- Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140819401
作品紹介・あらすじ
1925 年に登場し、瞬く間に時代の寵児となったラジオ。そのラジオ放送に携わった人々は、ラジオの成長と軌を一にするかのように拡大した「戦争」をどう捉え、どう報じたのか、あるいは報じなかったのか。また、どう自らを鼓舞し、あるいは納得させてきたのか。そして敗戦後はどう変わり、あるいは変わらなかったのか――。
上記をテーマに、NHK放送文化研究所の月刊誌「放送研究と調査」は、2017 年8 月号~21 年12 月号で、5 年にわたり「戦争とラジオ」を掲載した。その連載を単行本化したものが本書である。筆者の大森淳郎はNHKのドキュメンタリー番組のディレクターとして、戦争中のラジオについても長年取材を続けたのち、2016年~22年12月まで同研究所の特任研究員を務めた。
本書では、記者・ディレクター・アナウンサー…といった「放送人」たちが遺した証言と記録、NHKにある稀少な音源・資料などを渉猟し、丁寧にたどり、検証しながら、自省と内省の視点を欠くことなく多面的に「戦争とラジオ」の関係を追う。
ひいては、非常時において、メディアに携わる者がどのように思考・模索し、振る舞うべきなのかをも照射したノンフィクション。
【「序」より】
……夜空に浮かぶ月の表面は鏡のように平らに見えるが、実際は数千メートルの山々がそびえるクレーターだらけのでこぼこの世界だ。戦前・戦中の日本放送協会の歴史を遠望すれば、軍や政府に支配された、非自立的で没個性の、のっぺらぼうのような組織の姿しか見えない。でも、もっと接近して見れば、放送現場の絶望や葛藤、あるいは諦念といった感情の起伏が見えてくるのではないだろうか。そして政府や軍の指導を、放送現場がいつのまにか内面化し、ニュースや番組に具現化していったプロセスが浮かび上がってくるのではないだろうか。
現在の価値観から戦時ラジオ放送を断罪しようというのではない。いわば「仕方がなかった史観」を乗り越えて戦時ラジオ放送を検証すること。戦時中のラジオが何を放送していたのか、単にその事実を羅列するのではなく、現場が何をどう考えて、あるいは考えることを放棄して放送していたのかを検証すること。それこそが重要なのではないだろうか。
戦争協力は仕方がなかった。そこに止まっている限りは、戦時ラジオ放送の経験から学び、現在の放送に生かすことはできないだろう。(後略)
【もくじ】
序
第1章:国策的効果をさらにあげよ ー検証・戦時下ラジオニュース
第2章:前線と銃後を結べ ー戦時録音放送を聴く
第3章:踏みにじられた声 ー戦時ラジオ放送への道
第4章:日本放送協会教養部・インテリたちの蹉跌 ー講演放送・学校放送は何を伝えたのか
第5章:慰安と指導 ー放送人・奥屋熊郎の闘い
第6章:国策の「宣伝者」として ーアナウンサーたちの戦争
第7章:敗戦への道 ー「負け戦」はどう伝えられたのか
第8章:敗戦とラジオ ー何が変わらなかったのか
あとがき
感想・レビュー・書評
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戦時中に仕事としてラジオ放送に関わった当事者が、自分達の見聞きした事を後世に伝えたいと思ってもその立場や経験の違いから話せる人と話せない人がいるだろう。なにより死者は伝えたくてもできない。戦時中、“伝える”を仕事にしていた人達の仕事内容、のちにNHKとなる組織のなりたちを時系列に沿って検証し、当事者に取材した貴重な証言の数々はこれまで映画や小説から受けていた検閲の印象とは違いとても興味深い。当初は分厚さに怯んだが(資料等は適宜読み飛ばしつつ)初めて知る事、当時ラジオ放送が果たした役割の大きさに驚き、AMラジオが今年2月から順次廃止されるという時期、しかもチャーチル評伝の次に図書館リクエストの順番が回ってきたという偶然の巡り合わせも感慨深い。
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歴史修正主義にまんまと乗ってしまう人、
国の施策・サービスを知らないがために受けられるべき支援を受けられない人がいる。
自分は本を読んだり情報を自分から取りに行くことで何とかついて行っていると自負するけれど、
世の多くの人は、何も知らず、世の中に流される。
電車の中で寝ていたり、スマホゲームに没頭したりしている。
つくづく、教育の必要性を感じる。
今の文科省の教育ではない。
生きていくための教育、リベラルアーツだ。
しかし、さて、どうやって?
