- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163916361
作品紹介・あらすじ
コロナ禍のベルリン。若き研究者のパトリックはカフェで、ツェランを愛読する謎めいた中国系の男性に出会う。
〝死のフーガ〟〝糸の太陽たち〟〝子午線〟……2人は想像力を駆使しながらツェランの詩の世界に接近していく。
世界文学の旗手とツェラン研究の第一人者による「注釈付き翻訳小説」。
感想・レビュー・書評
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多和田葉子が詩人のパウル・ツェランについてドイツ語で書いた小説を、ツェラン研究者の関口裕昭が日本語に訳したもの。
なんと訳者がこの小説のエピローグを書いている。唯一無二の本だ。
本書はツェランの最後の詩集『糸の太陽たち』からの多くの引用が埋め込まれた小説だ。小説というか、もはや詩だ。
この詩集自体が科学書をはじめとするさまざまな書物からの引用によって成り立つ、「難解な」詩集だ。
解釈するよりも、創作によってリアレンジしてしまうところがすばらしい。なるほど、その手があったかと感心。
私はその詩集を読んだことがないので、どれが引用でどれが多和田氏の言葉か、判別がつかない。日本語になると、両者の表現は似ている。これは多和田葉子の言葉だろうと思ったらツェランだった、ということが何度かあった。
こちらの教養のなさを、豊富な訳注がだいぶ補ってくれた。訳注を追うのも大きな楽しみだった。というのも、ツェランの詩の抄訳を読めるからだ。また伝記的事実も知ることができるからだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
すごくいいんだけど最後のエピローグは必要だったのか考えてしまった。多和田葉子の本文自体は詩的でとても素敵。
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多和田葉子の小説かと思っていたら翻訳であった。パウル・ツェラン自体があまり日本では知られていない。詩集がもっとメジャーになってくれたらわかりやすい。註が多く、さらにツェランについての説明も丁寧であったので、ツェランについて知るには簡易な本であると思える。
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交差点にぶつかるたび、その患者はサイコロを持ちあわせていないことを後悔する。
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多和田葉子が独語で執筆したものを翻訳したもの。巻末の訳注は50P弱にもおよぶ。よって本文は難解。ツェランの詩を知らないので、ぼんやりとしたことしかわからない。それでも言葉や言語に対する並々ならぬこだわりを感じる。何よりユーモラスなところがやはり大好きな作家だ。
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短い作品ではあるが注釈を読まないとパウルツェランのエッセンスは到底わからない(個人差はありますが)と思う。私は詩を人生で堪能してきた人間ではないから、彼に触れるのはお薦めしないとご提言をいただいた反駁で手に取ったわけであるが、間テクスト性満ち溢れた本作はより彼について知りたいと思わせ、同時に多和田葉子という作家が積み上げてきたエクソフォニーを体感できるようなそんな作品だった。彼女の作品を関口さんが翻訳する。日本人のかいたドイツ語文学を日本人が翻訳する?不思議な試みだなと当初考えてはいたものの、同じ人間でも異なる言語に身をおいてみれば織り成す内容も形式も変わってくる。まさに「世界は言語によって構成される」を体現した作品だと私は思う。はじめは仕様もない動機で手に取った本作であるが、「言葉に身を置く」これぞ読書といえるような体験が出来る作品だった。
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【まだ歌える歌がある、人間たちの彼方に。】コロナ禍のベルリン。若き研究者のパトリックはツェランを愛読する中国系の男性に出会い、その詩の世界へ導かれる。注釈付き翻訳小説