NHK出版 学びのきほん はみだしの人類学: ともに生きる方法 (教養・文化シリーズ NHK出版学びのきほん)

著者 :
  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (112ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784144072543

作品紹介・あらすじ

「わたし」と「あなた」のつながりをとらえ直す

そもそも人類学とは、どんな学問なのか。「わたし」を起点に考える「つながり方」とは何か? 「直線の生き方と曲線の生き方」「共感と共鳴のつながり」……。「違い」を乗りこえて生きやすくなるために。「人類学のきほん」をもとに編み出した、これからの時代にこそ必要な「知の技法」のすすめ。                                             
第1章 「つながり」と「はみだし」
第2章 「わたし」がひらく
第3章 ほんとうの「わたし」とは?
第4章 差異とともに生きる

感想・レビュー・書評

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  • どうしたら多様な「わたし」や「わたしたち」がともに生きることができるのか。その鍵となるのが「つながり」と「はみだし」だと、〈はじめに〉で著者は述べる。
    「つながり」は言葉の意味からして必要なことだろう。でも「はみだし」ってどういうことかな。「つながり」と「はみだし」って全く別物じゃない?
    そんなことを思いながら読みはじめたのだけど、これがとても面白い。やさしい文章でわかりやすく書かれているから、最後まで興味を持って考えながら読むことができた。それ以上にわたしのなかで、言葉にうまくならない鬱々としていた何かに対しての捉え方など、ヒントを与えてもらったようで、本当に読んでよかった。

    わたしは「多文化共生」「異文化理解」という言葉自体に、既に境界線が太く硬く引かれているように思えて、でもそれがなぜなのかをハッキリと表現することができないでいた。著者の言葉を追ううちに、そのモヤモヤとしたものが少しずつ霧がはれていくように消えていき、自分のなかで納得するところまでいくことができた。

    また最初に「つながり」って、結びつきや関係という意味だろうなと、何の疑問もなく思っていたことが、「つながり」には存在の輪郭を強化する働きと、反対にその輪郭が溶けるような働きがあることを知り、「つながり」の意味が単に結びつきという言葉では収まりきらないことに気づくことができた。「ともに生きる方法」を考えるとき、この両方の側面に目を向ける必要がある、と著者は考える。これはとても大切なことだ。

    「つながり」を考えるとき、まず思い浮かんだのが「わたし」と他者との関係だった。
    著者は、「わたし」という存在は明確な輪郭をもって存在している。でも、見知らぬ他者と出会い、別の世界や生き方の可能性に触れることで、それまで「輪郭」だと信じていたものが揺さぶられることになる。その揺さぶりによって「わたし」のなかの大きな欠落に気づき、その欠落を埋めようと、「わたし」がそれまでの輪郭をはみだしながら他者と交わり、変化していくのだと教えてくれる。著者のフィールドワークの経験などを交えて、最初に疑問に感じた「はみだし」についても話が展開される。

    そうやって「わたし」と他者との関係を考えていくと、自ずから「わたし」とは何者かという、ある意味、哲学的な疑問にたどり着いてしまう。
    思春期の頃には、友だちの前での「わたし」、部活やアルバイト先での「わたし」、家での「わたし」。大人になってからも、母、妻、嫁などの立場で「わたし」は変わる。
    わたしたちは、つねに複数の役割をもって生きており、「わたし」という存在が周囲の他者によって支えられ、つくりだされていることがわかる。
    じゃあ、そんなつくりだされた「わたし」は、「わたし」の本当の姿じゃないわけ?

