- Amazon.co.jp ・本 (303ページ)
- / ISBN・EAN: 9784130100908
作品紹介・あらすじ
ネット,ケータイ,実体のない,中心のない情報のネットワークが「世界」を僭称する.健康,先端技術,グローバル経済,ナショナリズム,〈コミュニケーション〉の世界で展開する,噛み合わない論争と「現代思想」家たち.ボルツが自身の思索の全容を語りながらこの時代を描出し,この混沌を生きる知を体現する.
感想・レビュー・書評
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●「ニューエコノミーはテクノロジーをもってはじまりトラストに帰着する」
●知識の信頼性の問題
有益な知識と変質症が肩を並べて共存するインターネットの情報アナーキー
最も重要な知識は「何が知らないでいいことかを知ること」
「データ」と「情報」と「知識」の違い
「完璧であろうとするのは疲労困憊すること」
付加価値といえるのは情報を減らすこと
●使用価値において技術的に利点を説くものではなく、接続価値=リンク価値による社会的に利点を説くもの
に、売れる製品はシフトしている
「linkはthingより重要だ」
●ニューメディアという条件のもとでものをいうのは能力よりもパフォーマンス
製作(生産)と行為(おしゃべり)の両側面をもつのがコミュニケーション
…「物質とエネルギーの世界は男たちの世界であったが、コミュニケーションとデザインの世界は女たちの世界になるだろう」
●現代が全面流動化の時代である以上、観察者も絶えず動いている。どんな知識も何かを見えなくしている。
「アイデンティティがしっかりしたものであればあるほど未来は小さい」
複雑性に対して高い感度をもつことが重要
●持続性と完璧性でなく柔軟性と弾力性
立ち直る力への信頼
適応は適応力を失う。適応しないものだけが適応力をもつ。ミスをしないものは適応力を失い狭い専門に跼蹐(きょくせき・おそれつつしみ身を縮める)する。
●もっとも純粋な価値は名声だ。引用は名声と同様の機能を果たす。「われは引用さる。ゆえに我あり」
●アウラを失った芸術とは、デザインのことだ。「良い形」は情報を抹消する⇔意味深い形式
●「デザイン」はインターフェイスの展開にとどまる
「奥の深いデザイン」など馬鹿げている。芸術は自己の効果を無視してよいがデザインは機能する表面
●身体の復権?
身体に対する暴力は、排除されたものが承認を得るための手段
メディア現実⇔身体崇拝
●こんにち、多くの人々は、価値や規範や命令を求めること、要するにタブーを求めることを正しいと思っている。→道徳という特大の旗についていきたがる
鋭敏な教養は『倫理性』だけには屈しない
という倫理性=新しい教養 -
増えまくる情報。ウルトラ複雑な世界。
どんな物事についてもあらゆる情報がある。どんな立場に対しても情報が提供される。めっちゃたくさんの正義が生まれる。多極化。
情報が増えまくる→情報の「半減期」がどんどん短くなる。情報の価値はものすごい勢いで劣化していく。
「今」が大切。
→情報へのアクセスのしやすさは価値にならない。
…情報をいかにして「減らす」かが求められる。何について考える必要がないのかを決めていかなきゃなんない。常にそれが求められるし、自分の選択が正しい保証がまったくない。確実なのは不確実性だけ。
不確実性だらけの世界。
「どんなミスにも耐えられるシステム」はめちゃめちゃに脆い。想定を越えたミスが出てきたらそれで終わり。
求められるのは、想定外のできごとに対する対応力。
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この本すごい。2002年の本だとは思えない。 -
蛇足が多いけど、結構読んで納得という部分が多い。いずれにせよ、ハーバマスとルーマンは一読しておいたほうが良いという感じ。
挑発的です、ボルツさん。 -
買ったけどまだ読んでない…