- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152093844
作品紹介・あらすじ
現代世界における貧富の格差はいつ生じたのか? 古代ローマから明治維新、現代中国に至る歴史を遡り、国々の興亡を左右する「制度」を解き明かす。『銃・病原菌・鉄』に比肩する文明論の新古典
感想・レビュー・書評
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MITとハーバードの教授である経済学者・政治学者が、「国家間の貧富の格差は、そもそもなぜ生じたのか?」という問いに答えた大著。
その問いに対する答えとして、これまで一般的だったのは「地理説」「文化説」「無知説」の3つだったという。地理的条件、宗教・慣習などの文化、統治者の無知に、それぞれ原因を求めるものだ。
著者2人はそれらの有力説をしりぞけ、政治・経済制度こそが国家の繁栄と衰退を分かつ決定要因だとする「制度説」を唱えている。本書は、その「制度説」に沿って歴史をとらえ直していくものなのだ。
ジャレド・ダイアモンドの代表作『銃・病原菌・鉄』は、「地理説」の1バージョンであった。
本書は第2章「役に立たない理論」でダイアモンドの説を名指しで批判しているのだが、にもかかわらずダイアモンドは本書に讃辞を寄せている(度量が大きいね)。
私には専門的な当否はわからないが、「地理説」「制度説」のどちらが正しいというより、国によってはどちらもあてはまるのではないか。そもそも、国家の繁栄と衰退にはさまざまな要因が複雑にからみ合っているはずで、一つの理論ですべて説明しようというほうが無理な話なのでは?
それはともかく、本書はバツグンの面白さであった。お堅いテーマにもかかわらず読み物として質が高く、興味深いエピソードの連打で上下巻700ページを一気に読ませるのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
世界に裕福な国と貧しい国が生まれた理由を歴史的に解き明かす。緯度や気候などの地理的条件、宗教や民族ごとの価値観などの文化的側面は、世界的な不平等の説明にはならず、経済と政治の制度が重要であると説く。
ヨーロッパの植民地としての歴史を持つ南北アメリカ大陸に相違が生まれた理由がおもしろい。スペインが支配するアメリカ大陸の植民地では、金銀の略奪段階が過ぎると、労働力としての先住民を分け与える制度であるエンコミエンダなどの制度を導入し、土地を奪い、労働を強制し、低い賃金と重税、高い商品を売りつけた。コンキスタドールとその子孫は大金持ちになり、先住民の生活水準は最低となる不平等な社会となった。スペインは、1808年にナポレオンが率いるフランス軍に侵攻され、王が退位させられると、評議会が結成されてコルテスと呼ばれる議会を組織してカディス憲法を生み出したが、南米のエリートは、労働力としての先住民を分け与える制度であるエンコミエンダ、強制労働、絶対的権力による制度を守り、独立していった。
イングランドはアメリカ大陸の征服に遅れたため、先住民がたくさんいて鉱山のある場所はすでに占領されており、北米しか残っていなかった。入植者たちは先住民を支配することができなかったため、入植の支援をしたヴァージニア会社は人頭権制度を導入して土地と家を与え、1619年には議会が設立されて法と制度の決定権が与えられた。メリーランドでは荘園社会がつくられたが、議会が創設されると荘園領主の特権は剥奪された。1720年までに、アメリカ合衆国となる13の植民地のすべてに知事がいて、選挙に基づく議会があった。
ヨーロッパでは、14世紀のペスト流行による人口減少が、地域ごとに異なる結果を生んだ。イングランドでは労働力不足の結果、農民は強制労働と多くの義務から解放された。しかし、封建君主が組織化されていた東欧では、もともと広かった小作地はさらに拡大され、労働者の自由は奪われた。1500年以降は、西欧が東欧の農産物を輸入し始めたため、地主による労働者の支配は強くなり、無給労働が増えた(再版農奴制)。
