〈性〉と日本語: ことばがつくる女と男 (NHKブックス 1096)

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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140910962

作品紹介・あらすじ

「おれ/あたし/ぼく」などの自称詞から「〜ぜ/よ/だ」の文末詞まで、日本語には性が刻まれている。一見、自然な言葉づかいに思える「女/男ことば」が、性についての規範と結びついてきたことを歴史的に示し、ファッション誌のコピーや翻訳小説の文体などにも、性の刻印が時代変化に即して捺されていることを、明らかにする。「乱れ」を批判される若者たちなどの"ずれた言語行為"に、多様な自分らしさを表現するための創造的な試みを見いだし、開かれた日本語の伝統づくりへの道筋を示す、野心的日本語論。

感想・レビュー・書評

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  • 社会学部 松澤俊二先生 推薦コメント
    『私たちは、ことばを使うことで「男」にも「女」にもなれるという話。それって、どういうことだろう?』

    桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPAC↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/book/467465

  • 大変面白い議論だと思った。もともとは新編・日本のフェミニズムの『表現とメディア』の巻に中村桃子さんの議論が載っていたのを読んだのだけれど、その論文では、少女の自称詞が存在しない問題・男っぽい言葉遣いをしてしまう問題を取り上げており、それが大変面白かった。それでこの本も買ってみたという次第だったのだが、全体を通して読むと、更に深度がある議論が展開されており感銘を受けた。
    しかし、日本語の言語資源のなかにべったりと貼りつく「女ことば』の問題、これは言文一致からだとすると、相当厄介な話で愕然とする。私の雑な考えでは、日本で女性政治家や、女性の批評家の立場が非常に難しい原因などは、言葉の問題が相当あると感覚的に思っていたのだけれど、それがズルズルと証明されていくイメージだった。言語学などをあまりしっかり知らないので、このあたりはまだふわふわしているのだけれど。私たちが真に社会的な言葉を獲得するためには、遡って言文一致から検討することが必要なのだと悟った。このこと、大塚英志が太宰治の「女生徒」の読解かどこかで指摘していた気がする。
    自称詞から見える、自分が主体である子供期から、一気に「わたし」を用い、性的客体になってしまうことへの抵抗、これはほぼほぼ少女漫画論にあることだし、ハーレクインシリーズから、言語資源に貼りつく異性愛規範を見ることは、かなりボーイズラブの読解に鋭い示唆を与えると思う。どちらにしろ、こんなに面白い議論を今まで知らなかったことが残念すぎる。

  • 2007年刊。2章(翻訳本から世の事象を読解)は良。旧「俺」はかつては親近感ある熱血ヒーローだったが、ドライな関係を是とするゼロ年代では、「俺・お前」は単に性的魅力・暴力性・反抗心のみの符号となり、親密性は示さない、とは鋭い指摘。だが、そこまで。それ以降は、①2章にあった実例分析が影を潜め、②男が女を支配したという一面を強調しすぎる結果、民俗学の所見を等閑視し、組織が個人を支配していた面の軽視する等分析の視座が甘くなっている。③さらに、恋愛消費主義(恋愛自由主義)化による選ぶ女性化・女性上位化を無視。
    言語学者であるのに、まるで社会学者的な言説に終始し、しかも統計やインタビュー、社会の実例を踏まえないだけでなく、生物学的所見(引用されている所見は誤りではないが、脳生理学の観点からは男女差は明瞭で、筆者の所見は例外的場面に相当する)を牽強付会に引用するなど、とても読めたものではない。筆者の結論に賛同したいのに、このような書を流布すれば、かえってマイノリティ擁護論がまともな議論として遡上にのらない可能性すら感じる。その他も言いたいことはあるが、手堅くまとめれば良書になった可能性があったのに…、と思わせられた

