- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122073180
作品紹介・あらすじ
自分の住むところには自分で表札を出すにかぎる――。銀行の事務員として働き、生家の家計を支えながら続けた詩作。五十歳のとき手に入れた川辺の1DKとひとりの時間。「表札」「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」などの作品で知られる詩人の凜とした生き方が浮かび上がる、文庫オリジナルエッセイ集。〈解説〉梯久美子
感想・レビュー・書評
-
「死者の記憶が遠ざかるとき、
同じ速度で、死は私たちに近づく。(中略)
戦争の記憶が遠ざかるとき、
戦争がまた
私たちに近づく。
そうでなければ良い。」(「弔詞 職場新聞に掲載された一〇五名の戦没者名簿に寄せて」)
石垣りんさんの詩は知っていても、どういう人生だったのかはまるで知らなかった。
女性が仕事をすることも女性がパートナーを持たないことも白い目で見られた頃から(それらが今完全に終わったわけではないけれども)、定年まで勤め上げ、買った一部屋で暮らし、言葉を綴る。
どのエッセイも、触れれば切れそうな鋭さの中に温かなものがあって、何度も読み返したくなるものだった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大正生まれ。銀行の事務員として働き、戦前戦後のなか定年まで勤めて、84歳で死去するまで詩作を続けたひとりの女性の生涯。男社会で働く苦労。独身の侘しさと自由。老いと生活。その日々を紡いだ人生は、生きる事とはすなわち詩を詠むことに他ならない。
-
石垣りんの代表的な詩をいくつか知っている程度で読んだ。
石垣さんは14歳で銀行に就職し、定年まで働いた。
ほとんど昇進はしなかったが、これはもちろん当時の日本の会社が女性を男性と同等に扱っていなかったからである。
石垣さんが詩人としてどれほど才能があっても、結婚も出産もしなかったから「君は半人前だ」といい放つ上司、「なぜ結婚しないのか」で書かせる雑誌編集者と付き合わざるを得なかった。ホント、何様だよ、と怒りが湧くが、石垣さんや当時の女性はうんざりするほどそういう扱いを受けてきたのだろうと思うと暗澹とする。そんな毎日の中、感じたことが詩となり、エッセイとなったのだから、よしとすべきか?いや、そんな毎日がなかったとしても石垣さんは詩を書いただろう。違う詩になっただろうけど。
私ならあからさまに怒ったり悲しんだりしそうなところを、ぐっと押さえて余韻を残す文章にできたのは流石と言うしかない。
梅の木肌に手を置いて「また来年の花に会わせてください」と願い、「春は来るのではない、生きてこちらが春に到達するのだ」(p131)。
「納められる税金を「せつなく」受け取って、大事に使ってくれる」政治家はいないのか。(p249)
「さしあたっての希望は、欲しがらない人間になりたい、ということ。誰が何をしてくれなくても。さみしかったら、どのくらいさみしいか耐えてみて、さみしくゆたかになろうと―。」(p57)
これらの言葉を忘れないようにしたい。 -
心の中にある背筋が伸びた。
働く人の生活を蝕んでまで得る経済の成長とか便利な生活ってなんなんやろう。役に立つかどうかで測られる人間の価値ってなんなんやろう。
「詩を書いても栄達にも報酬にもつながらないことが書く理由(意訳)」というのが私を本を読む理由に重なった。 -
生前に刊行されたエッセイ集三冊から選ばれた71篇による文庫オリジナル。
-
昔も今も働く女性は変わらないと思っていたけれど、このところ急に世の中のシステムが変わった。しかし、心は変わらない。
-
若くして銀行に就職し、銀行で働き続け家計を支える一方で詩を書き続けた詩人・石垣りんのエッセイ。
当時の女性としては少数派であったであろう自身をアウトサイダーを称しつつ、自分の職場をはじめ「社会」を批判的な鋭い眼差しで見ており、フェミニズムの潮流を感じた -
はたらく、ひとりで暮らす、詩を書く、齢を重ねるの四章に分けられたエッセイ集。
彼女の詩を書くこと以外にない人生の真面目さに感動しました。働くことや結婚を選ばなかったことなど、あるいは重荷になるばかりの家族といった事も全て詩の中に昇華されています。そして何気ない言葉に女性ならではの叫びが聞こえます。石垣りん氏の詩はとても好きですがエッセイもしみじみ良かったです。 -
「表札」の作者らしい、日々の暮らしの中で感じた心の動きが伝わってくるエッセイ集だ。今よりも女が一人で生きていくことが難しかった時代にあって、自分のしたいことをするために働いてきた決意が伝わってくる。