政治制度の違いも重要な影響を与えた。16世紀末のイングランド、フランス、スペインは、いずれも絶対君主に支配されていたが、イングランドとスペインの議会は課税権を手に入れていた。スペイン国王はアメリカ大陸からの金銀から膨大な利益を得ていたが、イングランドの女王は税金を上げる見返りに、独占企業を創設する権利が奪われていった。イングランドでは、大西洋貿易と植民地化によって、国王とつながりのない裕福な商人が大勢現れ、政治制度の変化と国王の特権の制限を要求して、名誉革命において決定的な役割を演じた。名誉革命によって、所有権が強化・正当化され、金融市場が改善され、海外貿易における国家承認専売制度が弱められ、産業拡大の障壁が取り除かれた。包括的経済制度の下で、ジェームズ・ワットをはじめとする人々が機会とインセンティブを与えられて、産業革命が始まった。 -
世界にはなぜ豊かな国と貧しい国が存在するのか? 長期的な経済発展の成否を左右する最も重要な要因は、政治経済制度の違いであることを、歴史的な比較分析で論証する。【「TRC MARC」の商品解説】
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40188692 -
世界には豊かな国(地域)と貧しい国(地域)があるが、それらを隔てる境界線が「包括的な政治・経済制度」か「収奪的」かの違いにある、という主張。「包括的」という言葉の意味するところは、自由主義や民主主義、多元主義といったイデオロギーを重視する政治であり、私有財産や市場経済を重視する経済制度を指す。
別に目新しくはない。日本の歴史教科書にはこの手のメッセージがすでに散りばめられている。啓蒙思想、西洋史観と言って良いかもしれない。実際に本書には「収奪的な政治・経済制度から包括的なものにうまく変革できた成功例」として明治維新が紹介されているが、深みは学校で学ぶ程度のものだった。でも本書には範囲の広さがある。世界各国の「豊かな国」「貧しい国」の紹介事例の多さだ。
少し残念なのは、各章のタイトルから「いつの時代の、どの国(地域)の、どのような統治制度」について解説してるのか?が判別つかず、また章末に「まとめ」もないので再読し辛いことだ。 -
豊かな国もあれば貧しい国もある理由
地理や文化ではなく、制度や政治の問題。
貧困国の経済的障害は、政治権力が限られたエリートによって行使され、独占されているという事態から生じている。
世界の2つの政治制度
包括的─自由民主政─自由市場の好循環
収奪的─権威主義的独裁─奴隷性や計画経済の悪循環
前者こそが持続的な成長が可能となる。
では、中国のような中央集権的市場経済が発展を続けるのか?→続けない。彼らは後発性の利益をたまたま得ただけであり、そうした社会は、創造的破壊を伴う技術革新への許容度が低い。
つまり、政治体制を支配するエリート層が、社会的基盤を揺るがされることを許さない。
権力を握り独裁を敷いていても、自国を自由経済に置き換え、繁栄すれば、結果的により多くの金が自分のものになるのでは?→ノー。自由民主主義に必要な異なる制度は、誰か権力を握るかについて異なる結果を生む。自由民主主義と自由経済における創造的破壊は、既存の利益者を壊すことになるのだ。
包括的政治制度とは、そこにいる権力が、ある特定の個人や社会集団の財産になっていないような仕組み。権力者はあくまで権力機関の役割の担い手に過ぎない。
収奪的政治制度とは、権力者=権力機関であり、権力機関が丸ごと権力者の財産である。
そうした収奪機関は、他者やライバルを蹴落とすため、自分の私服を肥やすために課税を行う。これを止めるには、単なる頭の挿げ替え(あとに座るのも既得権益にまみれた人物)だけでなく、非エリート中間層、民衆の連帯と多元的で広範な連携を軸とした民主的なトップの交代が必要。
自由な市場経済が創造的破壊によって経済的強者の交代を生むのに対し、自由民主主義も、既存の政治的リーダーの交代を生む。
現在のアフリカは、天然資源ブームにより経済発展を遂げているが、そこは政治権力が安定化されているとは言い難いかもしれない。しかし、長期的には持続可能性にないとはいえ、短期的な経済の発展は、人々を貧困からすくい上げ、安定の土台を構築することに貢献する。
16~17世紀、スペイン人は南米において奴隷と金銀の接収で巨万の富を得たが、イギリス人は北米大陸で同じことができなかった。北米大陸には金が無く、先住民も労働力を提供しなかったのだ。
