ハーモニー (ハヤカワ文庫 JA イ 7-2)

著者 :
  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150310196

感想・レビュー・書評

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  • 細かい部分は読み飛ばしたから完全に理解したとは言えないんだけど、ストーリーの大筋はとても興味深くて面白かった。私はこういう、人間の心理とか、生きることの意味とか難しさとか、考えても答えが出ないような、正解がないような、哲学者たちが考えていたような問いについて思いを巡らすのが好き。ある一つの考え方があって、それに対して反対する人も賛成する人もいて、また、ある一点までは同じ道だったのに途中から分岐することもある。ずうっと昔から変わらないんだろうなと思う。意識が奪われたら生きる意味はないのでは、って、反射的に思ってしまうけど、「意識をもって」「苦しみや喜びを感じながら」生きることにだって意味があるのかと問われたら、どう答えて良いかわからない。その時々で生きるために必要な機能をインストールしながら生存してきた。不要なものはアンインストールされるべきなのかもしれない。進化って不思議で面白い。

  • 虐殺をテーマにした前作に対し、今作では、その反動として生命至上主義に至った社会が描かれる。相反するようにも思われる両作品だが、共通して「脳」や「意識」が中心に据えられているところが奥深い。

    健康がテクノロジーにより管理され、人々が病などに苦しむことのない世界は、一見すると理想的にも思われる。しかし一方では、オーウェルの描く監視社会を彷彿とさせるものがあり、ディストピアともユートピアともつかない混沌が繰り広げられていく。最後の展開まで目が離せなかった。

    SF小説ではあるが、現代のテクノロジーの存在が、この作品の持つ「フィクションらしさ」を薄れさせていると感じた。WatchMeはAppleWatchを連想させるし(”Watch"がかたや時計、かたや監視を意味するところも妙で面白い)、Neuralinkなどの技術が完成すれば、テクノロジーが脳の内部に入り込むことも可能となるだろう。科学技術における急速な進歩を鑑みると、必ずしもこの作品を夢物語として片付けられないのではないだろうか。

    テクノロジーが私たちの利便性を高めるものなのか、私たちの意識を操作する存在なのか。医学や公衆衛生における進歩は人々の幸福を高めるのか、それとも人々の自由を奪ってしまうのか。調和を目指すことは善なのか悪なのか。そういった点を俎上に乗せてくれる、深い意味を持つ小説だと思う。「虐殺器官」とともに、個人的にとても印象的な作品だった。

  • 『すばらしき新世界』と同様の世界観をベースに、安心、安全で、完璧な絶望的世界を舞台としている。生命主義によって身体という個をシステムに同化させ、身体についての個を放棄した世界の中で、最後に人間に残された個である意識についての探究をしている。意識は生物としての自然選択の結果であるという、これまでの人類の有史以来の意識への探究に終止符を打つかのような科学的事実に対し、意識のない世界の効率性と、それに対して嫌悪感を感じざるおえない生物としての人間という感覚を読者に突きつける。また、etmlという空想のマークアップランゲージを用いてテキストが構成されており、それがエピローグでメタ的な構造に繋がっている事で読者と小説内世界との境界さえも曖昧にしていく。SF界に「伊藤計劃以降」という言葉が存在するのがうなずけるほどに完成度の高い、ユートピア的ディストピア小説。

  • 途中から、ストーリーが急に方向転換したように感じたけど、すごくすきな物語。
    これが1番のすきな台詞。

    このからだも、このおっぱいも、このおしりも、この子宮も、わたしのもの。

  • 「虐殺器官」で衝撃を受け続けて読んだ長編二作目。前作と毛色は違うが間違いなく傑作。
    なんだろう、この作品全体を覆うような違和感。生活感のない部屋の居心地の悪さに似ている。
    著者の創造する世界観と言葉や意識を追及する内容が素晴らしい。綿密なストーリー、哲学的なセリフ、現代社会へのメッセージ性。どれをとっても一級品。これ程の才能の持主が早世したのは悔やまれる。純粋にこの人の小説をもっと読んでみたかったという思いだ。