  • 「日本語の乱れ」みたいなことが言われているけれど、じゃあ「正しい日本語」ってなによ。「知的な日本語」を使えば「知的女性」になれるって誰が決めた? 言葉が無色透明で、なんでも表せて、「あるがままにある」みたいにこっちからは手の出せない自然の中の動物みたいなのって、おかしくない? そうじゃなくて、言葉ってのは限りある「資源」であって、しかも日本人なら日本語のなかの限られた意味や文脈しか使えない不自由な材料なんだと。そんなかで自分の真意とかアイデンティティとかを他人に伝えようとして、いろいろアリモンで工夫したり、使い分けたりしてんじゃないの? 言葉は「使って終わり」なんじゃなくて、言葉を使う行為を通して、いろんな自分らしさを積極的に「つくりあげていく」ものなんじゃないの? という問題意識からかかれている……という時点でもうおもしろさ決定でしょ、これ。
     具体的には、規範からの「ずれ」を「正しくない」と糾弾するのではなく、「なぜずれなければならないのか」と考える姿勢をこの本はとっている。ここでおもしろいのは、著者が、その「ずれ」のサンプルを、インターネットのスパムメールとか、マンガ『スラムダンク』とか、男女のファッション雑誌とか、そーいうイキのいいところでとってきてるところ。
     たとえば、「萌え」系の一典型である「ボクっ娘」つーのがありますな。一人称が「ボク」の元気印少女。これ、明治時代からあるというのは、本書で初めて知った。そして「僕」とか「君」とかいう書生言葉を使う女性に対する批判もまた、明治時代を通じて見られるという。ここから著者はなぜ少女が「僕」という言葉を使わざるをえないのかを分析していくのだが……まぁ、フェミニズム的にオーソドックスな展開。オチがそれですか、というか、安心して読めるとも言えるか。
     そろそろ「正しい日本語」とか「品格ある言葉遣い」とかは飽きたなぁ……という心持ちの人は、楽しく読めると思う。

  • 「自分の分野について面白く高1に説明しろ」と言われて急遽読んだ本。これで漫画をたくさん引用して使うわ。

    途中で面白すぎて電車の中でニヤニヤしちゃった\(^o^)/
    まさか出会い系サイトの送り主も、こんな風に分析されてるとは思わないでしょうね。

  • 面白かった!
    言葉遣いっていう観点だけで、ジェンダーを語る、という2翻縛り的な面白さがある。雑誌の文体や、迷惑メールの文体を研究対象として、紹介しているところがとても面白い。
    ただし文章が硬く、やや読みづらい。

  • 情報によって、言葉によって、私達は性の規範を強化されていく現状に気づく。性は操作され、刷り込まれているのだ。常識というものは、文化により、場所により、時代により、変化する。男女の異性愛も人口コントロールのために制度化されたものであり、人間の多くの感情が不可視化されてしまっている。常識と呼ばれるものの真偽をあばく。

  • 自呼称(私、僕、俺など)や、翻訳文学・ハーレクインロマンスなど、いろんな視点から、「“性”と日本語」についてアプローチしていて、面白かったです。

  • [ 内容 ]
    「おれ/あたし/ぼく」などの自称詞から「~ぜ/よ/だ」の文末詞まで、日本語には性が刻まれている。
    一見、自然な言葉づかいに思える「女/男ことば」が、性についての規範と結びついてきたことを歴史的に示し、ファッション誌のコピーや翻訳小説の文体などにも、性の刻印が時代変化に即して捺されていることを、明らかにする。
    「乱れ」を批判される若者たちなどの“ずれた言語行為”に、多様な自分らしさを表現するための創造的な試みを見いだし、開かれた日本語の伝統づくりへの道筋を示す、野心的日本語論。

    [ 目次 ]
    1 「わたし」はことばでつくられる(ことばとアイデンティティ 「翻訳」のことばを読む-再生産される言語資源)
    2 日本語に刻まれた“性”(セクシュアリティと日本語 変わりゆく異性愛のことば-「スパムメール」「スポーツ新聞」「恋愛小説」)
    3 創造する言語行為(なぜ少女は自分を「ぼく」と呼ぶのか 欲望を創造する-消費社会と“性”)
    「日本語=伝統」観の閉塞を超える

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著者プロフィール

関東学院大学教授

「2021年 『「自分らしさ」と日本語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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