自分と自分以外: 戦後60年と今 (NHKブックス 1006)

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  • NHK出版
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140910061

感想・レビュー・書評

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  • 意外な片岡義男の姿が伺える。私が常々思っていたのはアメリカの洗練された文化を紹介する彼の姿であり日本は東京を懐古的に歩く彼の姿であったのだけれど、ここにいるのは田舎の景色に馴染み(敢えてこんな言い方をするが)「イモっぽい」自分自身の思い出を開陳する彼の姿である。だが、それも彼の手にかかれば実に上品かつ洗練されたノスタルジアとして浮き上がるのだから凄い。後半では日本の政治や風俗をめぐる風景に歯に衣着せぬ筆致で挑む彼の姿が見える。彼の批評家としての一面が見えて……ということはこの本はベンヤミン的な書物なのか?

  • 著書にこんな無雑作な題名をつける作家はあまりいないのではないか。『自分と自分以外』、まるで子どもが考えそうな区分である。芸がないのもはなはだしい、とおこってみても仕方がない。あとがきに「文章による芸を見せるという考え方が僕にはない」と、書いてしまう人なのだ。ストレートに書かれた自分と自分以外のことが、半々くらいの分量になったエッセイ集である。

    しかし、やっぱりこの区分ではどうにもならなかったらしく、結果的に子供の頃のこと、仕事をするようになってからのこと、いまの日本についてのことの三つに分かれている。もっとも、この分け方にしたところで、十分に子どもじみているが。最近の片岡は今の日本についての言及が多く、その他の論者にない独自の視点については『影の外に出る』ですでに触れている。

    そうした著者独特のものの見方がどこから生まれてきたのかということを知るヒントになるのが、子どもの頃のことを書いた部分である。「子供のままの自分」という文章がある。そこで、彼は自分が、「学校に行きたくない子供」だったと告白している。「小学校一年生として登校した最初の日、ああ、これは僕の好きなところではない、と幼い僕は確信することが出来た」というのが、今の「僕」の記憶であることは差し引いて考えるとしても、小学校、中学校合わせて二百日しか登校していないなら、学校に行かない子供だったと言う資格はある。

    学校に行かないためには理由がいる。「僕」は、畑仕事や漁、鶏小屋の世話という家の仕事に時間を費やすことで、学校に行かずにすませたのだ。敗戦直後の混乱期で、東京を離れて祖父の家で暮らしていたから許されたということもあるだろうが、学校に通うことで生じる「無駄な努力やストレス」を最小限にとどめるために働くという決断は並の子どものできることではない。

    日本という国の核心を一言で言うなら「人々の生きかたのすべてをを国家が規定してきたこと」だと、片岡は言ってはばからない。学校をいい成績で出て、いい会社に入るという路線を誰もが疑わずに、やみくもに勉強したり、働いたりしてきた結果が今の日本である。それが正しかったかどうか、結果は言うまでもない。

    学校に行きたくない子が大きくなれば、会社に勤めたくないと考えても不思議はない。文章を書いて暮らしている今の自分の中に、学校に行かずに鶏小屋の掃除をしている子どもの頃の自分が、そのまま生きていると作家は言う。彼の箪笥の中はシャツとジーンズばかりだ。ファッションではない。それは「作業着」だからだ。片岡義男の「自分」は、そういうふうにして作りあげてきた筋金入りの代物なのである。

    会社やそれによって成り立つ国家と一直線に結ばれている日本の学校というシステムを「スレスレ」の線で切り抜け、自分だけを頼りに「自分」の特殊性を磨き上げ、増幅させることで道を開いてきたと作家がいうとき、この「なにものでもない人」の目に見えている日本の姿が他の評者のそれとちがう理由がよく分かった。

  • ふむ

  • f.2018/6/2
    p.2004/7/30

  • 05/17 せんげんカメレオン ¥105

  • みなさんの感想をみて、私も読みたくなった。片岡義男さんはいつも僕に新しい何かを教えてくれる。

    大学1年のとき、駅前の書店で片岡さんの文庫本ともう1冊誰かの文庫本を買った。同年代のアルバイトの女の子が書店のカバーをかけてくれながら、
    「お洒落ですね」といったのを思い出す。
    もう1冊の誰かの本は、お洒落といわれるわけのない小説だったので、お洒落なのは片岡さんの本の方だった。

    僕らの世代にとって、片岡さんの作品がお洒落に映ったのは否定できない。自分たちの日常とは微妙に異なる世界を感じ、その逸脱ぐあいが一種のお洒落だったか? 

    この本、副題は『戦後60年と今』だが、これには驚いた。彼の作品で、経済、バブル、デフレ、不況という単語を用いた文章を読んだことがなかったからだ。過去の作品とは違い、リアルに戦後60年間の日本を論評している。そして首肯できるところが多かった。
    また、作家として絶対にやりたくないことが明記されていて、今まで彼の作品に対して漠然と理解していた部分がはっきりして、嬉しかった。日本人が「と思います」と安易に使うことについての論評は耳が痛かった。

  • 同時期の二冊

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著者プロフィール

1939年東京生まれ。早稲田大学在学中にコラムの執筆や翻訳を始める。74年「白い波の荒野へ」で小説家としてデビュー。翌年には「スローなブギにしてくれ」で第2回野性時代新人文学賞受賞。小説、評論、エッセイ、翻訳などの執筆活動のほかに写真家としても活躍している。『10セントの意識革命』『彼のオートバイ、彼女の島』『日本語の外へ』『万年筆インク紙』『珈琲が呼ぶ』『窓の外を見てください』『いつも来る女の人』『言葉の人生』ほか多数の著書がある。

「2022年 『これでいくほかないのよ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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