想像の世界では何でもできるけれど、ひとりでアレコレ夢想したところで面白くもなんともない。むしろ、無制限に何でもできてしまうからこそ壮絶に虚しいものである。この物語の主旨はこれにつきる。荒唐無稽な著者紹介からはじまって、物語の最後の最後までこうしたニヒリズムに満ちていた。
艦長がヒロインに自慢の艦内ツアーをする。そこは未来的で夢のような世界だ。ヒロインはいたく感心する。読者も、未来の世界はこんなだろうかとワクワクしてくる。なかなか素敵な滑り出しではないか。
ところが話はそのまま進まない。似たような感じで狂人イノウィルが自分の世界のツアーをはじめると何かが違ってくる。派手なだけで意味のない光景がだらだら続いてゆく。もちろん、キャラクターのみならず読者もウンザリしてくる。
それもそのはず、これらは「本物のようだけど単なる舞台装置」なのだ。果てしなく大きなだけの張りぼて。この裏舞台をみせることで、あんなにワクワクしたエンタープライズ号の艦内ツアーも、イノウィルの世界と同じで空想の羅列であること、つまりは無にすぎないことが暗示されてしまうのである。こんなの読者に対するひどい裏切りでしかない。メロスは激怒せざるおえない。
しかも、各キャラクターや宇宙人がお決まりの行動パターンとセリフを繰り返して、まるでポンコツロボットのよう。これがまた虚無感をむしょうに引き立てる。
例えばこんな具合。クライマックスでは艦長が肉弾戦を繰り広げる。副長と船医は皮肉合戦をする。クリンゴン人は信用できない卑劣漢。ロムラン人どもは疑りぶかくて厳格。どいつもこいつも見事なくらいそれ以上でもそれ以下でもないのである。ファンフィクションだってもっと血肉のついた描写をやるもんだ。要するにスタートレックに対する敬意がひとかけらも感じられないのだ。
大団円にキリスト教式の世界創造をやるのも、このSFドラマどころか、この世そのものが壮大な空虚であるかのような皮肉を感じさせられひたすら虚しい。意味と意義に満ちた神秘の世界が、一転して何の意味もない壮大かつ永遠の空虚となる。これこそがまさしく文字通りの「狂気の世界への旅」ではなかろうか。
もちろんSFは空想の産物だけど、それをわざわざ言う必要があるか?確かにひと味違った作品ではある。こうした皮肉を楽しむ心の余裕がある人もいるのかもしれない。でも自分なら夢は夢のまま楽しみたいし、そもそもスタートレックでこれをやるなよと思う。読んでいて疲れる本だった。
なぜわざわざこの作品を選んで翻訳したのかが分からない。ナンセンスなドタバタコメディと言えないこともないが、正直なところストーリーだってそれほど面白いものではない。なのになぜ?他にも訳すべきオリジナル小説が腐るほどあるだろうに。イノウィルの鼻くそみたいな謎かけよりも、そこが1番のミステリーだった。