天国の五人

  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140054659

感想・レビュー・書評

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  • 2003年、エディの83歳の誕生日だった。妻に先立たれ、子供もいない。仕事も希望通りではなかった。その日も、いつも通り遊園地の機械のメンテナンスをしていた。エディは一瞬の事故で呆気なく死んだ。
    彼の人生はなんの意味もなかったのか‥‥。

    この物語は終わりから始まる。彼を天国で待っていた五人の人物は、どんな人たちで、彼にどんな大事なことを伝えたかったのだろう?

    ほとんどの人は平凡な人生を過ごして呆気なく死ぬ。
    だから、エディの寂しさも、後悔も、怒りも、愛情も、そして思いもかけない真実も、あり得るかもしれない「天国の物語」かもしれない。

    と、敬虔なクリスチャンである著者は想像して物語をつくり、ベストセラーになった。神様の存在をよく知らない私は、至る所でつまづきながら、それでもミッチ・アルボムの天国観におおよそ共感してしまった。すなわち、

    「人生には終わりがある。愛に終わりはないわ」(191p)

    此処でそう言ったのは、天国(?)で待っていたエディの妻なのではあるが、数千という書物で数万の物語を読んできた私も、こういう言い方はおそらく正確ではないはずなのだが、世界中おそらく一言で言い表せる言葉は存在しないと思うのでこういうのだけど、私は「愛」が、「愛」の存在が私の存在が無くなっても存在し続けると信じられるので、自分の死を受け入れることができるのではないか?と一瞬思うことができたのである。この感想、意味わかりますか?

    • kuma0504さん
      りまのさん、地球っこさん、こんばんは。

      やっぱり良くわからないまま、わかったようなことを書いたのがまずかったのかなあ。
      でも小説を読んだ後...
      りまのさん、地球っこさん、こんばんは。

      やっぱり良くわからないまま、わかったようなことを書いたのがまずかったのかなあ。
      でも小説を読んだ後は勢いに任せて書くということはありますよね。

      避けられない「自分の死」に対して、立派なことを言い得るのは、「人生の意味」について語り得るのは、私はまだまだ若すぎるような気がします。
      2021/09/15
    • りまのさん
      kuma0504さん

      大きなことを、書くようですが、私は、ものすごく変わった子どもであった、小学生の頃から、何があっても、生きぬくであろう...
      kuma0504さん

      大きなことを、書くようですが、私は、ものすごく変わった子どもであった、小学生の頃から、何があっても、生きぬくであろう、という、不思議な、確信が、ありました。言葉が、出せない、誤解ばかり受ける、人生で一番苦しい時でした。サバイバルの、本など読み、もし戦争や、災害を受けることがあっても、他の誰が、どんなことになろうと、自分は、生きているであろう、と 信ずる子供でした。思春期が来ると、漠然と、逆に、自分は、大人になるまで、生きていけないだろうな…と思うようになりました。けれど、生まれてから、半世紀すぎても、私は、生きています。思春期の頃の、私からみれば、こうは なりたくなかった、という現実ですが、今の私は、それでも生きていて良かった 我が人生に、悔い無し  そう 思っています。心残りがあるとすれば、先に書いたように、深くひとを、愛してみたかった。愛されてみたかった、ということです。これからの、私の人生の、問題となってます。
      自分のことばかり書いて、ごめんなさい。
      kumaさんのことが、よくわからないので……。失礼かもしれませんが、kumaさんに 興味深い感を、持って います。
      2021/09/15
    • 地球っこさん
      kuma0504さん、りまのさん
      おはようございます♪

      いろんなことを考える機会をありがとうございました。

      「人生には終わりがある。愛に...
      kuma0504さん、りまのさん
      おはようございます♪

      いろんなことを考える機会をありがとうございました。

      「人生には終わりがある。愛に終わりはないわ」

      これからいろんな小説を読んだりしてるときに、ふと思い出すセリフになりそうです。

      小説&韓国ドラマは勢いに任せて書いてばっかりの地球っこより








      2021/09/15
  • 遊園地でメンテナンスを行うエディは、83歳の誕生日にアトラクションの事故から女の子を助けようとして死んでしまう。

    この話は、死んだエディが天国に行き、自分の人生の大事な局面について説明してくれる5人に出会いながら、人生の心残りを浄化させていく話である。メインストーリーである天国の話の合間に、各年代のエディの誕生日の様子と、エディが死んだ後の現実世界が描かれ、エディがどのような人生を歩んできたか複層的に理解することができるようになっている。