  • 伊藤計劃の傑作SFファンタジー。
    世界を滅ぼしかけた核戦争〈大災禍〉後に築かれた完全福祉社会に馴染めぬまま大人になった、嘗ての少女の視点から語られる、ユートピアにしてディストピアの物語。

    この手抜きし過ぎ感のある表紙は一体どうしちゃったわけ??そして作中でちょこちょこ挿入されてくるHTMLタグは一体何??と激しく疑問に思いつつ、どんどん読み進めていって最後のページに辿り着いた瞬間には「もうこの作者天才だろ!」と心の中で叫ばずにはいられなかった。

    確かに安全安心の理想郷かもしれないけれど、個々人の自由や可能性まで駆逐されてしまった社会は、人間が生きる意味を最初から失ってしまっているのも同じということなんだろう。それなら感情を手放してしまっても何の問題もないし、人類は幸福になれるのかもしれないけれど、想像するだに恐ろしい近未来。。。
    作者はほんとすごい、すごすぎる。34才という若さで早世されたことが悔やまれる。

  • 虐殺器官の興奮冷めやらぬまま購入。本全体に仕掛けられているある仕組みにゾクゾク。劇場版とはまた違う気味の悪い静けさが味わえるので、ぜひ書籍の方もお勧めしたい。(htmlの知識がないもんだから読了後一心不乱にググったけど)

    きっと人類はいずれコレに似たような世界で生きていくようになるんだと中二的にぼんやり想像を巡らすんだけど、例えばその世界が実現したとして、じゃあ何を以て人間というのか?機械との私の違いって?そうなると意識ってやっぱ必要ないのかもね、フンフン。自分とその他、ココだと断言できる境界線をしっかり持っていられるもんなのか。満足感を持って生きることができるのか。考え出すともう止まらなくなるんですわ。そして虐殺器官の劇場版がマジで待てまへんという話なんですわ。

  • 劇場版を観たあと無性に誰かに「あのラストどう思う?」って尋ねたくなりました。
    そんな誰かがいなかったので、帰ってからネットのレビューを見たわけですが…。
    賛否はともかく、「原作と違う。」というのは共通認識のようでやや驚きました(因みに、少数ながらハッピーエンドだと書いている人がいたことにはもっと驚きました。ハーモニープログラムの起動をユートピアの実現だと考えるんでしょうか?)。
    セリフ、心情を抜きにして、何が起こったのかだけを見れば、劇場版は原作をほぼ忠実になぞっています。問題は、主人公が引き金を引いた動機の解釈。そこの部分で原作は「復讐」に、劇場版は「愛」に焦点を当てている。しかし、それは焦点のあてかたの問題で、いずれも両者は併存できるのではないかと思います。
    むしろ、原作から劇場版で「カット」されたシーンとのつながりで言えば、劇場版の焦点の当て方の方がすんなり入ってくるのではないかとすら思えます。劇場版では当該シーンをカットはしているけど、物語の中から排除はしていないんじゃないか。原作の読み方として、劇場版は十分ありだと思います。
    その他の細部も含め誰かに「どう思う?」って聞きたくなる作品です。原作も、劇場版も。

