都市の魅力学 (文春新書 160)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166601608

作品紹介・あらすじ

東京は地方の富を収奪することで今日の繁栄を手にしたのではない。その歴史を通じて魅力的な都市になるための努力をしてきたのだ。そして、戦前は東京以外の都市も努力を惜しまず、それぞれの特色ある繁栄を謳歌していた。ところが戦後になって、中央が集めた税を地方に分配するシステムが完成すると、努力は忘れられ、地方都市は魅力を失い「ミニ東京」になりはてた。「地方の時代」を本当に望むのならば、システムを根本から変革しなければならない。

感想・レビュー・書評

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  • 著者は本書が出された時は官庁エコノミストとしても有名でしたが、現在は大和総研で経済学の啓蒙を軸として積極的に執筆活動を行っています。本書では経済学的な観点から都市の発展史から説き起こし、シャウプ地方財政・税制改革の問題点を指摘しつつ、都市問題や地方分権のあり方について問題提起しています。「三位一体改革」と昨今では呼ばれている地方財政と税制の問題について的確かつ平易に解説し、今日の問題を考えるに当たっても座標軸となる視点も提示しています。是非とも一読をオススメします。

  • 簡単にいうと「これからの地方都市の発展をどうしていくか」という問題提起と提案。読み始めてしばらくは、主要都市の歴史を、駆け足で(そして引用だらけで)書き連ねられられるので辟易感を覚えるが、第9章から真髄に入り、ぐっと引き込まれてしまう。都市の発展の基軸を、富の生産(=工業化)に求めているふしがひっかかるが、シャウプ税制に遡った地方自治の問題点を、改めて浮き彫りにする議論は説得力大。

