- Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163289809
作品紹介・あらすじ
なにものも分かつことのできない愛がある。時も、死さえも。あまりにも美しく、哀しく、つよい至高の傑作長篇小説。
感想・レビュー・書評
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表紙絵は石狩川の岸辺。私の好きな風景だ。
だがこの作品で言う「岸辺」とは、彼岸と此岸のこと。
そこをたゆたうように旅をしながら、魂の再生を目指すお話。
主人公は38歳の女性・瑞希。旅に誘ったのは、三年前に突然疾走した夫・優介。
肉体はとうに死に、その身体も海底で蟹に喰われてしまったと言う。
その幽霊と一緒の旅でも、怖さは全くない。そして、ファンタジーでもない。
むしろ切々と心に染み入るような美しいお話だ。
死後の奇跡をさかのぼる旅は、優介が知り合い、助けられた様々な人が登場する。
初めて知ることになる夫の素顔を見るたびに、瑞希は自問自答を繰り返す。
「あの時もしこうしていたら・・」「もっと話していたら・・・」
夫婦は冷え切っていたわけでもない。
ただ、「くっついたり離れたり、そういうふうには出来なかった。」
「もどかしく手を伸ばし、その距離を守ることが互いを守ることだと思っていた。」
・・・距離感を大切にしたあまり、お互いの心の深部までは理解が及ばなかった。
旅は、夫婦そろっての辿り直しの旅なのだとここで気づく。
自分自身を辿る旅。
夫はどんな人で、何を考え何になりたかったのか。
自分は何をして、何をしなかったのか。二人の関係とは何だったのか。
旅の終わりにようやく瑞季が述懐し「行かないで」と強く願った時に死者は永遠の旅に出る。
最終章のたとえようもない描写の美しさには、涙が止まらなかった。
光と水と音楽が頭の中でいつまでもやまない。
映像化したらさそかし素敵だろうなどと思ってみたのだが、とっくに映画化されていたらしい。
これは、永久に失われたものへの強い愛の物語だ。
それでも美しさばかりが心に残るのは作者の巧みな筆致の所以だろう。
これまで読んできたどの湯本作品よりも、抜きんでて哀しく、そして美しい。
「喪の仕事」というのは、これからも生き続ける人たちのためにするものだと、しみじみと。
第27回織田作之助賞候補作品。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
北国の冬の川べりを思わせる表紙の絵が気になって手に取った。
寒々としていて、今にも暗い空から雪が舞い降りてきそうだ。
雲の切れ間から一筋の光が川面に反射している。
見るからに、ハッピーエンドにはならないだろうとの予感。
タイトルも「岸辺の旅」
海でも山でもない、岸辺。
何をたどっていくのだろうと、読み始めてみる。
三年間姿を消していた夫がある夜、ふいに家に戻ってきた。
夫はとうに海の底で蟹に喰われたという。
瑞樹の前に戻ってくるまでの軌跡を、夫と二人で遡る旅に出る。
瑞希が夫のためにつくる白玉。
つややかな乳白色の、むっちりとした食感のそれを帰ってきた夫が噛んで飲み込む。
食べるとは生きること。そう感じさせるシーンだ。
夢ではない、リアル。
2人の旅は、転々としながら進んでいくが、その先々で特別でない日常の食卓を旅先の人々と一緒に囲む。
学校や勤務先、旅行で知り合った人。
時間の長短に関わらず、交わってまた、離れていく。
再び出会える人もいれば、2度と会うことのない人もいる。
遣り残したり、後悔が残っている関係をもう一度辿ることが出来たら、いいわけでなくちゃんと話せばよかった、という封をした気持ちを瑞希の姿に重ねてみる。
現実には、大事なことはやり直せない。
したかったのにできなかったことなんて、数えだしたらきりがない。でももしかしたら、したかったのにできなかったことも、してきたことと同じくらい人のたましいを形づくっているのかもしれない。この頃はそんなふうにも思う。(P146)
そうね、
できなかったこと
それを選ばなかったのはあのときの自分だもの。
とりあえずまた封をして、
つんと前を向いて、何事もなかったように歩き出す。
私もようやく、そんなふうに思えるようになった。 -
とりとめのない夫と妻の会話があふれている。けれども、三年ぶりに帰ってきた夫は死んでいるのだ。ふたりはそのまま旅に出る。
不可思議な物語なのに全く不自然に感じない。怪奇小説でもミステリーでもない。本当に不思議な筆致である。