  •  本作の冒頭には奇妙な記号が置かれている。「〈?Emotion-in-Text Markup Language:version=1.2:encoding=EMO-590378?〉」などだ。これらは作中の随所に埋め込まれている。これが何であるかは作中で説明されていて、それは「etml」という架空のマークアップ言語の記述なのである。etml はメッセージ内容に付加されるメタ情報、主に「感情」の伝達を実現するためにあるとされる。
    マークアップ言語は、通常、メッセージの受信者の視野の外にある。言語とは言うものの、その相手は、大抵はコンピュータなどのメディア・デバイスだ。
    それで、「ハーモニー」を読むことは、架空のデバイスの位置に身を置くことになる。あるいは、置かされていたことに気がつく。これは、物語の中の物語、入れ子になった物語の効果をもたらしている。[物語a]が一度起り、それにメタ情報が付加されるという事態が起った[物語a+]が最初の[物語a]を語っているのである。しかも、末尾に仕掛けのスイッチが置かれているため、読者は語られた物語にもう一度目を向けざるを得なくなる。
     さて、その物語とは、霧慧トァンの物語である。
    霧慧トァンを取り巻く世界は超高度医療福祉社会だ。
    その昔、世界には「大災禍(ザ・メイルストロム)」があった。それは、アメリカを中心として拡散した大暴動と、それにより核兵器が使用された、戦争と虐殺の時代であった。世界は混乱し、荒廃した。結果、放射線の影響で癌が増加した。また、突然変異と思しき未知のウィルスによる疫病が蔓延し、人類の生存がとてつもなく脅かされた。人類社会は、その構成員を限られた資源(リソース)として意識し、その健康を守ることを最大の責務とみなすようになった。
    医療分子(メディモル)というナノ・テクノロジーの発明がその人類の選択を支えた。
    医療分子は体内に常駐し、サーバーに接続されて、人体を常時監視する(WatchMe)。疾病の兆候、異常を逸早く察知し、可塑的製薬分子(メディベース)によって予防、修復、治癒を行なう。
    このインフラが、超高度医療福祉社会を実現させる。
    医療システムを利用することに合意した共同体=医療合意共同体(メディカル・コンセンサス)、生府(ヴァイガメント)が登場したのだ。そのため従来の政府は縮退した。
    この医療福祉社会は、その構成員を包みこみ、病気にならないように、怪我をしないように、傷つかないように見守る、医療と思いやりと慈しみの社会となった。
    この社会の依って立つ思想は、生命主義、生命至上主義と呼ばれる。生命主義では、人間の尊厳の条件を次の三点と見なす。まず、「構成員の健康の保全を統治機構にとつて最大の責務と見なす政治的主張」。第二に、ネットワークされた健康監視システムへ構成員を組み込み、安価な薬剤と医療による医療消費システムを実現すること。第三に、「将来予想される生活習慣病を未然に防ぐ栄養摂取及び生活パターンに関する助言の提供」である。
    ピンク色をした優しい社会。緻密な論理で透視され、あり得る未来として描き出された社会は、なんと息苦しいのだろう。それは慈母のファシズムと形容される。
     そこにガラスのような少女たちが登場する。御冷ミャハ、霧慧トァン、零下堂キアンの三人だ。
    美しく孤立するクラス随一の変わり者、「ソプラノの喉を持つ男の子のような声」をして、おせっかいな優しい社会を憎む、思春期のイデオローグ、御冷ミャハの磁力に引きつけられるトァンとキアン。ミャハは、境界を乗り越え、社会の束縛を断ち切り、自分を社会から取り戻し、自分自身で選択する自由を回復しようとする。溺れかけている自分を感じていたトァンは、ミャハをアイコンと仰ぐ。そして三人は、大人たちを出し抜き、餓死することによって死ぬ自由を取り戻そうと謀った。しかしミャハ以外の二人は失敗してしまう。
     それから十三年後、霧慧トァンは「螺旋監察官」となっている。それは、「世界原子力機構(IAEA)の遺伝子版」であり、生府なり政府なりが「健康的で人間的な」生活を保障しているかどうか査察する仕事だ。
    なんとか社会と折り合いをつけて成人したトァンを死んだはずのミャハの影が訪れる。
    ここから物語は、不気味な緊迫感に包まれて行く。それは、高度医療福祉社会のその先へと、作者が挑んだ根源的な思弁の緊迫感なのである。
     作者は、意識とは何かと問う。しかし、これが論争のための書ではないことは考慮しておくべきだろう。作者の思弁を追体験するようにしたい。