    エディは自分の人生には何の意味もない、と思っていた。戦争で体と心を壊し、子供を持つこともできず、愛する妻には先立たれ、自分が望んだ仕事にもつけなかった。
    そんなエディだが、天国の5人と出会い、違う視点で自分の人生を振り返ることで、自分がいろいろな人に助けられ、愛されてきたこと、知らず知らずのうちに他人の人生を助け、幸せにしていたことを理解し、心の中のわだかまりを少しずつ浄化させていく。

    自分が死んだら誰がどんな局面について話をするのだろう。思いがけない人が自分では全然気づかなかった一面を話してくれるのかもしれない。
    それよりも、自分は誰に対してどんな話をすることができるのだろう。誰かに対して話をすることができるような関わりを持って生きているのだろうか。エディがいずれ天国にやってくる誰かのために、話をする順番を待っているように、私も誰かのために人生の大事な局面でのエピソードを話してあげられたらいいな、と思う。

  • 海に面した遊園地<ルビ-・ピア>のメンテナンス係・エディ(83歳)の人生最後の60分前から始まる感動の物語。親兄弟や愛する妻と早くに死別し、戦争で傷ついた左足を引きずりながら不幸な人生を生きてきたエディ、彼の人生になんらかの理由で関わった天国で待つ五人が語り聞かせる〝地上にいたころの人生を理解するための教え〟は、読む者の心に響く癒しのメッセ-ジです。〝世の中には脈略のないものはない 我々は皆な繋がっている〟〝皆な何かを犠牲にして生きる 犠牲も人生の一部だ〟〝憎しみは毒 人を傷つけようとすると自分も傷つく〟

  • 冒頭から、主人公・エディが死ぬまでのカウントダウンが始まる。死ぬまで、50分。40分。34分。30分。そしてついに…。今日はエディの誕生日。
    死んだあとに「天国」でエディは5人の人物に会うことになる。エディが望むと望まざるに関わらず、彼の人生に決定的に関わった、そして彼に伝えることがある死者たちが待っているのだ。
    エディのために死に追いやられた者、エディを守って死んだ者、エディが父を許すよう諭す者、エディが心から愛した者、エディが命を奪った者。
    人はたった独りで生きられない。独りではないから互いを愛し、憎み、労り、どうしたって関わる。だからこそ、その生に意味がないことはないのだ。

    訳は小田島則子・小田島恒志夫妻。とても読みやすく、心に沁みた。

  • 以前映画で観た『モリー先生との火曜日』の原作を書いたミッチ・アルボムの作品。
    「モリー先生との火曜日」は実話でしたが、こちらは小説。
    でもテーマは同じ。
    生とは?死とは?よりよく生きるということは?

    モリー先生は言いました。
    「死んで人生は終わる。つながりは終わらない」

    83歳のエディーは、遊園地で働く整備士。
    父も同じ遊園地で一生を油にまみれて生きていた。
    自分はこんなところで一生を終えたくない、そう思いながら油にまみれた人生を送ってきた。
    「いつかはこんなところ出て行ってやりたい」

    事故により、突然人生が終わってしまったエディーの前に5人の人物が次々に姿を現す。

    最初に現われたブルーマンが言ったことが、この作品のすべてを表わしている。
    「他人っていうのは、これから知ることになる家族なんだよ」
    「無駄な人生なんてひとつもない。唯一無駄があるとしたら、自分をひとりぼっちだと考えている時間くらいだ」