    だれとも関係を結ばない「わたし」がほんとうの「わたし」と言えるのか、すべての演じる役を脱ぎ去ったあとには、演じない本当の「わたし」がいるのか、いたとしてそれにどんな意味があるのか、著者は問いかける。
    「わたし」は「わたし」だけでつくりあげるものではない。
    他者との「つながり」によって「わたし」の輪郭がつくりだされ、同時にその輪郭から「はみだす」動きが変化へと導いていく。だとしたら、どんな他者(動植物、本映画、絵画なども含む)と出会うかが重要な鍵になると続く。
    「わたし」をつくりあげている輪郭は、やわらか膜のようなもの。他者との交わりのなかで互いにはみだしながら、浸透しあう柔軟性なもの。
    そういうやわらかな「わたし」から考えると、様々な境界線に沿って見いだされる差異も、あらたな目でとらえなおすことが出来るのだと説く。

    他者との交わりが生まれるような「つながり」を文化人類学は大切にしてきた。
    文化人類学とはそういうものだということを知らなかったわたしには、とても新鮮で興味深い内容だった。これでおしまいとするには勿体ない学問だなぁと思う。そんなわたしには巻末の「人類学をもっと知るためのブックガイド」は嬉しい。紹介されているものは少しずつでも読んでいくつもりだ。

  • NHK出版の人気シリーズ「学びのきほん」から、『はみだしの人類学 ともに生きる方法』、『人生が面白くなる 学びのわざ』の最新刊2冊同時刊行|株式会社NHK出版のプレスリリース(2020年3月25日)
    https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000182.000018219.html

    NHK出版 学びのきほん はみだしの人類学 ともに生きる方法 | NHK出版
    https://www.nhk-book.co.jp/detail/000064072542020.html

  • 以前より読みたいと思っていた本。
    薄すぎて驚いたけれど、手ごろな価格で人類学の基本を知るという点においてとても良かった。

    誰にでもわかるような簡単な言葉で記述されているため、イメージがしやすい。
    以前読んだ本にも書いてあったけれど、人類学は「わたし」を介して学ぶという学問という点で、誰が研究しても違った視点になるのが本当に面白い。

    以下自分用メモなど

    P. 39
    みんな関心はばらばらだし、話を聞く相手も違うので、持ち帰ってくる情報が違う。まったく別のとらえ方でその集落を描いていく。調査者が違えば、描かれる像が違う。文化人類学者は、他のだれでもない「わたし」がやる意味のある学問なんだと感じました。

    P. 56
    そこで重要なのは、自分が開かれているかどうかです。さきほど「平凡なことと奇妙なことを差別してはいけない」というマリノフスキの言葉を紹介しましたが、調査者が「調査すべきこと」や「調査に無関係なこと」といった枠組みにとらわれていたら、目の前で起きている出来事が自分の研究テーマと関係していることには気づけません。チャンスをとらえそこねてしまうのです。(略)
    イギリスの人類学者ティム・インゴルドは、その著書『メイキング』で、人類学の参与観察は対象についての研究ではなく、相手とともに考えるプロセスなのだとはっきり書いています。そこで互いに変容することのほうが、客観的なデータを収集するより大切なのだ、と。でも、その「変容」が起きるには、他者を調査対象として固定するような見方ではなく、相手から学ぼうとする姿勢が必要になる。

    P.74
    小説家の平野啓一郎は、複数の自分の姿をたんなる「キャラ」や「仮面」のようなものと考えてはだめなんだと言います。たったひとつの「ほんとうの自分」や首尾一貫したぶれない「本来の自己」なんてない。一人のなかに複数の「分人」が存在しているのだと、本書の内容と共通じる議論を展開しています。
    英語の「個人 individual」は、「分割できる dividual」に否定の接頭辞「in」がついている語で、それ以上分割不可能な存在という意味が込められています。この西洋近代的な個人とは異なる人格のあり方を示してきた文化人類学にとっても、じつは「分人 dividual」はとても大切な概念でした。

    P. 85-
    ハーヴィ・サックス:成員カテゴリー集合を提唱 (エスノメソドロジー領域)
    ex) カテゴリー『家族』:母親、父親、息子、娘… 『性別』:男性、女性…
    女が男を叩いた vs. 母親が息子を叩いた
    私たちが会話のなかで使う言葉の意味を理解したり、ある情景を人に説明したりするときには、暗黙の了解でふさわしいものを選びとっているのです。
    成員カテゴリー化装置:いくつかの原則
    ⇒原則1. 一貫性規則:×これが父であれが母で、こちらは女です