    さて意識は、脳における報酬系を制御する活動と考えることができる。報酬系とは人の「選択を繰り返し行いたくなる動機づけを与える領域」で、それによって動機づけられる「欲求」のエージェントの数々が、競合し、葛藤し、調整して選択されようとするプロセスそのものが意志なのだ。それは喧騒の会議とイメージできる。そして、選択された「欲求」のエージェントの集合が、それと感覚されるものを形作るのである。つまり知覚される現実は、選択されたエージェントによって構成される。即ちそれが意識なのだ。
    「欲求」のエージェントの競合と選択のプロセスが意識なら、動物にも意識を認めることができる。そこから意識は、進化の途上で遺伝的にプログラミングされた形質だと見なせる。
    進化は場当たり的な適応の集積にすぎない。意識は、おのれが最高位にあり、すべてだと思いたがり、予測し、統御する自分の機能があらゆるものに適用可能だと考えたがるが、単に、進化の途上で獲得された適応の継ぎ接ぎの一部でしかないと考えられる。人間を取り巻く環境が変れば、時代遅れの機能となることもあるだろう。
    進化の継ぎ接ぎの結果であるがために、報酬系は目の前の価値を最も高く評価する非線形の判断を行なってしまう。その場しのぎの生き残り戦略の残滓だ。これがフィードバックを伴う再帰的構造を取るため、報酬系の判断はカオスを生み出してしまう。人間の意志の、予測し難い、非合理性はここに由来する。それは人間の脳という自然なのである。暴虐、混乱、荒廃の根は人間の脳そのものにあるのかもしれない。
    人間が積み上げてきた営為は、自然の制御、予測不能なものを抑えこもうとする意志の結果と見なせる。それなら、人間は脳という自然をも制御しようとするだろう。身体は治療するのに、脳を治療してはいけない法はないのだから。
    脳の制御は、報酬系の価値判断の線形化になるだろう。それは、選択に葛藤がなく、行動が自明になる状態だろう。選択の葛藤の消失とは、言い換えれば、自律の価値観の消去である。それでどうやって行動し、生活できるのか。ネットワークに繋がったシステムに代替させる゠外注することでそれが可能になる。
     その結果、何が、どんな世界がやって来るか。
    本作「ハーモニー」で示されるその世界は「永遠と人々が思っているものに、不意打ちを与え」る、強烈で、皮肉な衝撃をもたらし、読む者を途方に暮れさせる。
    そこに三人の少女の、運命の軌跡が刻みこまれる。少女の、過剰で脆く、哀切な自意識がアラベスクを描く。
    この作品は、透き通った傷つきやすい皮膚をしているようだ。それに、物として触知できると思わせるほどの喪失感を湛えている。
     物語の最後に、我々は「etml」を気づかされる。etmlの記述が終る時の意味を感じさせられることになる。それは、意識と物語を読むということの不思議な関係へ目を向けさせる。「フィクションには、本には、言葉には、人を殺すことのできる力が宿っているんだよ、すごいと思わない」という御冷ミャハの言葉が轟くだろう。作者が、物語を読むことに救済を見出したとは思わないが、その力を信じたことは確かだろう。
     本作では、ゲーテ、坂口安吾、フーコーなどへの言及が登場する。「全書籍図書館」の名前は「ボルヘス」だ。谷川流の「涼宮ハルヒの憂鬱」のパロディ、「ただの人間には興味がないの」は分ったが、それ以外にもあるのかどうかは分らなかった。

  • こんなに「HTML齧っておいて良かった……!」と思ったことはない。
    最初はあまりにも静謐で息が詰まりそうだったが、
    読み進むにつれミステリの色が出て来てどんどん読めた。
    読了後、ブックカバーをはずして、表紙を見て納得した。

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著者プロフィール

1974年東京都生れ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』でデビュー。『ハーモニー』発表直後の09年、34歳の若さで死去。没後、同作で日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。

「2014年 『屍者の帝国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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