    平成17年度の課題図書(高等学校)でした。

  • 主人公は遊園地で働く83歳のエディ。
    エディは物語の序盤、遊園地で起きた事故であっけなく亡くなってしまう。
    そして、天国で5人の人物と出会う。
    その中には生前親しかった人だけでなく、彼の人生の中ではほとんど記憶にない人、会ったことすらない人物もいた。
    そして、物語はエディが亡くなってからの話と、彼が生まれてからの誕生日の話との両方から進んでいく。
    -終わりから始まる話と終わりへ進んでいく話。

    会ったこともない人間が何故、天国で会う五人の中にいるのか-。
    人の縁は回りまわって、時代を超えて、つながっているのだとこれを見ると分かる。
    エディは生前、望み通りの人生を送ったという実感をもたないまま生きていて、そして死んでいった。
    妻は亡くしていたし、子供もいなくて一人ぼっち。
    仕事は本当にしたかった仕事でもなく、戦時中に負傷して足が不自由だった。
    そんな人生にどんな意味があったのか。
    でも天国の5人に会うことにより、意味のないと思われた人生も、実は他人の犠牲の上に成り立っていて、「生かされていたんだ」と分かる。

    物語の後半、エディとは生前面識がないだろう管財人が彼の生前の暮らしぶりを見て、自分の境遇に感謝するという場面がある。
    こんな風に「意味ない」と思われる人生でも誰かに何らかの影響を与えることもある。
    それが本人のあずかり知らぬものでも-。

    これを読んでいる最中、エディは5人と会ったその後、誰を待つことになるのだろう?とずっと考えていた。
    自分の人生に誰がどんな影響を与えていたのか?
    それは生前知る事が出来ないにしても、待つことが決まっているなら誰に影響を与えたかは分かるはず。
    私なら誰を待つだろうか?
    時間と人、つながりというものを感じる話だった。

  • 83歳のエディは遊園地でアトラクションのメンテナンスが仕事。そのアトラクションの事故により死んでしまう。その後の世界(天国)で、何らかの関わりをもった5人の人物と出会いながら、エディ自身がつまらない人間、人生だったとする思いを拭っていき、幸せな思いで終焉へと辿ってゆく。

     「世の中には脈絡のないものはないってことを。我々はみんなつながっているってことを。ひとりひとりの人生を切り離すことはできないということを。吹く風をひと吹きひと吹き切り分けられないのと同じように」と、誰もが人に生かされ、同時に人を生かしている人生であることや、

     「無駄な人生なんてひとつもない。唯一無駄があるとしたら、自分をひとりぼっちだと考えている時間くらいだ」
     「犠牲-君はひとつのことを犠牲にした。私もひとつ犠牲にした。みんな何かを犠牲にして生きる。犠牲も人生の一部だってこと」と、無駄な人生、つまらない人生なんてなく、ひとりの存在が誰かの存在を助け、ひとつの犠牲が誰かを生かし互いにどこかで繋がって、ひとつの物語を紡いでいるのだということや憎しみや愛についても、エディと共に読み手自身も気付かされる。私が彼の世で出会う5人とは誰だろうか? そんな事にも思いを馳せ、乾いた心に、人生にひとしずくの潤いを与えてくれる物語だった。

  • 自分自身の死の先になにがあるのか?!
    ユニークなとらえ方
    生まれてからの過去の逸話をまわりの目線で解説しているところが興味深い
    一番の注目箇所は、やはり父親との遭遇。
    生前、上手く付き合えなくて恨んでいたことを後悔しはじめて距離が狭まったことを理解したところ。
    モデルとなった著者のおじいさんのことらしいから、先祖として敬うことができるようになっただろう。
    本の表紙画が天国への階段を思わせる…ツェッペリンの…

  • 様々な教訓が散りばめられた「宝物」のような一冊。

    アルボムが著したこの小説は、言葉では表現できない圧倒的な「愛」を感じる。

    ディケンズの『クリスマスキャロル』、サンテグジュペリの『星の王子様』の系譜に連なる不朽の名作を、ただただ喜びを噛み締めて読破した。

    このような作品とふと出会う瞬間がある-

    これだから読書は止められない。

  • 人生の意味
    「死んで人生は終わる、つながりは終わらない」という人生の教訓。
    「人生は終わりがある。愛に終わりはない」

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