と考えたとき、戦前はラジオ、戦後はテレビがその手段であったのだ、と気づく。
テレビの視聴率、紅白や大相撲で80%を超えた、なんて聞いたことがある。
その放送の内容が国民の頭脳にもたらすものは大きいはずだ。
今ではメディアが多様化し、朝ドラでも視聴率は20%。
国民が同じものを見る、ということはまずない。
ましてラジオ、、最近podcastにより独自の世界を開拓しているとはいうものの、
影響力は小さい。
ただ。戦前はラジオだけだった。
そのラジオが国民に何をもたらしたか。
それを描いたのがこの本だ。
当時のラジオの原稿は敗戦でほとんど燃やされ、録音もわずかしか残っていない。
それを個人で録音機で作って、大本営発表を録音していた人に出会うところからこの本は始まる。
ラジオとして、不利な戦況をいかに表現して国民の戦意を鼓舞するかに腐心した当時のNHK。
アナウンサーの口調。
報道ではなく「報導」という言葉にドキッとする。
これだけでもお腹いっぱいだが、この本はさらに、個人を描く。
詩人、放送編集者、、、
もともと持っていた理想からどんどん離れていく自分の仕事。
忸怩たる思いがあったか、魂を売ったか。
しかしあの戦況下で何ができたか。自分ならどうしたか。
さらに本は戦後を描く。
GHQによる検閲。自由の国のチェックと表現していた。
しかし広島原爆の状況については一切放送させない。
GHQが撤退する1950年、今度は国がNHKにちょっかいを出す。
自衛隊の前身の創設を茶化す番組をやめさせる。。。
そして今。安倍政権は従軍慰安婦ドキュメントを骨抜きにした。
歴史修正主義。
あ、最初に戻ってしまった。
放送の影響は戦前とは違うとはいえ、腐っても鯛。
事実を事実と認めない国民が増えていく。
朝鮮人虐殺しかり。
いや、もしかしたら今まさに行われている入管の人権侵害も、
「悪い外国人を追い出すのは正しい」と信じている人も多いかもしれない。
NHKの役割は小さくない。
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いつも聴いているpodcastの番組に著者の大森淳郎さんがゲスト出演していて、本書についてお話ししていました。
大森さんは長年NHKでディレクターとしてETV特集等を担当していた方です。
本書は、その大森さんが、NHK放送文化研究所の月刊誌「放送研究と調査」で連載した記事をまとめたもので、太平洋戦争当時、ラジオ放送に関わった「放送人」が何を考え、どう行動し、何をしなかったのかを貴重な証言や音源から顕かにしていくノンフィクション作品です。
丹念な取材にもとづく力作で、読み応え十分です。 -
【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/571056 -
大部なのでやや流し読み。戦中も、戦後の『真実はこうだ』も、音声があり大衆向け、とのラジオの特性を実感。半ば創作も交えた前線録音、記録録音の類は銃後の聴衆にさぞ戦争との一体感を与えただろう。
同盟通信の配信記事をより効果が上がるよう書き換えて放送するなど、放送人は戦争に「仕方なく」協力ではなく、懸命に考え実践していたと著者は指摘。ただ著者がNHK出身だからか、その中で苦悩する個人にも同情的に注目している。 -
太平洋戦争下のラジオ放送でのNHKの功罪。
膨大な資料を渉猟し、貴重な歴史をまとめている。