- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152082909
感想・レビュー・書評
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互いに愛し合っているのに結婚してすぐに別居してしまった妻の両親。小さい頃に両親を亡くし、親というものに飢餓感を覚えていたジェレミーは、両親の不仲に苦しんできた妻の不興を買いながらも、フランスとイギリスに別れて暮らす二人を事あるごとに訪ね、話を聞かずにはいられなかった。特に新婚旅行の締めくくりにと決行したフランスでの徒歩旅行の最中、義母のジューンが出遭った二匹の黒い犬のことを。そもそも二人がちがった道を行くようになったのはそれが原因だったからだ。
イアン・マキューアンの長編第五作目である。小さな教科書会社を経営するジェレミーは、愛する妻と子どもに囲まれ、幸せな毎日を送っている。彼はウィルトシャーにある養護施設で暮らす妻の母の所に通っては、話を記録している。回想録を書くつもりだ。フランスの農家に独居し、瞑想や観想に時を過ごしてきたジューンは今までに三冊本を書いている。あの黒い犬に出遭った日、突然の回心が起き、それまで夫婦で入党していた共産党を出て、神秘的な体験を追求する道に入ったのだ。
夫のバーナードはケンブリッジを出て外務省関係の仕事をしていた。二人はその職場で出会ってすぐに結婚した。第二次世界大戦が終わったばかりの頃で、イタリアで赤十字のボランティア活動をしたりしながらの新婚旅行だった。戦後の新しい社会を作るため、意欲に燃えていたのだ。合理論者の夫には、妻が突然隠遁生活に入り、神秘体験に固執するようになったことが理解できない。BBCの討論番組の常連で、労働党の議員でもあったバーナードは、妻と共にフランスで暮らすことはできなかった。
ジェレミーが妻の両親の間を行き来し、互いの消息を伝える役を受け持つには訳があった。子どもの頃に両親に死なれた彼は、オックスフォード時代、休暇の間も寄宿舎にいるしかなかった。そんな時、同級生の留守にその家を訪ねては、友達の両親の話し相手をして時間をつぶした。自分の両親にはない社会的な地位、アッパー・ミドルの有する文学や芸術、学問に対する文化資本といったものに、仮令一時的であるにせよ浸れるのが心地よかったのだ。義理のとはいえ、ジューンとバーナードは、ジェレミーにとって初めてできた両親だった。
養護施設で話を聞いた後、ジューンは亡くなる。何年かして、バーナードから電話がかかる。ベルリンの壁が壊れた日だ。チケットが取れたから一緒に見に行かないかというのだ。壁の崩壊に熱狂する民衆に混じって歩いていた二人は赤旗を振る若者がネオナチ風の集団に襲われそうになる場面に出くわす。間に入ったバーナードを独りが蹴る。囲まれた二人を助けたのは若い女性の二人組だった。直接的な「悪」に対し、話し合いの無力さを表すエピソードである。
四部構成で、第一部「ウィルトシャー」がジューン、第二部「ベルリン」がバーナードに充てられている。第三部「一九八九年」は妻との出会い、そして両親の思い出の地であるサン・モーリス・ド・ナヴァスルで自らが遭遇した事件について。最後の第四部「一九四六年」が、ジューンが黒い犬に出遭い、二人の道が完全に分かれてしまう結果に至る経緯を物語仕立てで綴る解決篇になっている。
ベルリンの壁や強制収容所、ゲシュタポなどが重要な役を担っている。特に、第四部「一九四六年サン・モーリス・ド・ナヴァスル」に登場する黒い犬は、戦争終了目前、ゲシュタポが村に現れたとき連れていた犬が、敗戦時に置き去りにされたのではないか、と考えられている。この犬とジューンとの格闘がこの小説のクライマックスになっている。黒い犬に「悪」を、それと闘う自分を守って、自分の背後にオーラのように出現した物の自覚が、ジューンに覚醒をもたらす。
一方、その場に居合わせなかったバーナードには、それはジューンがそう思いたがっただけで、ゲシュタポの話も彼にとっては噂に過ぎない。バーナードにとって世界をよくするのは、科学であり、議論であり、政治である。ジューンにとっては、自分の中に正しい心を持ち続けることや美しいものを愛でる時間を持つことが、もしかしたら世界をより良いものに変えていく方法なのだ。
二元論的な対立は解決できるようなものではない。ジューンの暮らしていた農家に一人こもって執筆活動を続けるジェレミーには、ジューンとバーナードの幽霊が交互に現れては持説を披露する。死んだ後も互いに譲らない二人のやりとりは物語の終わりに愉快な気分を投げる。ジェレミーは、黒い犬のことを考える。黒い犬と直接対峙したジューンは、悪の存在とそれ対立するものの存在をはっきり知ってしまった。現実に存在する悪と闘うにはどうすればいいのか?
