日本精神分析

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163584300

作品紹介・あらすじ

芥川龍之介、菊池寛、谷崎潤一郎…、古今東西のテキストを駆使しながら、アクチュルな諸問題を鮮やかに照射する画期的論考。

感想・レビュー・書評

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  • 芥川がオルガンティノを主人公にしてキリスト教の日本への定着性を論じた「神神の微笑」、菊池寛が国定忠治の子分たちの間での誰が忠治に従うかの<無記名人気投票>を題材に彼らの心理を描いた「入れ札」、そして谷崎が子供の世界の親分子分の世界、その中での流通する通貨、そしてそれに圧倒され思わず参加してしまう!先生の姿を描いた「小さな王国」、この3つの短編を基にして日本を論じるユニークな本です。最後に3つの作品も収めています。

  • また大仰な題名をつけたものだ。柄谷は自作につけるネーミングに凝るところがある。『日本近代文学の起源』が、日本・近代・文学それぞれの起源を問うていたのと同じように、今回は「日本」の精神分析と「日本精神」の分析をかけているのだそうだ。同じ出版社から出された『<戦前>の思考』の続編と考えればいいだろう。どちらも講演録をもとにして書かれた物だから、著者の考え方や主張がすんなりと耳に届く。ある意味で分かりやすいのだが、一方で、こんなに分かっていいのだろうか、という疑いも生じる。

    1994年発行の『<戦前>の思考』のあとがきで、柄谷はこう発言している。「本書において、私は、将来の見通しとか解決案について語っていない。決して『終る』ことのありえない諸条件・諸矛盾を明らかにしようとしただけである。それは解決の提示ではまったくない。しかし、今後においてどのような『解決』(終り)が唱えられようと、それが欺瞞でしかありえないことを示しえたと思う。私は悲観論者ではない。ただ、認識すること以外にオプティミズムはありえないと考えている。」

    帝国とネーション、議会制の問題、文字論と、『<戦前>の思考』と『日本精神分析』が採り上げているテーマは基本的に共通している。それらに「市民通貨」という新しいテーマを加え、起承転結よろしく四章仕立てにしたものが後者と考えればよい。しかし、前者が著者あとがきにもあるように解決(終り)のない状況の分析にとどまっていたとすれば、後者は「市民通貨」という新しい概念を切り札に解決策を提示しているものと読める。それはいったいどのような物かを考える前に、他の三つのテーマについて簡単に触れておこう。

    まず、柄谷は「現在の資本主義の蓄積運動を放置するならば、環境の悪化による人類の破滅を避けることはできない」という。そして、「経済的に自由にふるまい、そのことが階級対立や諸矛盾をもたらすとき、それを国民の相互扶助的な感情によって越え、議会を通して国家権力によって規制し富を再配分する」という社会民主主義の方法では、資本制=ネーション=ステートの三位一体構造の「内部」から一歩も出られないということを指摘した上で、他の「解決策」を示唆する。それが、ある種の「通貨」を使ったアソシエーションを基盤とする「交換」のシステムである。

    次に柄谷は、書名にもなっている「日本精神分析」について触れる。芥川の『神々の微笑』という作品を題材に鮮やかな日本の精神分析をやって見せておきながら、「精神分析的な意味での過去への遡行は、分析されている事柄が変えることができないほどに深遠なものだという考えに到達するものであってはならないということです。つまり、精神分析は治癒を目標とするものであって、治癒をもたらさないような分析は意味がありません」と言いきってしまう。天皇制を例に引きながら、「そんなものは偶然によるもので、たいしたことではないのだと考えるべきだ」とまで。『内省と遡行』という名の著書を持つ批評家の言葉とも思えないこの言葉は柄谷に何が起きたのかという疑念を抱かせるに充分である。

    菊池寛の『入れ札』を素材にした第三章でも、柄谷は無記名投票と抽選制を組み合わせた代表選出のシステムを採用することを提案する。議会制民主主義が無記名投票という「入れ札」の方法は採用しながら、アテネ市民が併用していた「籤引き」の方法を採らなかったことの問題点を指摘しつつ、柄谷はいう。「権力を思考する人間性は変わらない」が「ちょっとしたシステムを変えるだけで(人間性は)かなり変わってしまう」。せっかく大量得票を得ても、籤で落ちることがあるなら票の買収や権力への執着を防ぐことができるというのだ。

    本書の結論ともいうべき第四章で採り上げるのは、谷崎潤一郎の『小さな王国』という作品である。一人の少年が私的な「通貨」を発行することで共同体の権力を握る話である。柄谷は、市民通貨を現実の社会の中で併用することで、利益追求を目的にしない「交換」が果たされると説く。全経済活動の十分の一を市民通貨が担うようになれば、国家も資本も勝手なことができなくなるという見通しを述べる柄谷は革命成就の暁には「国家の死滅」を説いたレーニンを髣髴させる。

    以上、いずれの章にも冗談とも思えない提案、提言が目につく。その説くところは分かるが、「認識すること以外にオプティミズムはありえない」はずではなかったか。これらの提言や運動が実現するという「将来の見通し」は果たしてあるのだろうか。筆者にはこれが、十年前に柄谷が言った「解決案」に見える。「今後においてどのような『解決』(終り)が唱えられようと、それが欺瞞でしかありえない」といった柄谷にこそ、これが欺瞞でないことを今後の著作の中で明らかにしていってほしいと思う。

  • 490.初、並、帯付。

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著者プロフィール

1941年兵庫県生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学大学院英文学修士課程修了。法政大学教授、近畿大学教授、コロンビア大学客員教授を歴任。1991年から2002年まで季刊誌『批評空間』を編集。著書に『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(作品社 2021)、『世界史の構造』(岩波現代文庫 2015)、『トランスクリティーク』(岩波現代文庫 2010)他多数。

「2022年 『談 no.123』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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