  • 著者は、マクロ経済の専門家であり、政策立案者でもあった、原田泰である。原田には、戦前の都市や経済を扱った著作に世相でたどる日本経済があるが、その続編的な意味合いを持つものであろう。本著では、「世相」よりも都市のあり方についてつっこんだ議論がされている。ひとつは都市間競争は、戦前のほうが盛んであったこと、1880年代では新潟が、人口のトップであり1900年になって、やっと東京がトップになったのであるが、都市の経済的魅力があったということがこの結果を生んだのだろう。あとひとつは国と地方の税制あり方である。その議論は、「地方分権論」につながる議論を含むが、交付税は、地方の基準財政需要額と、「合理的」な方法で算定されたとされる基準財政収入額との差額である財源不足額に割り当てることなっているが、ここには、地方の課税権が問題となっていないという欠陥がある。それを詳述している。
    シャウプ財政・税制の発想とその変遷
    シャウプ地方財政・税制では、国税は所得税、国税は所得税、法人税、酒税を中心とし、都道府県税は付加価値税を中心とし、市町村税は所得税である市町村税と固定資産税を中心とすることになっていた。ただし、ここでの付加価値税は、現行の消費税ではなくて、法人の利益と賃金支払いからなる付加価値に課せられる所得税タイプのものだった。そして、シャウプは、国庫負担金(補助金)制度の大幅な縮小と、地方財政平衡交付金制度の採用を勧告した。それまでの地方配付税では、所得税、法人税などの一定割合を地方に配付することになっていたが、シャウプ勧告では、財政収入額が財政需要に不足する分を国が補填するという原則になり、財源保障機能が強化されることとなった。
     この勧告の発想は全体的には実現したが、細部をみれば、実現したものも実現しなかったものもある。地方にこれまでよりも多くの税金を配分するという勧告は実現された。しかし、課税主体と課税対象を分離し、それぞれの課税主体が、その機能によって合理的な対象に課税するという考え方は必ずしも実現しなかった。例えば、所得分配の不平等度を軽減することは国の役割であるから所得税は国税へ、法人所得は地域ごとの経済活動によって得られたものではないのでこれも国税へ、都道府県の行うサービスの対価としては法人の付加価値税へ、市町村のサービスヘの対価としては固定資産税と個人への軽度の所得税へ、というように考えられたものだった。
     しかし、都道府県の付加価値税は実現しなかった。法人事業税という都道府県の法人税が追加されて、所得に対して国、都道府県、市町村がそれぞれ課税することになり、税源の分離は実現されなかった。表10Il(次頁)に示すように、所得、資産、消費のそれぞれに国、都道府県、市町村がこれまたそれぞれに課税するという税制が現実のものとなったのである(林宜嗣『地方財政』有斐閣、1999年、第7章)。
     東京都が2001年度から実施する銀行の業務粗利益(不良債権の償却を含まない業務純益+人件費) に課税する銀行税も、銀行のみに課税するという点と資金残高5兆円以上の銀行にのみ課税するという点で、地域ごとの経済活動に対する地方行政サービスの対価という性格は失われている。
     地方財政平衡交付金は、地方の不足分に応じて支払われることになっていたが、このような制度は機能しなかった。地方の財源不足額をめぐって毎年のように国と地方の間で争いが生じた。地方が財政運営の失敗の原因を、地方財政平衡交付金が十分に交付されないことに求めるという風潮が生まれたからだ。このことから、シャウプの制度を日本の現実に合わせるという動きが強まり、1953年の地方制度改革の一環として、地方財政制度も改正された。現在の日本の地方財政制度は、これが基本となっている。この制度改正の基本的な点は、地方財政平衡交付金の総額を、不足額を積み上げて決めることから、所得税、法人税、酒税の一定割合とすることに変え、名称を地方交付税に改めたことである。
     すなわち、地方交付税は、所得税と法人税の税収の19・874%、酒税の税収の20%とされた。この率は順次引き上げられ、1966年度以降はそれぞれ32%となった。また、消費税の導入とともに消費税の29・5%、たばこ税の25%も交付税財源となった。そして、この交付税総額を、「合理的かつ妥当な水準において行政を行う場合または標準的な施設を維持する場合に必要な一般財源(総経費から国庫支出金、地方債、使用料・手数料などの特定財源を差し引いたもの)」を表す基準財政需要額と、各地方団体の財政力を合理的な方法で測定した基準財政需要収入額との差額である財源不足額に割り当てることとしたのである。