それは、一人一人が自分の中に「善いもの」「正しいもの」を見出し、引き出し、自分の力で闘うしかない。しかし、そのためにはジューンのようにすべてをなげうってかかる必要がある。簡単なものではないのだ。小説はこう結ばれている。「いつかまた犬たちは戻ってきて、私たちに付きまとうだろう。ヨーロッパのどこかの場所で、いつとも知れぬ時代に」。そうだろうか。黒い犬は世界中のどこにでも現れるにちがいない。私には、その色がだんだん黒さを増し、我が身に迫っているように思える。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
かつては共産主義者の同志として、そしてなによりも深い愛情で結びついていた夫婦バーナードとジューン。なぜ、彼らは突然破局を迎えたのか?私は義理の両親にあたる二人の人生に強い興味を抱き、回想録にまとめるため、独自に真相を探りはじめた。二人から話を聞くうち、やがて彼らが袂を分かった背後に“黒い犬”の存在があったことが判明する。犬の姿を借りた“悪”に出会い、すべてが変わったと主張するジューン。悪の象徴など、ジューンの妄想にすぎない、と一笑に付すバーナード。“黒い犬”は実際に存在したのか?それともジューンが生みだした想像の産物なのか?私は彼らの人生を影のように覆う“黒い犬”の真実を追究するが…。ヨーロッパ戦後思想史を背景に、鬼才が夫婦の魂と愛の軌跡をサスペンスフルに描く。イギリスでベストセラーを記録した、ブッカー賞作家による注目の長篇。
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どうやら黒い犬というメタファーの意味を理解していないことには中々難しい作品ではあるらしいということだけは分かりました。
その上での負け犬的感想だが、材料が小説に昇華仕切れていない感じがする。結局夫婦の不和とも必然とも言える相違にどう絡ませたかったのか?終結部が冒頭にリンクしてないと思いますな。
ただ色々読者に考えることを強いる作品であることは事実、読んで損はないのでは。 -
久しぶりのイアン・・・だったのに
私にはど~~もイマイチでした -
時代背景と政治的背景がピンとこないので
そこに重きを置かれると、染み渡ってくる感じはさすがに無い
神秘主義 VS 科学主義か
確かに、何か非日常な一瞬を自分が迎えると
それを何かの象徴とか転機とかに捉えがちかもしれん
理科の授業で育てた朝顔が、花が咲いてみたら自分だけ
真っ白の花だったとか(クラスの他のみんなは赤や青)
確率の問題です、たまたまですといわれたらそりゃそうなんだよね
結果に至るまでの色々は偶然で
でも結果から見れば必然で
なんか、そんなことを描いたシーンが
『ベンジャミンバトン』にあった気がする
ううん、纏まらない
だって理解してないもの -
神秘的な愛と理論的な愛。
この双方の間を歴史的な背景と供に綴る回想録。
読みやすい文章でありながら話はとても深く、読み手の生き方や今までの経験によってこの本の価値が大幅に変わると思います。
主人公であるジェレミーは不遇な少年時代を過ごす。
そして大人になり良き妻と子供にも恵まれ幸せな家庭を持つ。
この話の回想録は妻の両親であるバーナードとジューンである。
幼い頃から両親がいないジェレミーは義両親であるこの2人を特別な意味で接していた。
しかしこの夫婦は仲が良くなかった。
それは何故か?
それがこの話の主な軸となる大部分である。
冒頭であった神秘的と理論的。
幼少期の家族への憧れと一方的な願い…入り交じる感情と落胆。
主人公は何故そこまでしてこの真実を突き止めようとするのか。
様々な感情と人物たちの心の動き、そして愛が冷める瞬間の描写まで考え深い作品だと感じる。 -
どうも、翻訳ものは合う合わないが強く影響するようで…。
時間がもったいないので今回は途中放棄。また機会があったら読むことにする。