  • 人間は社会的動物である。親と子、彼氏と彼女、上司と部下のような名前の付いた「つながり」を以てして、人と関係して生きている。
     例に挙げたような関係性のうち「親」「子」といった名前に規定付けられた「輪郭」が時代を経て明確になったことから、近代の個人主義が生まれた。ここで言われている「つながり」とは、そもそも個が独立したという前提があり、恐らく「人類補完計画」を実行した末の状態はつながっているとは言えない。細胞に細胞膜という輪郭があるからこそ他と有機的につながることが出来る。

  • 娘が いじめ で悩む時が来たら、この本を渡す。
    薄いし、誰でも読みやすい文章。かと言ってさらさら読めるわけではなく、立ち止まって考えないと読めない。良い本。

    ①自己と他者との差異を強調して自分の輪郭を強化するつながり、②自己と他者との境界を越えて交わることで輪郭が溶け出すようなつながり、 2つのつながりがある。
    ①は、嫌韓や左翼右翼のバッシングに通ずるように思う。嫌いな他者の存在を否定しているようでいて、その嫌いな存在がいることで自分の存在の輪郭を確かめている。
    ②は、海外に行く喜びを語る時、人はここを喜びとして語ることが多いように思う。「アメリカ人」と「日本人」という単純なつながりで対面していたのが、だんだんとそれ以外のカテゴリ「アメリカのお母さん」「友人」「きょうだい」など、出会いのカテゴリが増え、目の前の相手が遠いアメリカに生きる一般的な「アメリカ人」ではなく、固有の「jennifer」「paul」「avigail」という誰かになっていく。
    これが、「わたし」が「日本人」という抽象的なカテゴリから抜け出ていくことも意味する。(筆者はこれを「はみだし」「溶ける」「開かれる」と呼ぶ)

    複数のカテゴリを生きる というトピックも非常に考えさせられるものがあった。
    本当のわたし なんてものはない。母であり、妻であり、講師であり、イラストレーターであり、営業であり、娘であり、姉であり…これらすべてのカテゴリが自分である。(平野啓一郎はこれを「分人」と呼ぶ)
    他者によって、わたしが引き出される。自分の内側を探るのではなく、他者とのつながりを原点にして「わたし」をとらえる方が、生きやすいのではないか。
    今、育児期間に、わたしは新しい母という役割を、娘に引き出してもらっているという捉え方もできる。

  • これは良書。
    文化人類学といえばつい未開の民族フィールドワークと安易に思ってしまいがちだが、それは百年古い。
    未開文化に特権的に浪漫を感じたり、アゲたりサゲたりすること自体が欧米中心主義の権力に支配されている。
    もうゴーギャンを手放しで礼賛できないわけだ。
    研究する分析する蒐集するではなく、「わたし」がやわらかくなる、ための手段なのだ。
    自分の檻に気づき、プラスティックになるために。

