日本の近代 12 学歴貴族の栄光と挫折

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (374ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784124901122

感想・レビュー・書評

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  • 日本の戦前を支えたエリート旧制高等学校の歴史。なぜ生まれ、どのように威信を獲得したか。そしてどのような人が学んだか。そこで生まれた教養主義がどのように日本に影響を与え、戦後を迎えたか。そして、この教養主義がマルクス主義への傾倒という形で残り、大学紛争の時期に初めて、この旧制高校の伝統が崩れていったことを面白く読めます。この著者の本は教育歴史学、社会学、心理学といった分野になると思いますが、私自身の深層心理を学歴という観点から分析してくれる好きな学者です。

  •  私が明治大正期の高等教育を研究の対象にしようと志したきっかけの本である。特に、旧制高校の学校文化に関する記述には何回読んでも飽きない面白さが詰まっている。

     文豪が多く出てくるところも私が興味を持った点の一つであろう。近代日本文学には疎いが、それでも同時代に生きた彼らの関わりが少なからずみられるのも興味深い。

  • 中公新書の「教養主義の没落」の前段階らしい。先に新書の方を読んだので、これから読むところ(何

  • 超楽しい。

  • 京都大学名誉教授(教育社会学)の竹内洋(1942-)による近代日本における旧制高校・大学を中心とした学歴エリート論。

    【構成】
    プロローグ 学歴貴族になりそこねた永井荷風
    第1章 旧制高等学校の誕生
    第2章 受験の時代と三五校の群像
    第3章 誰が学歴貴族になったか
    第4章 学歴貴族文化のせめぎあい
    第5章 教養の輝きと憂鬱
    第6章 解体と終焉
    エピローグ 延命された大学と教養主義

    「吁、宮(みい)さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。
     お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。
     一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。
     来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか!
     再来年の今月今夜……
     十年後の今月今夜……
     一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!
     可いか、宮さん、一月の十七日だ。
     来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、
     月が……月が……月が……曇つたらば、
     宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、
    今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ(以下略)」
      (尾崎紅葉『金色夜叉』(青空文庫版)より、改行は引用者)

    尾崎紅葉の『金色夜叉』の有名な熱海の場面が、本書の表紙となっている。宮を足蹴にする貫一のいでたちは、学生服にマント、そして学生帽には白線が入っている。貫一こそ、本書で言及される学歴エリートの頂点に登らんとする、第一高等学校の生徒であった。

    明治10年にできた東京大学は明治19年に帝国大学と名前を変えた。しかし、変わったのは名前ばかりではない。
    東京大学時代は、工部省、農商務省など現業系官庁が抱えた専門学校に比して、官界への就職という点で特に優遇をされたわけではなかった。
    しかし、帝国大学へ改組されるのと時を同じくして公布された官試験試補及見習規則においては、帝国大学の法科・文科については、短期間の見習いを経て高級官僚たる奏任官へ無試験で選考を進められるようになった。帝国大学令公布以後、続々とナンバースクールが整備され、帝国大学とあわせて国家の教育予算の過半を注ぎ込まれるに至り、ナンバースクールから帝国大学へ至る学歴貴族ヒエラルキーが成立したと本書はいう。

    大日本帝国の官僚機構への人材輩出機関としての、東京大学→帝国大学→東京帝国大学については様々な文献で言及されているが、本書の特色はその帝国大学へ進学する本流であった旧制高校、中でも明治期に官立として設立されたナンバースクールとはいかなる学校であったかを明らかにする。

    旧制高校の成立史、旧制中学から旧制高校へどのような階層的・地理的広がりをもった生徒が入学してきたか、そして寄宿舎での独特な生活に代表される旧制高校文化について、統計資料、手記・回想などを適宜引用しながら展開していく。

    その中でも特徴的な文化である「教養主義」については本書でも第5章・6章で取り上げられるが、本書の4年後に上梓された『教養主義の没落』(中公新書)で著者が真正面で取り上げ、掘り下げるテーマとなる。(よってここでは取り上げない)筒井清忠『日本型「教養」の運命』と併読すると立体感が生まれなお面白いだろう。

