西田幾多郎 『善の研究』 2019年10月 (NHK100分de名著)

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  • Amazon.co.jp ・本 (121ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784142231041

作品紹介・あらすじ

その文章を3行読めたら、あなたの人生が変わる──

日本一難解な書として呼び声高い『善の研究』。しかし、読む順番を変えれば、意外なほどに腑に落ちる。戦後に人々の渇いた心を潤した哲学には、どんな人生への示唆が詰まっているのか。「知と愛」「善」「純粋経験」……西田幾多郎がその過酷な生涯でつむいだ言葉の数々から、「生きる」ことの本質を見出していく。

感想・レビュー・書評

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  • 難解な本として有名な『善の研究』。こんな読み方もあったのか!と指南してくれます。読んでみようか、と勇気が湧きますよ。
    西田幾多郎という人物にしても、例えば小難しい哲学者、などのありがちなイメージが払拭されます。

  • この本が無かったら「善の研究」を全て読むことは不可能だっただろう。本を読み解き方をわかりやすく解説してくれる一種の攻略本と言っていい。

  • 若松英輔さんによる西田幾多郎の『善の研究』の解説。
    一見難解な西田の哲学がキリスト者である若松さんによって極めてわかりやすく示される。それはまさに絶対矛盾的自己同一を巡る著述であって、表面的な自己を乗り越えてそれによって隠されている自分と出会う旅というか、いのちとの出会いという語りで表現される。
    何となく若松さんはイエスをそこにみているような気がしていて、一見矛盾しているものが同時に存在するということにどこかキリスト教と重ねている印象を持った。
    西田が数人の子供や妻を亡くしていることにも言及されていて、どういった背景から西田の哲学が紡ぎ出されていることも語られる。
    これから西田の哲学に挑戦しようとする方にとって入口まで連れて来てくれる作品になっている。

  • 西田さんと鈴木大拙さんはちゃんと修めておきたい。

  • p.2021/2/13

  • 解説があるおかげで、理解しやすくなってます。しかし、それでも奥が深い内容が多く、何回も読みたくなります。他の関連本等も読みたいと思います。

  • 実際の本はとても難解と思われます。が、解説によれば、生き方を考える上で、とても深い内容だと感じました。もう少しテキストを読んでみます。

  • 2021.03 『世界の古典 必読の名作・傑作200冊』より
    http://naokis.doorblog.jp/archives/Koten_SatoMasaru.html

  • たぶんあと3回くらい読まないと分からなそう(ほんとか)なんだけど、ときどき、スコンとわかるときがある。

  • ・彼にとって哲学とは、専門家が物事を考えるための道具ではなく、市井の人々が人生と深く交わるためのものであり、そういった哲学を生み出したかったのです。

    ・飢えた人々が食べものを求めるように叡智を求めた。そんな時代が70年ほど前にはあったのです。

    ・知識と情意の二つが揃わないと哲学は始まらない。頭脳が明晰なだけでは哲学は始まらない。頭脳と同時に心も育み、開花していかなければならない。

    ・西田哲学の特徴は「動揺」。世界は動き、私たちの心は揺れる。一瞬たりともおなじ世界は存在しない。西田がいう「実在」とおなじ意味でもある。

    ・書物に物語を読む。早急に結論を求めるのではなく、著者が歩いた道を私たちもまた、私たちなりに歩いてみる。彼がみたものを、私たちも自分の人生を反芻しながら発見していく。

    ・この本には「問い」と「問いの深まり」があるだけで、結論は示されていない。山頂を目指していくというよりも、彼と一緒に山中を迷っていくことに他ならない。

    ・真の意味での読書とは、言葉という船に乗って「問い」という海を旅すること。プールのような場所でものを眺めることもできるが、そこには生きたものはいない。

    ・哲学は人間を救い得るか。あるいは哲学は人間を救いの道へ導くことができるか。これが西田の生涯を通じた問題であった。こうした問いを内包していたからこそ、戦後の人々の魂の飢えを満たすような波及力があったのではないか

    ・私たちは「生けるもの」を生きた存在として感じるとき、内なる愛情を持ってそれに接する。だが、愛が失われた目で世界を見るとき、「生けるもの」は生命なきもの、すなわち「止まっているもの」であるかのように映る。

    ・親と子では、心ではそれぞれに入れ替われるほど互いを「わがこと」として感じることができる。愛とはそのような、お互いの心を感じ合うものだ

    ・「私」が主語になると世界はとても狭くなる。「私」がいなければ世界は存在しないかもしれない。

    しかし「私」が深くなっていくと、表層意識の「私」ではない本当の自己である「わたし」が世界の底に触れていこうとする。これが西田のいう「善」の世界。


    ・★他者が「いのち」によって紡いだ言葉を読むとき、それを単なる情報として「知」のちからだけで読み解こうとしても無理である。読む側もまた「いのち」でそれを感じ直さなくてはならない。

    ・愛する本を読むとき、私たちはほとんど無意識に、書き手の「いのち」の声を聞き取ろうとしているのではないか。西田の言葉は私たちの「いのち」に呼びかけてくる。

    ・西田のいう宗教とは、宗教的宗派とは異なる、「大いなるはたらき」のこと。

    「神」は人間を超えながら、同時に私たちの心に内在する。遠くを思いつつ、我が身の内に神をさがせ。それが西田の神の理解。

    ・私たちの生の意味は、自分が「自分」と感じているものを育てることではなく、「自己の意識を破りて働く堂々たる宇宙的精神」を生きてみる実験実践にある。

    ・社会生活における「個」と、他者と共にある「個」は両立し得る。この二つの個が共に開花することが、西田がいう「善」である。

    ・self-realization=自己が円満(完全)なる発達を遂げる

    ・真の禅者の目覚めは個人の出来事では終わらない。この中で起こり、無数の他者に拡がる。(ユングのいうところの集合的無意識

    ・善は概念として語られるものではなく、行為によって体現されるべきものである。

    ・「善」は私たちの中に存在している。しかし多くの人にとって、その種子は何かに覆われていたり埋まっているため、見えないことが多い。私たちはそれを「光一」によって発見し、体得しなくてはならない

    ・「善」を会得するためには、外に探しに行ってはならない。見出さなくてはならないものは、すでに私たちの中にある。獲得するのではなく、すでにあるものを見つけようとするところに「善行」が生まれる。

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著者プロフィール

1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。 慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選、2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞、2018年『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞、2019年に第16回蓮如賞受賞。
近著に、『ひとりだと感じたときあなたは探していた言葉に出会う』(亜紀書房)、『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)、『光であることば』(小学館)、『藍色の福音』(講談社)、『読み終わらない本』(KADOKAWA)など。

「2023年 『詩集 ことばのきせき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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