    基準財政需要額の増大
    基準財政需要額とは、「合理的かつ妥当な水準において行政を行う場合に必要な」経費ということにはなっている。しかし、なにが合理的で妥当な水準であるかは曖昧である。この定義を常識的に理解して、日本国民である以上、不時の災害や事故や不運から守られるべきナショナルミニマムのようなものと考えると不思議な事実に遭遇する。年金や生活保護、失業手当てを私たちは、ナショナルミニマムの一部と考えているだろう。不運から国民を守るのがナショナルミニマムであり、大部分の人が不運ではない以上、ナショナルミニマムを受ける人は少ないはずだ。現に、日本で生活保護世帯は全世帯の1・4%(厚生省「社会福祉行政業務報告」、総務庁「国勢調査」1995年)、失業手当を受けている人は全労働人口の1・6%(労働省「雇用保険事業年報」、総務庁「労働力調査年報」1998年)と極めて少ない。また、高齢者でも年金だけで暮らしているひとは少ない。高齢者世帯(世帯主が笠以1の勤労者世帯)の収入のうち、公的年金の割合は3割にすぎない。無職世帯を含めた高齢者世帯(世帯主が芸以上の勤労者世帯及び無職世帯)でも、その収入のうち、公的年金の割合は6割である(総務庁「全国消費実態調査報告」1994年)。
    ところが、交付税交付金と補助金を加えた固からの財政移転の額は、地方債などを除いた全収入の半分にも及び、交付税交付金を受けていない都道府県は東京のみ、市町村は全国3233団体のうち122団体だけである(自治省「地方財政統計年報」1999年6月)。要するに、日本の地方自治体は、働くことができず、財産のない高齢者のような生活をしていることになる。
     また、これは、基準財政需要額がナショナルミニマムを超えて過大に算定されていることを示唆している。基準財政需要額と地方交付税額は、いずれも名目GDPを大きく上回って伸びている(林前掲書、図10−5)。1970年度から耶年度にかけて、1人当たり名目GDPが5・5倍にしか増大していないのに、基準財政需要額(市町村)と地方交付税額(市町村)は、それぞれ川・0倍と8・2倍に増加している。基準財政需要額が地方交付税を上回って伸びていることにより、本来、地方交付税は特定税目の妄割合と決めたはずであるのに、地方交付税の不足が生じ、地方交付税特別会計が借金をして地方交付税をまかなうという事態が生じている。戦後、シャウプ改革の欠陥とされ、それを1953年に修正したはずのものが、再び、元の地方の不足分に応じて支払われるというシャウプの地方財政平衡交付金制度に戻ってしまっている。これを見ても、いかにシャウプ改革が日本人に歓迎されたかということが分かる。
    課税自主権の消滅
     先述のように、東京のみが地方交付税交付金を受けていないということは、東京以外の道府県が独自に課税をして自主財源を増やしたとしても、その結果、「各地方団体の財政力を合理的な方法で測定した基準財政収入額」を上回ることになって、地方交付税交付金を減額されてしまうことになる。また逆に、独自に減税をすれば、合理的な方法で測定した基準財政収入額を下回ることになって交付税交付金は減額される。
     すなわち、地方にとって独自の課税によって、財政力を高めることもできなければ、独自の減税によって地域経済の活性化に励むこともできないことになる。大阪府は、東京都と同様の銀行への外形課税を導入しようとしているが、それによって得られる税収374億円にたいして、その8割が地方交付税交付金の減額として差し引かれるのでネットで得られる税収増は74億円にすぎないという。
     地方が独自に課税する財源が小さく、中央からおりてくる交付税交付金と国庫支出金が大きければ、地方における支出は、地域住民への課税によってではなく、地域外の国民への課税によってまかなわれることになる。このような状況では、地域住民の行政支出への監視は甘いものとなろう。