    旧制高校出身者という近代日本におけるインテリ・学歴エリートが、高いプライドを持ちながら常に何を煩悶し続けていたのか、その一端が垣間見られる一冊である。

  • 竹内 洋の『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)』http://booklog.jp/users/ikutahr/archives/4121017048
    の元になったような内容の本だった。新書と本書の後半の流れはよく似ている。本書は、教養教育を考えるとき何か手掛かりになるものはないかと思い、本書を読み始めた。「学歴貴族」という表現は言い過ぎか、という先入観を持ち頁をめくる。
    話は、旧制高校→帝大というコースにまつわることの紹介が大半を占めた。学歴貴族の考え方は、教養と知識を習得するための経済基盤に関係している。ちなみに、芥川龍之介は下町中産階級から学歴貴族に成り上がったと著者はいっている。学歴貴族は、旧制高校のナンバースクールに合格して、学んでいる者を指し、針の穴を通った希少な存在でもあった。
    専門学校、師範学校を経由して帝大に入った者は傍系だったらしい。

    丁度3分の1くらい読んだところで、次の記述を読む。「実業学校や師範学校には欲望の学校化への歯止めがあった。中堅技術者や教師という職業に欲望が水路づけられるからである。しかし中学校ににはそうした歯止めがない。欲望の学校化を煽り立てさえする。(中略)職業科目はほとんどない。抽象的な欲望、進学願望を植えつけられやすい。」

    これは、教養教育の在り方を考える上で、示唆に富んでいる。教養教育と職業教育はどうも相対する概念のようだ。先日キャリア教育の答申が出て、様々な学校段階を通じて職業的内容を織り込むよういっているが、教養という本質的な探究心が薄まり、早々にキャリアが見えてしまい、「新学校種(専門大学)」の議論も影響し、ますます大学が専門学校化する方向に向かっている気がしないだろうか。教養と職業さらに研究を大学に求めるには4年間は短すぎる気がする。

    成城・成蹊はパブリックスクールをモデルにし、情操教育も重視した。教育理念も掲げられた。
    他方進学校は、受験指導に熱心に取り組んだ。帝大に入る前にこのような旧制高校という大学以前のエリート学校を「経由」することに意味があった。実質的な教養の重視というより、経済的・身分的背景と試験の対処力が、結果的にエリートとして選抜される仕組みとなった。

    本書の後半は同著者の前掲書と同じように、大衆的サラリーマンの話題や、第二次(昭和)教養ブームにふれられる。そして、マルクス主義のオブラートに保全された教養主義が延命され、大学紛争時に消滅したと記されている。旧制高校復活を提案した安川第五郎の「教学刷新に関する意見書」も327頁に引用されている。

    ・・・・・・
    読後の感想は、やはり教養教育はわからない。2002年の答申を読んでそのとおりやればいいというものでもなさそうだ。身につけるべき「ものの見方」、「ものの考え方」、「価値観」とはなんだろうか。

  • 烏兎の庭 第一部 書評 1.16.03
    http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto01/yoko/gakurekiy.html

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著者プロフィール

1942年、東京都生まれ。京都大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。京都大学大学院教育学研究科教授などを経て、現在、関西大学東京センター長。関西大学名誉教授・京都大学名誉教授。教育社会学・歴史社会学専攻。著書に『日本のメリトクラシー』(東京大学出版会、第39回日経経済図書文化賞)、『革新幻想の戦後史』(第13回読売・吉野作造賞)『清水幾太郎の覇権と忘却』(ともに、中公文庫)、『社会学の名著30』(ちくま新書)、『教養主義の没落』『丸山眞男の時代』(ともに、中公新書)、『大衆の幻像』(中公公論新社)、『立志・苦学・出世』(講談社学術文庫)など。

「2018年 『教養派知識人の運命 阿部次郎とその時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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