    図書案内に21世紀のものが多く、比較的新しいのもありがたい。
    そんな中唯一現れる古典が、レヴィ=ストロース「野生の思考」だということも、またよい。

  • 【一言紹介】
    2時間で読める人類学の入門書で、普段考えない問いを与えてくれる。

    ※自分の言葉でこの本の感想を表現するのはとても難しい。その中で心に残ったものを整理してみる。

    【心に残ったもの】
    (1)異文化を理解する試み
    異なる文化を理解しよう・異文化に寛容になろうという態度には大きな問題が潜んでいる。最初から自分化と異文化は揺るがない隔たりがあることを前提にしてしまっている。異文化を理解しようとする試みの中で、境界を越え共通する点を見いだし、境界をはみだして自分を省みる視点が大切。複数の境界を引く視点をもつことで違いは絶対的なものではなくなる。自分の実体験で置き換えてみると、日本と英国の人を比較するとそこに大きな隔たりがあるような感じがしますが、男性と女性という視点で考えると、同じ男性として女性に対するジェントルマン精神は共通するものはあると感じたことがあります(強弱は別にして笑)そうした視点を変えることの大切さを気づかせてくれました。文化人類学は、異文化を研究をする歴史の中、自己批判を通して視点を変えて自己を省みることで本質的なものの見方を獲得してきた事がとても印象深く残りました。
    (2)本当の『わたし』
    家族といる『わたし』友人といる『わたし』会社にいるときの『わたし』と一人でいるときの『わたし』は違うと思うことがよくあります。その時、一人になったときの『わたし』が本当のわたしで、他は仮面を被っているような感覚をもつことがあります。人類学が教えてくれるのは、どの『わたし』も同じ『わたし』であることを教えてくれます。自分の中をどれだけ掘り下げても、個性とか自分らしさに到達できない。他者との繋がりにおいて『わたし』の輪郭がつくられる。複数の『わたし』は、他者とのつながりによって引き出された『わたし』である。誰かと出会うことで『わたし』が引き出される。その視点にはっとさせられました。

    【きっかけ】
    ビブリオバトルで出会った一冊。紹介してくれたのは多国籍の社員が勤める楽天人事の女性の方で、その方の問い『楽天に勤めてるからこういう本に興味があるんだろうって境界を引きませんでしたか?』の言葉にはっとさせられた。人は他人と自分を比較し、無意識の内に境界をつくって相手との違いに目を向ける癖がある。相手と議論が対立した時、経験や境遇の違いで境界を引いてしまい、この人とは分かち合えないと思うってしまう。その時、相手と共通するものが見えなくなってしまっている。同じものをみるための思考を知りたくてこの本を読んでみようと思いました。


  • 『「宗教」や「国境」という線引きだけで私たちは「分断」されているわけではない。むしろ、その境界がひとつしかないとする前提こそが、深い「分断」があるかのようなイメージをつくりだしている。』

    良かった。
    人類学、とはどういうものか、言葉のイメージだけで間違った思い込みをしていたのだけど、血の通った言葉でわかりやすく説明してくれている。
    それだけでなく、人類学の専門家でない多くの人たちの現在の日常に繋がっていくように述べられているのが更に良い。
    家庭と学校や職場以外のサード(できればもっと多く)プレイスを持つのは良いと思っていて、それは拠り所にできる場所を増やせるからだけでなく、異なる「自分」を増やせるからでもあると思っているのだけど、その辺りのことも補強できて嬉しい。
    もっと知りたいなー!

  • 今、今、今まさに求めていた答えが載っていた感動で泣きそうになった
    このシリーズいいのかなー。簡潔!

  • 「この年齢で〇〇なんて恥ずかしい、変」「将来のために今我慢する」「目標達成のために最も効率よく戦略を立てる」「時間がかかる余計なものは無駄」「日本人はこうあるべき」「良い人生とはこうあるべき」

    というような、常識を押し付けられるような息苦しさ(もしかしたら今まで成長してきた過程で私の中に内面化されてしまった価値観)が自分の中にあることを、改めて感じた。

    細菌が絶え間なく他者と遺伝子交換して変化し続けるように、自分と異なる存在と関わり、交わり、自分の身をその中に置いたりしてみることで、行き当たりばったりに自分が変化する喜びを感じたい。

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著者プロフィール

松村 圭一郎(まつむら・けいいちろう):1975年熊本生まれ。岡山大学文学部准教授。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。専門は文化人類学。所有と分配、海外出稼ぎ、市場と国家の関係などについて研究。著書に『くらしのアナキズム』『小さき者たちの』『うしろめたさの人類学』(第72 回毎日出版文化賞特別賞、いずれもミシマ社)、『旋回する人類学』(講談社)、『これからの大学』(春秋社)、『ブックガイドシリーズ 基本の30冊 文化人類学』(人文書院)、『はみだしの人類学』(NHK出版)など。共編著に『文化人類学との人類学』(黒鳥社)がある。


「2023年 『所有と分配の人類学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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