夫の失踪。喪失の痛みという全く同一のモチーフを描いた小説に川上弘美の『真鶴』がある。『真鶴』が、いつもはふわふわとしたタッチの川上弘美が、何故だかこのときばかりは力を込めたと思える意欲作であるのに対して、『岸辺の旅』には、叫びも慟哭もない。明確な諦めもない。恨みも後悔もない。
強いていうならなんだろう。≪透明にまでなってしまった哀しさ≫とでも言ったらよいだろうか。
例えば、夫の失踪中の様子を主人公である妻が回想する。
「マンションの下の道路を誰かが自転車で通った。ベルをリリリリンとならしながら」
「そのベルの音はとてもよく響いた。金属の鋭い音なのにどこかまろやかで、たのしげだった」
「とっくに自転車が走り去ったあとになっても、私はソファーに座って目を閉じ、まだ耳の奥に残っている響きをあじわっていた。ずっとずっと長い間、音のない世界に住んでいたみたいな気分だった」
ここには3年間の孤独についての直接の記述は一切ない。ただ音のない世界とだけだ。絶望のあまり気が変になったなどとも勿論書いてない。ただ尋常でなく鋭敏になった聴覚が捉えたものだけが淡々と語られる。
こんな調子だから、読む者はやすやすと二人とともに旅してしまう。そして、旅の果てに二人が行き着いてしまう避けられないさだめを、二人とともに体験する。
これが、本当の喪失の痛みなのだと、読む者は最後に知る。
これはひょっとすると、途方もない名作なのでは、と感じる。 -
「夏の庭」「ポプラの秋」と人の成長の段階に合わせて、死と向き合うドラマを描いてきた湯本さんの新作。
「夏の庭」は少年、「ポプラの秋」は30歳くらいの看護師の物語だったが、今回は、仕事に行き詰って、海に身投げして死んだ歯科医師の未亡人。
死んだはずの夫が、居間にいて、死んだ海から3年かけてここまで歩いて戻ってきたといい、急ぎなんだ一緒に旅に出ようと。彼が自宅まで戻ってくる途中で、出会った人たち、泊めてもらったりしばらくそこにいた家の人達。なかには死んだのにまだ新聞店をやっているおじいさんとか、死を乗り越えて、克服していく、そういう物語が不思議なタッチで語られていく。2010年に読んだ中での、ベスト3に入るのは確実!! -
死について語るということは否応なしに生について語ることになるのだと急に解る。生について語る、と言ってしまえばそれはあたかも現在進行形のいくらでも修正の効くものであるかのようにも、少しだけ聞こえはするけれど、それが死によって切り取られていることにより、再びしでかしてしまったことに向き合って取り繕ったりすることが叶わないという動かせない事実が、その響きを寒くする。
湯本香樹実の熱心な読者というわけでは決してないけれど、彼女の文章には大抵その「動かせない事実」によって寒くなってしまった空気が満ちているように思う。それが直接言葉にして表される前から読む者はその短調の響きのようなものを感じとる。彼女の文章を読むことは、まるで音楽を聴くことのようだ。音に込められた意味は、それを聞く耳で分解され和声を理解する脳で分析された後、要素が再び統合されて解釈され、解釈に応じた感情を脳が発生させる、という訳ではない。音楽は耳を通して直接感情を司る、どうしてもそう思えてならない。何故なら自分の中には存在しなかった筈の意味を音楽が生み出してしまうことがあるから。それと同じようなことを湯本香樹実の文章に対して考えてしまう。
言葉の意味は文章の分析を通さずに理解され得るのか。されるのだ、と思う。言葉の一つ一つが引き起こす意味はあるけれど、するすると吟味もせずに読んでしまっているというのに、なぜか呼吸が早くなり自分の息の荒さの意味にふと気付く、という構図は確かにあるのだ。分析という言葉とは隔たったところで、つまり冷静な自分には理由の解らないところで身体は反応し、熱いものが目の奥からこみ上げる。
そうして自分が今読んでいるのは「死」などではなく「生」についての物語なのだと、ふと思う。「生」は、現実であり、確かなものであり、形のあるものである筈だ、という思いが少しずつ揺らぎ、薄れ、輪郭を失ってゆく。ああ、それが生に対する死というものの意味なのか、と再び気付きに似たような思いに憑りつかれる。死は生を滑らかにし、やがて痕跡を消去さえする。それが死に与えられた役割ならば生とはなんと皮肉なことだろう、とぼんやりと思う。そのぼんやりが自分の中から何かを少しずつ洗い流してゆくように思うけれど、湯本香樹実の音楽に身を委ねてしまった脳は身体の制御を取り戻せそうにない。