その結果、「入植者が働きたくなるインセンティブを与えなければ駄目だ」と言うことに気づき、北米大陸の植民地が自前で議会と法を持ち始める。先住民の搾取と独占を社会の土台としたメキシコと、発展具合は大違いだった。
経済制度は経済的インセンティブを形作る。知識を身に着け、貯蓄して投資し、イノヴェーションを起こして新しいテクノロジーを取り入れる。人々がどんな経済制度の下で生きるかを決めるのが政治的プロセスであり、政治権力が社会の中でどう分配されるのかを決める。
貧しい国が貧しいのは、権力者が貧困を生み出す選択をするからで、これは誤解や無知のせいではなく、故意である。貧しい国の生活水準が低い原因は、親が子に教育を受けさせるインセンティブを生み出せない経済制度であり、そうした親子や学校の希望をサポートできない政治制度である。ある程度の政治の中央集権化が進み、かつ権力者が権力を掌握してないとき、成長が生まれる。
18世紀のイングランドには市場経済が生まれ、イングランドは植民地を多く獲得したが、それらにイングランドの制度が導入されることは少なかった。
世界の様々な地域ごとにすでに存在した制度は、小さな相違から始まり、時としてイングランド流の受け入れに適さないまでに増幅していた。悪循環と好循環は現在まで持続する傾向があるのだ。
収奪的経済の元でも、経済成長が生まれることがある。例えばソ連のように、生産性の高い重工業に強制的に人を配置する方法などだ。
しかし、技術的発展は長くは続かない。それは、経済的インセンティヴの欠如とエリートによる抵抗である。
ローマ共和国からローマ帝国時代に変わり、経済形態が収奪的になった。技術革新が起きなかった重要な理由として、奴隷制の普及が挙げられる。奴隷をあくせく働かせておけば富が得られるし、そこから発展するイノベーションは少ない。これは奴隷制に共通する特徴だ。
西ローマ帝国が崩壊後、抑圧された労働者に依存する封建的な諸制度が生み出され、これが中世ヨーロッパの長期に渡る収奪的でゆっくりした成長の土台を形成した。
また、名誉革命が、イングランドの政治制度を変化させて多元化し、包括的経済制度の基盤を築き始めた。
名誉革命が所有権を強化・正当化し、金融市場を改善し、海外貿易での国家承認専売制度を弱め、産業を拡大させた。
これは政治的制度において、幅広い連合が、議会に多元性をもたらし、あらゆるメンバーの権力を抑制した。議員でない人や選挙権さえ持たない人の請願にも、議員が耳を傾けるようになった。
権力がゆっくりと少しずつ、エリートから市民へと移行していったのだ。
さらに、アメリカ大陸の発見が決定的な岐路となる。
アメリカ大陸に先乗りしていたスペインと違い、植民地との貿易を商人にまで開いた(国が独占しなかった)ことが、イングランドの経済的活力の礎となった。
歴史的要素が制度の発展の道筋を形成するとはいえ、累積的なものではない。
それらは既存の諸制度から簡単に逆転するものであり、そうした要素が歴史の決定的な浮動点となりうることもある。
政治的エリートが、創造的破壊への恐れが主な原因となって、人間の生活水準に持続的な向上がなされない場合がある。
産業の普及を妨げるのは、絶対主義か、政治的な中央集権制(規則や財産権を制定できる機関)がないことであり、これら二つは繋がっている。 -
シラバス掲載参考図書
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【由来】
・「知の最先端」
【期待したもの】
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【要約】
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【ノート】
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長期的な経済発展の成否を左右する要因は、政治経済制度の違いである。
経済発展には、inclusive=包括的な政治制度(民主政治)と包括的な経済制度(開放的で公平な市場経済)との相互依存というメカニズムが存在する。
また、良いスパイラルとは逆の、独裁政治と収奪的な経済制度との悪循環も同時に存在する。