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- Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
- / ISBN・EAN: 9784130860451
作品紹介・あらすじ
近代東アジアにおいて,キリスト教宣教師たちの布教活動を,日本と韓国の人々はいかに受容してきたのか.キリスト教文献の翻訳語をめぐる議論,それによって文体がいかにかわってきたのか.日韓における聖書や小説,新聞の文章を通してこれらの問いを明らかにする比較文学研究の試み.
感想・レビュー・書評
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星が低いのは専門書のため一般的ではないから。私には興味深く、意義のある内容。
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“God”をどう訳すか、で韓国と日本のキリスト教の運命が分かれた。同じ漢字圏でありながら、韓国は神(シン)ではなく、ハナニム、チョンジュ(天主)その他にするか、長い間検討が重ねられ、唯一神を正しく認識できるように配慮した。そして古代高句麗で唯一神が信仰され、ハナニムと呼ばれていたらしいことから決着。一方、日本はほとんど迷うことなく、神(かみ)とした。このことを津田左右吉さえもが「日本語雑感」の中で書いているというのは興味深い。
また韓国の宣教にあたって1884年に米国の宣教師ルーミスが日本人の手でキリスト教布教を着手すれば、強い反日感情から宣教の成功には致命的」と書いている書簡は驚き。米国人による宣教が今の韓国のキリスト教の隆盛を招いたという。
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