しかし、音楽は楽譜の上には定着させることはできない。そこにあるのは料理のレシピと同じで、味はレシピの上にある訳ではない。音楽は、音の奏でられた時空間に、一瞬だけ、存在する。その音楽が存在する一瞬の永遠に、音は人を閉じ込めようとするけれど、人はどうしても相対的な時間の流れの中から逃れることはできない。ルンガは永遠の音の延長を意味しない。リタルダンドはそれだけでは何のテンポも示さない。光の速度は超えられない。頁が終われば音楽は鳴り止む。例え音が鳴り続けていたとしても。惜しいような、ほっとしたような気持ちの種を、人の心に植え付けて。 -
処女作『夏の庭』では少年が、続いて『春のピアノ』では思春期の少女が、『ポプラの秋』では妙齢の独身女性が主人公。
シリーズの中で何故冬の物語がないのか不思議だったが、既婚(未亡人)の女性が主人公である本作がそれなのか。
まだ知らないことばかりであるが故に、世界中が新鮮で輝いていた子供時代。
歳を重ねるごとに人の心の機微や諦観を学び、物語は切なくなっていく。
一貫しているのは全ての物語の主題が生と死であること。
この世に生まれたからには、悲しくも避けられない命題。
それは自らの生死と言うより、身近で大切な相手との別れ。
『夏の庭』のような無邪気さがない分、正直救いがないように感じる。
終始淡々とした描写が余計陰鬱な気持ちを増幅させる。
多分、今までの湯本作品には必ず登場した『一貫して見守ってくれる誰か』が、今作にはいないからというのもあるかもしれない。
主人公も夫も、既に両親はない。
歳を重ねればそれはごく当たり前のことだ。
悲しいけど、そういう意味では現実を捉えた描写だろう。 -
理解がし難い話で、分かりたいと読み込もうとする事もありますが、これは相性悪かったのか、理解したいという頭が働きませんでした。亡くなった夫が現れて、一緒に旅に出るというシチュエーションで色々期待したけれど、結局2人ともお互いの事見てないので、愛でも友愛でもない寒い感情だけで進んでいくのが僕には厳しかった。
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とても静かで、哀しい物語だった。
この作品の表現を借りれば
砂時計の音がさらさら流れるのを
聞いているような作品だった。
でも、多分、この作品は今後も
ずっと内容を詳細に覚えている作品だと思う。
それだけインパクトが強いし、
独創的な内容で、心に響いた。
主人公2人の距離がせつない。。。
この本を読めてよかったと
思う作品だと思う。-
身に余るコメントありがとうございます。
周りに本好きがあまりいないので、自分の知らない作品に出会える喜びを味わっています。この本もとてもよ...身に余るコメントありがとうございます。
周りに本好きがあまりいないので、自分の知らない作品に出会える喜びを味わっています。この本もとてもよかったです。cristyさんの本棚はとても自分にあっているような気がします。また覗かせてもらいますね。2011/01/14 -
>Rタさん、本のこと語るのって楽しいですよね。Rタさんの本棚は、私が全然知らない作家がたくさん載っているのでいつも楽しく拝見させていただいて...>Rタさん、本のこと語るのって楽しいですよね。Rタさんの本棚は、私が全然知らない作家がたくさん載っているのでいつも楽しく拝見させていただいています。新しい作家との出会いも楽しいものですよね。今年はさすがに去年のペースでは読めないのが残念ですが、暇を見つけて読んでいこうと思っています。2011/01/15
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これまでの湯本作品とは一線を画した、グレーな色合いに満ちた小説だ。夫婦というものは一体何なのか、亡霊となって現れた夫との旅を通して、妻の視点から人生の意味を問い続ける物語。夫の亡くなった場所へと向かうらしい夫婦の旅が、まるで男女の道行きのような味わいだ。夢うつつのような日々の記述なのに、奇妙なことに行く先々での人々との出会いにリアル感がある。これまでの湯本作品に対する印象をがらりと変えてしまう大人向けの小説だ。こういう作品を発表するということは、湯本さん自身がそれなりの年代になった証しなのかもしれない。
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静かで不思議な話だった。
みっちゃんはよく感情的にならずに全部受け入れるなぁと思った。優作がとても子供っぽく、みっちゃんがお母さんのように見えた。
自分が優作ならと考えると、なんとしても会いたいけど顔出す勇気はないかな。でも、死んでもなお顔出したいと思える相手は愛人じゃなくて、やっぱり奥さんなんだよなと感じた。