- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163913926
感想・レビュー・書評
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ブレイディさんの過去作『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中でも出てきたエンパシー(共感)について語られた一冊。エンパシーというのは意見の異なる相手を理解する知的能力のことで、タイトル通り「他者の靴を履く」と表現できる。本書では、エンパシーについて政治・経済・労働・教育など様々な視点から(イギリスや日本の著書を絡めて)語られる。ビジネス本でよくある共感本とはやや異なる内容、わかりにくい部分もあったが概ね理解でき面白かった。
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エンパシーについての定義から実例が、教育や人間関係といった観点だけでなく政治やその他社会問題などの多様な観点から説明されており、非常に面白かった。
人に対して何かを感じるという、各個人同士の小さなコミュニケーションの感覚が、ここまでコミュニティや社会に大きな影響を与えうるのだと気付かされた。
著者だからこそ気づくであろう保育園の子どもの実例もかなり面白い。 -
「ぼくはイエローで…」のような読み易さや「エンパシー万歳」みたいな内容を勝手に予想していたが、鮮やかに外れた。いい意味で。
帯の記載通り、まさに「大人の続編」。
エンパシーの影の部分にも触れて多角的に展開し、とても読みごたえがあった。
個人的には、後半のイギリスの幼児教育や保育ガイドラインの部分が印象に残った。
幼少期から学童期にこういった「感情の読み書き能力」や「合意形成能力」を鍛える教育を受けることで民主主義が育っていくのだろう。
〜〜自分の要求を主張し、他の人々の主張を聞いて、納得できるポイントは折れ、一つの決定に辿り着くように協力し、議論して妥協し合うことで、困難な状況に折り合いをつけながら進む〜〜
適切にエンパシー能力を磨くことで、相手の主張の背景を理解すると共に、自己の気持ちや意見にもあらためて気づき、自分自身も再認識できる。
一方で日本には民主主義は育っているのだろうか、と心配になった。
迷惑をかけないこと、空気を読むこと、友達と仲良くすることは、小さい頃からみんな教わっているけれど、、、。
自分の解釈を押し付けることも、自己を喪失し明け渡してしまうこともせず、想像力を持って他者を理解しようとする能力
今からでもまだ間に合うはず。
非常に高度で難しいが、身につけられるようにしていきたいな。
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相手の個性を認め、自分の個性を消さないこと。できそうでなかなかできない。話をしていても物事を初めから否定する人は多いだろう。
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ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルーという本でブレディみかこさんのことを知り、子どもとの関わり方にすごく魅力を感じた。視野が広く、謙虚で、あらゆる物事を決めつけずに受け入れて考える姿勢に憧れていた。その根幹にある考えが、他者の靴を履く、いわゆるEmpathyなのだと理解できた。
Empathyについてはさまざまな人が良いとか悪いとか、いろんな意見をいうけれど、民主主義にも通づるとても重要な能力であり、元来持っているものではなく大人になるにつれて育っていくものだと。
そう考えると、子育ての中で、自分が正解で自分の価値観を子どもに押し付けるのではなく、小さい頃から子どもの考えを尊重し耳を傾けることがとても大切なのだと改めて感じた。
これは子どもへの関わり方だけでなく、新人や部下の教育、ひいてはあらゆる人間関係に通づるものなのだろう。 -
ほとんどがエンパシーなんだよなあ?
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『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者が、その作品で注目され、日本ではまだ一般的ではない「エンパシー」という言葉について、定義も含め、様々な側面から書いた1冊。
「自分のはいている靴を脱ぐことができなければ、他者の靴をはくことはできない」という言葉が強く印象に残っている。つまり、自分の地位とかにしがみつく人は他者の立場にたてないということ。アナーキーストであれば完全に自立して地位にしがみつくこともなく、逆説的にエンパシーを持っているというのは興味深い話であった。このコロナの時代だからこそ、書かれている内容もあり、そこが記憶に残った。特にエンパシーがなかったと言われるサッチャーについては、よく知らなかったのだが、サッチャーの行った改革によって失業者は激増し、もちろん良い側面もなかったわけではなかろうが、いまだにイギリスに暗い影を残していると初めて知った。そのサッチャーのやり方を踏襲しようとしている我が国の政治家たち……マジか。イギリス在住の著者が日本について思ったことは、自分にとっては新鮮に感じられた。トランプ元大統領の支持者の多さ、支持者の多くはエンパシーをトランプ元大統領に持っているということについて書かれた部分も興味深いなと思った。
おばさんをladyを訳すという話は目からウロコ。ちょっと自分の中では結びついてなかった。 -
”同情・共感”を意味するシンパシーが、相手の心情と同じベクトルを向くのに対して、”相手の立場・心情に対する理解心”を意味するシンパシーは、決して相手の心情と同じベクトルを向くわけではなく自分とは全く真逆の意見を持つ相手に対してこそ意味を持つ。英国での子育てを綴った前作でエンパシーという概念に興味を抱いた著者が、そのテーマを掘り下げた論考が本書。
面白くないわけではないのだが、なんだかとっ散らかった印象の本、という感想をストレートに抱いてしまった。前作が英国での子育ての面白さという実体験を主にしたものに対して、本作はある概念を巡る抽象度が高い議論であり、それをうまく消化しきれていない感覚を受けた。例えば、古今東西の様々な著作物からの引用が本書は目立つが、あまりにも引用が多すぎるせいで、何を論じようとしているのかが曖昧になる場面も多い。もう少し地に足の付いた議論の方が、著者には向いているのでは、と思うし、読み手としてはそうしたものをやはり期待してしまうのが正直なところ。 -
文章そのものは読みやすいけれど、エンパシーについての議論がまとまっていないのもあって結構難しい。それでも読んでよかったと思える。
「エンパシーって何?」と聞かれたら、この本を読んだあとでもうまく答えられる気がしない。自立した自己を持ちながら、異なる立場を理解しようとする力という理解でいいのだろうか?どうも前半の自立した自己を持つことが重要な気がする。 -
凄い本だった
感情的Sympathyはともすれば盲目的だ。それに対して見知らぬ人の靴を履いてみようとするEmpathyは例えば右派左派的イデオロギーを超越しさらには多様性すらも溶かしながら自由に(アナーキーに)なる
で、例えば中国の脅威に対して防衛費を増やすって選択は取らない
理想論かもしれないが、それで日本が滅ぶなら世界は終わるとすら思えるし、理想論をいう国が世界にひとつくらいあってもいい(9条だってそうでしょ)
良い学びはひとをリベラルに、アナーキーにする
そうして初めてEmpathyが獲得できる
そのときに大事なのは、世間とか社会に忖度しすぎないこと。そこにひとはいないから靴も履きようがない。リアルな他人との関係を残しつつ、自立すること。自助(self-help)ではなく自立(independent)しながら他人を恃む。
そしてこのことは、自分がいる医療界にも言える
エビデンスは大事だがそこにリアルなひとはいないので過信しすぎないことが大事なんだ。
ちょっとこういう感覚は滅多にない
人間の進む道は、こういうことに可能性を見出すしかないんだと思う。格差や分断が進んでいる今こそ、この考えは大事だと思う。