    戦前の日本の地方 都市間の競争があった。
    戦前期日本の都市間競争
    第1次世界大戦前の日本が、ほとんど今日の言葉でいう累積債務国になりかけていたということはよく知られている。(原田泰・香西泰編『日本経済発展のビッグ・ゲーム』東洋経済新報社、1987年、第1部第3章)。対外債務残高は第1次世界大戦の勃発時(1914年)には柑・5億円になり、これは当時のGNP47・4億円の狙・1%に当たる。また、デッド・サービス・レシオ(対外債務元利支払額/財貨・サービス輸出額)は、1906年のピーク時には苧9%にも上昇した。これは、今日の中南米なみの数字である。
    ところが、日本が累積債務国になりかねなかった1900年代の初期においても、日本の都
    市は外資を導入し、都市基盤の整備に当てていた。その間の事情を述べると次のようになる(持田信樹「都市の整備と開発」『日本経済史5』岩波書店、1990年)。
     当時、金本位制を維持するために、政府は正貨を保持しなければならない。もちろん輸出が伸び外貨を稼げればよいのであるが、そう簡単にはいかない。輸入を減らす、すなわち緊縮政策をとればいいわけであるが、それは政治的にも困難だった。そこで取られた方策は、政府は緊縮政策を行うが、都市は拡張政策を行うという政策であった。
     おりから日本の工業化とともに人口は都市に集中し、集中した人口を都市に小椅麗に住まわせるための事業(水道、下水、港湾、道路、ガス、電気等)は確実な需要が見込まれ、その償還能力は海外の投資家によっても高く評価されたのである。
     そこで政府は、都市に外債を発行させ、得た外貨は正貨準備に繰り入れるということを行ったのである。この外債はもちろん順調に償還された。当時の帝国主義の慣行を前提とすれば、もし地方政府が償還に失敗すれば、都市の上下水道や港湾、ガス、電気等は外国政府の所有となることが、当然に予想された。都市は責任の主体であり、外債に頼ったのは十分な経済計算にたったうえでのことであった。
     ところが、そこに第1次世界大戦が勃発した。大戦によって生じた欧州の混乱に乗じて、日本は欧州のアジア市場を奪い、さらには欧州市場にも進出した。日本海運業もまた全世界に進出した。その結果、経常収支は大幅黒字となり、日本は資本輸出国となった。正貨保有高は1920年末には21億7900万円にまで増加した。
     1920年代の都市基盤整備
    経常収支が苦しいときですら都市は外国資本を取り入れていたのであるから、正貨をため込んでいれば、都市経営が積極的になるのは当然である。1920年末には21億7900万円の
    正貨保有高は、1930年末には9億6000万円にまで減少した。この減収分のほとんどは、
    都市生活基盤の拡充に用いられたという(寺西垂郎「金融の近代化と産業化」『日本経済史5』岩波書店、1990年)。
     1920年代には関東大震災を契機に東京や横浜が近代都市の形を整え、それに劣らず大阪、
    名古屋、神戸も面目一新を図った。それを促進したのは人口の集中とともに大都市間の競争が過熱したことだったという(持田前掲論文)0東京は世界の都市を目指し、大阪と名古屋は東京を目指し、他の都市はそれぞれライバルに負けないようにと果敢な投資を行った。この時に重点が置かれたのは、街路整理と土地区画整理だった。
     区画整理では土地の境界を取り除き、減歩と称して道路の拡張や公園等を配置するために一定の用地が控除される。ただし、減歩によって整理前より1割以上減少した場合には、補償金が支払われる。さらに地主には開発された宅地が従来の地価総額に応じて配分される。このような過程を経て、従来の不成形な町割は一新され、都市は公共施設を整備でき、その結果生じる地価上昇によって地主はキャピタルゲインを得られる。
     このような区画整理がなされたのは行政サイドの要請と地主の経済行動があったからだ。行政サイドにとっては、1割の土地の現物給付と上昇した地価への固定資産税収入を得られる。
    関東大震災後の横浜市復興区画整理事業の実績から、土地の現物給付による想定上の収入は全国都市の年間租税収入の4年分にもなるという。もちろんこれは、実際に税収があったわけではないが、さもなければ用地買収に費消されたであろう財政収入を近代的都市整備にまわすことができたのである。しかも戦前の固定資産税は高く、区画整理された土地の上昇による税収の増加は大きなものがあったと思われる。
     区画整理は、地主にとっても歓迎すべきものだった。20年代は農業は不況であり、かつ都市化は進んでいた。地主は、その土地を農地にしておくよりも市街地にするインセンティブを持った。小作争議に嫌気がさし、農業とは隔絶した利益を得られる都市的土地利用を選ぶのは当然である。しかし、市街地にするためには街路を整理し、都市の公共用地を供出しなければならない。地主は自ら進んで、土地利用の都市的転換を図ったのである。

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著者プロフィール

1950年生まれ。東京大学農学部卒業。学習院大学博士(経済学)。経済企画庁国民生活調査課長、海外調査課長、財務省財務総合政策研究所次長、大和総研専務理事チーフエコノミスト、早稲田大学政治経済学術院教授、日本銀行政策委員会審議委員などを経て、現在、名古屋商科大学ビジネススクール教授。著書『昭和恐慌の研究』(共著、東洋経済新報社、日経・経済図書文化賞受賞)、『日本国の原則』(日経ビジネス人文庫、石橋湛山賞受賞)、『若者を見殺しにする日本経済』(ちくま新書)、『ベーシック・インカム』(中公新書)、『デフレと闘う』(中央公論新社)など多数。

「2021年 『コロナ政策の費用対効果』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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