてる?」
と言う。「私たち、『細雪』に出てくる四姉妹と同じ名前なんだよ」
(中略)
「鶴代さんは浮世離れ、佐知は世間知らずの苦労性、私は男の影も形もない、多恵は男に関してまことに奔放」
と、ネタ元(笑)の説明が行われる。細雪を読んだことのない人にもそれなりにわかるように。
ということで、最後には下痢でおわるのか?とドキドキさせられたが、ほんわかと穏やかな読了感だった。
こてこての文芸かというと、そこはかとなく漂うファンタジー感。
なんといってもカッパ。カッパが良い。
そして、佐知の刺繍愛(刺繍ヲタ)っぷりが素敵。
p202
>ほとんど全身全霊をこめて刺繍に取り組んでいるからこそ、「本当に私の刺繍をわかってもらえているのか」と常に不安だった。ハンカチやブライスやバッグのワンポイントとして、ただ単に「あら、かわいい」ですまされてしまうのは、佐知にとってときに耐えがたいのであった。そのワンポイントに、どれだけの時間と思考と情熱を傾けたか。だれか一人でも想像してくれるひとはいるのだろうか。
ここのところ、”刺繍”を他の言葉に入れ替えて、声を大にして叫びたいやつ。
さらにつづく、佐知の心の叫び
>むろん、おおかたの場合、佐知は納期にまにあうように必死に作品を仕上げ、「気に入ってくれるひとがいるといいな」とおおらかに構えている。だが、たまにー弱気になったときなどー叫びたくなる。私は遊びも恋も放擲して、毎日チクチクやっている!その気力と根性にちっとも気づこうとせず、「あら、かわいい」「オシャレ」などと気軽に刺繍を消費し、あまつさえ私の刺繍で身を飾って、街歩きやらデートやらを満喫するのか、おのれらは!
そして、こう続く
>一針一針に我が情念をこめて、おのれらの魂に直接刺繍してやりたい。おのれらの魂から噴きだす血潮で白糸を種に染め、ものすごくリアルな髑髏を刺繍してやりたい!
飲んでたコーヒーを吹きそうになった。
やっぱり主人公はさちこ、
谷崎の愛したさちこ、
滾るわ(笑)
静かに、面白い小説だった。
いつも、いいねもありがとうございます (^^)
感想を見ていると、しをんさんファンがとても楽...
いつも、いいねもありがとうございます (^^)
感想を見ていると、しをんさんファンがとても楽しんで読まれているので「ホント私が捻くれてるのね」と思ったのですが、この作品は、エッセイと小説の間にあるのでしょうね。エッセイを読んだことがないのでしをんさんの世界にひたれなかった…ということなのでしょう(^^;;
さてさてさんの深い考察にはいつも感心させられております。コメントいただき嬉しいです!
捻くれてるなんてことは絶対ないです。色んな楽しみ方があってこその読書ですし、私もなつ子さんの書かれた...
捻くれてるなんてことは絶対ないです。色んな楽しみ方があってこその読書ですし、私もなつ子さんの書かれたレビュー読んでなるほど!と思ってしまいましたから。私の方がしをん節に騙されているとも言えるかも知れません(笑)
こちらこそ、過去レビューを見ていて、なつこさんとは結構同じ作品で重なることが多く参考にさせていただいています。
よろしくお願いします。
ありがとうございました!